ベートーヴェン「ピアノソナタ第5番:第1楽章」多声をどう扱うかで変わる解釈:アルフレート・ブレンデル
作曲者:ベートーヴェン
曲名 :ピアノソナタ第5番 ハ短調 Op.10-1 第1楽章
演奏者:アルフレート・ブレンデル、エミール・ギレリス
リズム:★★★★☆
旋律 :★★★★★
構造 :★★★★☆
満足感:★★★★★
ピアノソナタの5番だけども解釈の違いで、
どれくらい変わるのかを中心に紹介してみようと思う。
ブレンデル: Piano Sonata No. 5 in C minor, Op. 10 No. 1: 1.
ギレリス: Piano Sonata No. 5 in C Minor, Op. 10 No. 1: I.
このピアノソナタの演奏を2つ用意したのは、ブレンデルとギレリスの二人の解釈が大きく違っていたから比較してみようと思ったからだ。
簡単にこの二人の解釈の違いを言うと「多声」というものをどう扱うかの違いだと思う。
多声とは複数の独立した旋律がお互いを支えながら響き合う事。
この解釈の違い特にブレンデルの解釈は難しく感じるかもしれないが、やっていることは高度だけれども、理解するとなるほどと納得感がでるのではないかと思う。
ブレンデル:多声を「複数の人格の対話」としてオペラ的に描く解釈
ギレリス :多声を「一人の人格の独白」として心の動きを描く解釈
ブレンデルはこの曲の解釈をモーツァルトの曲の多声的なオペラのように解釈していて、旋律が複数の登場人物が対話している感じになっている。
それに対して、ギレリスは多声的な声部をまるで一人の人格として扱い内面の心の動きとして一つにまとめる解釈になっていて、これはベートーヴェンらしさを前面に出しているように思う。
つまり、ブレンデルとギレリスでは多声というものの扱い方が大きく違っている。
ブレンデルの演奏だと、最初は主旋律の声部がアルトの語りから始まる。だけどそれが旋律が歌として前面に出る時に響きがメゾソプラノのような明るさと伸びを持つ声へ変化する。そしてそれを他の声部が支えながら歌が進んで行く。そこの最初のアルトからメゾソプラノに声質が変わる解釈が何なのかが直ぐには理解できなかった。
だけどオペラや声楽では、一人の役者が語る場面と歌う場面で声の性質が変わることがある。つまり別の登場人物に交代したのではなく、一人の人物が語りから歌へ移った瞬間に声質が変化したと考えることができる。
ブレンデルはピアノでその声の性質の変化を表現しているのではないかと気づいた。ブレンデルはオペラのもつ声質の違いを上手く表現して演奏に華やかさを出したのではないかと思う。
だけども、ブレンデルのやっていることは技術的にかなり難しいことだと思う。聴いてる方でも声質の変化がなぜ必要なのかが、簡単には気づけないくらいに高度なことなのではないだろうか。
ギレリスの演奏の場合だと声質はアルトの語りで始まりアルトのまま旋律を歌う。つまりギレリスは一人の人格としての語りの声と歌う声をアルトと言う声質をそのままにして内部で感情の変化を表現したかったのではないだろうか。これはシンプルで分かりやすい。
もともとこの曲は旋律を歌うのが若い女性ではなく、大人の女性に設定されているように思う。それがブレンデルもギレリスも演奏の始まりの語りをアルトの声質で行っている点だと思う。大人の女性が語り掛けるところから始まるのだ。
ブレンデル:アルトで語り始め、メゾソプラノで歌いだす。
ギレリス :アルトで語り始め、アルトで歌いだす。
ブレンデルのオペラ的な解釈は多声的な複数の登場人物が対話することで華やかさがある。
それに対してギレリスは内面を追いかける分だけ静かだけども、ベートーヴェンらしさとは何かが強く出ているように思う。
この曲の解釈の違いで大事なのは、多声をまとめすぎると華やかさが出ないということだ。確かにわかりやすくはなるんだけども、かなりシンプルな曲になってしまう。そこがこの曲の解釈の好みが分かれるポイントではないだろうか。
第5番というのは、前期ソナタの中にあってオペラ的に行くのかそれともベートーヴェンらしさを出すのかでの作品としての分岐点にある曲なのではないかと思う。どちらが良いかではなくどちらでも解釈が成り立つと言う事だろう。つまり古典派からベートーヴェンの時代への分岐点になる重要な曲なのではないかと思う。
