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ハイドン「ピアノソナタ第37番:第1楽章」ハイドンからベートーヴェンへと受け継がれたもの:アルフレート・ブレンデル

作曲者:ハイドン
曲名 :ピアノソナタ第37番 ニ長調 Hob. XVI:37 第1楽章
演奏者:アルフレート・ブレンデル
リズム:★★★★☆
旋律 :★★★★★
構造 :★★★★☆
満足感:★★★★★

ハイドンの曲を聴いていたら、
ハイドンのこのユーモアは一体なんだろうと思ったので、
そこを中心に紹介してみようと思う。

ハイドン: Piano Sonata in D Major, Hob. XVI:37: I. Allegro con brio

ベートーヴェン:Rondo a Capriccio "失くした小銭への怒り", Op. 129

このハイドンの記事にベートーヴェンの曲も用意したのは、
この2つの曲がとても似た作りを持つから比較してみようと思ったからだ。

この37番はハイドンがそれまでの対位法の曲ではなく、
主旋律と伴奏をメインとする曲として作ったものになる。

主旋律をソプラノで固定しているが、曲の作りがとてもリズムカルで、
まるで子供が駆け回っているような曲に感じる。

この作りは、なんか覚えがあるなと思ったら、
ベートーヴェン:Rondo a Capriccio Op. 129「失われた小銭への怒り」 に良く似てるのだ。
もちろん細かい作りに違いはあるけどれども、何がしたいかがこの2曲はとても良く似ていると思う。
このベートーヴェンのOp129も、ベートーヴェンにしては凄くユーモアがあふれてる曲だなと思って聴いていたけども、ハイドンの37番を聴くと、このユーモアのセンスはハイドンからベートーヴェンが受け継いだもののように感じる。

ハイドン   :女の子がコミカルに走り回るのを描いている。
ベートーヴェン:女性が一生懸命走り回るのをコミカルに描いている。

この曲ほどハイドンのユーモラスな性格を良く表している曲もないんじゃないかなと思う。
この2曲で共通する「走り回る」表現方法は良く出来ているものの、
スカルラッティの匂いも感じるからハイドンが最初に使った表現方法というわけじゃなくて、ハイドンは走り回る表現をより洗練させてコミカルさを加えたと考えたほうが良いのかもしれない。

走ることを表現するのはスカルラッティからのものだとしても、
コミカルなものを弾いたり作ったりするのはハイドンの性格が強く影響していると思う。つまりハイドンはコミカルな曲を作るのが好きだったのだ。
そこは他のハイドンの曲もそうだと、ブレンデルなどがそう指摘してる。

じゃあベートーヴェンはなぜそれを引き継いで進化させたのか。
それがわからない。
Op129では、ハイドンが作った子供が走り回っているような曲を進化させ、大人の女性が怒りを感じながらもコミカルに走り回るという作りになっている。

ベートーヴェンはハイドンのコミカルさを受け継いだというよりも、ハイドンのこのコミカルな曲をよりもっと進化させる方法を思いついたから、この曲を作ってみただけではないだろうか。そうでなければこのコミカルな系統の曲がもっと沢山作られていたと思うのだ。

ベートーヴェンがハイドンのユーモアな作風を受け継ぎにくかったのは、それが作られた感情だからではないだろうか。本当の自分の強い思いこそを曲に込めたいと考えて、借り物のユーモアという感情で曲を作ることを避けていたのではないか。それこそが生前にOp129をベートーヴェンが出版すらしなかった理由ではないかと思えるし、それだけ感情の扱いをベートーヴェンは大事にしていたのではないかと思う。

この演奏の聴きどころは、単純に走り回るということをいかにコメディとして成立させているかだと思う。このハイドンのユーモアのセンスをベートーヴェンは大事にしたのだろうからコミカルさを中心に聴くと良いと思う。


クラシックは互いに影響し合えるからか、たまに似た表現の曲が出てくることがある。今回のように目的が似ていると比較することで、どこがどう進化しているのかが良くわかると思う。ベートーヴェンで高い完成度になったからこそそれ以上の進化が止まってしまったのかもしれないなと思う。


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