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モーツァルト「ピアノソナタ第7番:第1楽章」ロマン派の原型になったのはこういう曲ではないか:内田光子

作曲者:モーツァルト
曲名 :ピアノソナタ第7番 ハ長調 K.309 第1楽章
演奏者:内田光子
リズム:★★★★☆
旋律 :★★★★☆
構造 :★★★★☆
満足感:★★★★★

内田光子のモーツァルトの演奏だけども、
書いているうちに色々な気づきがあったから、
そこを中心に紹介してみようと思う。


Mozart: Piano Sonata No. 7 in C Major, K. 309: I. Allegro con spirito

この曲はとても美しい曲だけども、
多声での会話や歌を聴くというよりも、声部がオーケストラの楽器を意識して作られていると思ったほうがいい。

この曲はモーツァルトがピアノでオーケストラを再現しようとした実験作になる。だから声部の扱いが楽器になる。これはバッハのイタリア協奏曲にも似てるけども、あそこまで楽器に似せた演奏にはなっていないように思う。

そう書くとこの曲は多声じゃないのかと思うかもしれないが、曲の始まりは声部でのバスとソプラノを担当する楽器の会話で始まる感じだから、多声的でありながら楽器的な扱いがされている感じだと思う。

この曲は4声以上の多声的な構造をしているけども、オーケストラを意識している作りになっていることから、聴くほうは複雑な多声での会話を聴くというよりもオーケストラとしての演奏の中にソプラノの歌が流れているという感じで聴いたほうが断然楽に聴けると思う。全部の音を拾おうとすると、中々疲れる曲だと思う。

良く考えてみるとこの曲は実験的な意味合いが強いのかもしれないが、
後々のロマン派的な曲の作りになる原型は、こういう曲なんじゃないだろうかと思う。
この曲の作りを考えてみると、まだ複雑な作りに聴こえはするけども、オーケストラ的な音を伴奏としてソプラノを主旋律に固定した曲の作りに似ていることに気づいた。
この曲の複雑な声部の扱いを少しずつ整理統合して単純化することで、段々とロマン派的な聴き易い音楽へと発展させたのではないかと思ったのだ。

この曲の作りは大雑把に聴いたほうが分かりやすいというのは、
私たちが既にロマン派以降の未来の音楽を知っているからこそ感覚で理解していることなんじゃないだろうか。

この演奏の聴きどころは多声を聴くのではなくて主旋律としてのソプラノを中心に聴いて、そこをオーケストラ的な演奏が伴奏を担当している感じに聴くと聴き易いと思う。つまり多声的に聴くことをやめてロマン派的に旋律と伴奏の曲として聴いたほうが断然この曲は美しく聴けると思う。


そう書いていて気づいたが、グレン・グールドがモーツァルトのピアノソナタの第1番でやっていた声部の主役である主旋律をソプラノに固定するやりかたは、この声部の整理統合する考え方そのものだったのではないだろうか。この7番でモーツァルトがやっていたことを1番に適用してグールドは演奏していたから、あの評価が分かれる解釈だったのではないかと思った。

グールドのモーツァルトの1番の演奏を聴くと、なんで声部がソプラノに固定されて他の声部がそれを支えてる構造になってるんだ。内田光子のように声部がオペラのように主旋律を交代で変わればいいじゃないかと思っていた。そこが大きな疑問になっていたんだけども、この7番を記事にすることによって、ようやくあのグールドの大胆な解釈が理解できたように思う。


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