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バッハ「われ汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ」ブゾーニ版:解釈の違いで祈りの生まれかたが違う:ブレンデル、ケンプ

作曲者:バッハ
曲名 :われ汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ ヘ短調 BWV 639
演奏者:アルフレート・ブレンデル、ヴィルヘルム・ケンプ
リズム:★★★★☆
旋律 :★★★★★
構造 :★★★★☆
満足感:★★★★★

ブレンデルとケンプの同じ曲の演奏を比較することで、
声部の扱いがどう変わって何が生まれるのかを中心に
紹介してみようと思う。


ブレンデル:われ汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ ヘ短調 BWV 639

ケンプ:われ汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ ヘ短調 BWV 639


この曲の演奏を2つ用意したのは、多声の解釈が大きく違うからだ。

ブレンデル:主旋律を支えながら一体感のある「祈り」としてまとめる解釈
ケンプ  :リズムと旋律を一つの「祈り」としてまとめる解釈

ブレンデルとケンプはこの「われ汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ」を二人とも演奏している。
だけども編曲がブレンデルはブゾーニ版ケンプはケンプ自身が編曲したものを使っている。

確かに編曲が違えば演奏も大きく違ってくる。だけどもこの演奏で大事なのは編曲の違いよりも、声部の扱い方が二人はどう違うのかにある。

ブレンデルの演奏では、各声部を追いかけるような聴き方ではなくて、主旋律を中心に声部同士とリズムがそれを支えた時に最大の美しさが出るように演奏されているのが特徴的だと思う。

それに対してケンプは多声の声部を一つの一体感のある歌としてまとめた上で、旋律とリズムが合わさった時に始めて一つの美しい「祈り」として聴こえるように演奏している。

ブレンデルの祈りは各声部とリズムが支えている主旋律での「祈り」なのに対して、ケンプの祈りは一体感のある旋律とリズムが合わさって始めて一つの美しい「祈り」になる。
つまり二人とも美しい祈りを作っている。でも、祈りを成立させて生み出す構造が違っている。

この構造の違いは大きくて、なぜブレンデルがケンプ版の編曲を選ばなかったのかも見えてくるように思う。
ケンプの声部を一つの流れとしてまとめる方法では、ブレンデルのやりたかった声部それぞれの存在を残しながら、各声部とリズムが主旋律を支え合った時に生まれる美しさを表現できないから、ブレンデルはブゾーニ版を選んだのではないかと思う。

祈るという目的は同じではあるのだけども、祈りが生まれる構造が違う。

ブレンデル:皆に支えられて生まれた一つの祈り
ケンプ  :すべてが一体になって生まれた一つの祈り

祈りの表現の違いがここまで明確に解釈の違いとして現れたのではないだろうか。どちらの祈りのほうが尊いのかは私にはわからないけれども、それぞれが多声を扱う構造に違いはあるものの美しさをもっている。
主旋律を皆が支え合う構造も美しければ、すべてを一体化した時に生まれる祈りも美しいと思う。この曲のこの解釈の違いは、贅沢なほどにどちらも美しいし演奏の完成度が驚くほどに高いものではないかと思う。

この演奏の聴き方としてブレンデルの演奏の場合は、主旋律である「祈り」をどう他の声部やリズムが繊細に支えているのかを中心に聴くと美しさが良くわかると思う。ケンプの場合は旋律だけでなくリズムと合わさった時の一体感のある「祈り」の美しさを感じてみて欲しい。

最初は多声の扱いの違いを書くための記事だったけども、二つの編曲でどう違うのかを深掘りした結果になるように思う。そして、なぜケンプを尊敬していたブレンデルがケンプの編曲を選ばなかったのかの理由も見えてきたように思う。





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