シューマン「クライスレリアーナ:第1曲」感情の変化の使い方がわかりやすい:マルタ・アルゲリッチ
作曲者:シューマン
曲名 :クライスレリアーナ Op.16 第1曲
演奏者:マルタ・アルゲリッチ
リズム:★★★★☆
旋律 :★★★★★
構造 :★★★★☆
満足感:★★★★★
この曲の記事は初めてではないけども、
今回はシューマンの感情面の変化を中心に
紹介してみようと思う。
Schumann: Kreisleriana, Op. 16: I. Äußerst bewegt
このアルゲリッチの演奏を改めて聴いてみると、
以前の自分では気づくことのできなかったシューマンの感情の変化がありありと伝わってくる。
特に理解できるのは、八方ふさがりでクララと会うことさえ許されなかったシューマンの絶望がこの演奏からは良く理解できる。
フロレスタン:激しく、情熱的で、攻撃的・直感的な人格
エウゼビウス:思索的で、夢見がちで、静けさを愛する人格
シューマンは自分の中にこの2つの対立する人格が存在すると考えていたわけだけども、この演奏の序盤での感情がフロレスタンでのものだということが良く分かる。
「どうしようもない。だけど何か方法がないか。」
「どうしよう。あれでもないこれでもない。」
そんなシューマンの思考がぐるぐると回転しているのが目に浮かぶようだ。
激しい嵐のような感情の揺れが暫く続いたかと思うと、静寂が訪れる。
「落ち着いて考えるんだ。落ち着け落ち着け。」
冷静なエウゼビウス側が強くなって激しい感情を何とか抑え込もうとする。
落ち着いて考えようとするシューマンだが、いい方法が思い浮かばない。
「やっぱり駄目だ。なにも思いつかない。」
やがて激しい感情がぶり返してきて曲が終わる。
この曲の描写はこんなところだろうと思う。
私はシューマンの感情を表現するのにフロレスタンとエウゼビウスという
2面性の感情を使わなくても表現できると思っていたけども、この曲の仕組みを良く知るにはやはり使ったほうが理解がしやすい。
そこはシューマン自身が作曲において、それを使って感情表現を使い分けていたわけだから、やはり使ったほうがシューマンの感情の変化と言うよりも作曲での感情の役割として2面性を上手く使い分けていたと思ったほうがいいのかなと思う。
この曲での聴きどころはアルゲリッチによるシューマンの激しい心の変化を聴くことだろう。だけども、この演奏はシューマンが迷走しながらも激しい感情をぶつけていることを美しく表現している。シューマンのクララへの思いからくるこの感情を狂気とするのではなく、美しいものとして捉えているからではないだろうか。そこを聴き分けてみると大分違って聴こえてくるように思う。
シューマンの持つ曲の感情の変化はとても魅力的に感じる一面だと思う。
歌曲の人だという思いは強いけども、今となっても理解しやすい感情の変化の使い分けがとても上手い人だったと思う。
バッハやベートーヴェンでこの感情を読み取ろうとすると、どれだけ大変かを想像するとシューマンの上手さが見えてくるように思う。
