ベートーヴェン「ピアノソナタ第17番「テンペスト」:第3楽章」求めることは同じなのに表現が正反対な演奏を比べてみた:ブレンデル、ポリーニ
作曲者:ベートーヴェン
曲名 :ピアノソナタ第17番 Op.31-2 第3楽章
演奏者:アルフレート・ブレンデル
リズム:★★★★☆
旋律 :★★★★★
構造 :★★★★☆
満足感:★★★★★
ベートーヴェンの「テンペスト」をブレンデルとポリーニが解釈すると、
どういう違いになるのかを中心に紹介してみようと思う。
ブレンデル: Piano Sonata No. 17 in D minor, Op. 31 No. 2 -"Tempest": 3. Allegretto
ポリーニ: Piano Sonata No. 17 in D Minor, Op. 31 No. 2 "Tempest": III. Allegretto
この曲は、聴き方一つで曲のもつ美しさが全く変わるように思う。
なんとなく旋律を聴いていたよりも、多声での声部の動きを追ったほうが、かなりこの曲の作りが良くわかるのではないかと思う。
ブレンデルとポリーニの演奏を比較する事で何が見えてくるのかを考えてみようと思う。
この曲が作られた時のベートーヴェンの耳は、すでにまともに外の音を捉えられなくなって焦りや絶望といった思いを抱えていた時期になる。
この曲はまさにベートーヴェンの持っていた焦りや悲しみ絶望と言った思いが込められている作りになっているように思う。
ブレンデル:切実な願いを全体で支えながら美しく表現している。
ポリーニ :焦りや激しい感情を見せながらも救いを求める。
ブレンデルの演奏には全てを包み込むような一体感がある。
良く聴いてみるとブレンデルの演奏にも焦りの感情が見える。
物事が上手く行かない焦りを切実になんとかして欲しいと願う気持ちがまるで祈りのように伝わってくる。
そして多声によるソプラノの美しい主旋律の祈りを、他の声部やリズムも含めた全てが大事に支えて、美しい一体感のある祈りのような願いになって伝わってくる。
ブレンデルの演奏が特徴的なのは、その人の持つ切実な願いを美しいものとして解釈していることだ。その願いはまるで神への祈りと同じように扱われてる。その主旋律の美しい願いを他の声部やリズムがどう一体となって支えているかの表現で、この演奏でブレンデルがやりたかったことが良く分かる
ように思う。
それに比べてポリーニは、この曲に焦りとともに激しい感情の変化を感じさせる。それはまるでシューマンの内声の変化のように、多声を一人が持つ内面の感情の変化のように扱って、二面性をもつ声部が激しく入れ替わっているかのように感じさせる。
ポリーニが表現する激しい感情は、焦りや悲しみ怒りといった感情を見せる。だけどもこの激しい感情の奥には、誰かに救いを求める感情が見え隠れしているように思える。
つまり、ポリーニの演奏だとブレンデルとは違って助けて欲しいと直接願うような表現はないけども、その見えない奥にはちゃんと救いを求める感情があるということをポリーニは演奏で表現しているように思う。
願いが直接見えるか見えないかの違いはあるものの、ポリーニもブレンデルも最も表現したいのは、そこではないかと思う。
ポリーニの演奏が良く出来ていると感じるのは、ブレンデルだと演奏から良く分かるその「願い」の感情を、見せなくても聴いている者にそうじゃないかと想像させる演奏になっていることだ。ここの表現の機微はさすがに上手いなと感じさせる。
ブレンデルとポリーニの演奏は、まるで正反対のように違う感情の表現をしているのに、最終的には「救いを求める」という点で、同じ解釈になるもののように思う。
この求めているのは同じなのに演奏での表現の仕方が全く違うという解釈はブレンデルとポリーニという超一流のピアニストの解釈の違いとしてはとても面白いものではないかと思う。特に今回はポリーニの表現の仕方には良く考えてあるなと感じた。
この演奏での聴きどころは、「願い」を感じさせるには、どういう表現の仕方があるのかということだと思う。ブレンデルのように分かりやすい祈りのような願い方もあれば、ポリーニのように激しい感情の中から、救いを求めているのを感じないとわからないのもある。
それぞれの「願い」の表現方法の違いを感じながら聴いてみると、この曲は今までと違って聴こえてくるのではないかと思う。
