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私の略歴➕α38 二浪時代7️⃣ 思わぬ偉大な旧友との再会、南国の伸びやかな空気、思わぬ苦戦

 二浪時代の振り返りの続きです。滑り止めとしてKM大は、確保しました。そんな2月の半ば頃、私はTH大の2次試験受験のために上京します。2次試験は、面接と小論文でした。

 面接では、国公立を受けたのかと受かったらどちらに行くかと質問されて私は、ハッキリと国公立に行くと答えてしまいました。その試験会場で高校卒業以来2年ぶりの旧友との再会がありました。

 中学と高校で一度ずつ同じクラスだったOH君です。彼は、かなり頭が切れるけど、喧嘩も強く、と言うかボクシングをやっていました。 

 M中のヤンチャ連中とも中学高校と派手に交流していたし、イケメンで女性にもモテて浮いた噂も良くあるカースト最上位級の強烈な奴でした。

 ただ、そんな人には、珍しいくらいにスクールカースト低めの私にも優しく親しくしてくれた良い奴でした。今回も彼から声をかけてくれました。実は、卒業してから彼の消息は、知られていませんでした。

 聞いてみれば、第一志望を慈恵医大にして東京都内の私大医学部上位狙いの予備校に通っていたのです。彼は、自分の友達に恭しく私を紹介してくれました。

 その内の現役生は、イケメンで爽やかで礼儀正しくて感じ良かったです。彼は、今どうしているのかなとか気になりますね。

 OH君は、この年に第一志望の慈恵医大に合格しました。現在は、全国に何ヶ所かある美容整形クリニックのチェーンの経営者です。

 相変わらず交友関係も見事で彼の所で美容整形を受けた芸能人やモデルたちにも慕われています。以前、上京した私とTY君にそのような美人を呼んでくれてしばし楽しく飲ませてもらった事もあります。

 レーシングチームを持っていたり、箱根に何台もレトロな外車を置いている立派な別荘もあり高校同期の中で間違いなく1番の稼ぎ頭と言って良いくらいの名士となっています。

 TH大の2次ですが、見事に落とされました。学科試験の出来は、全体的に共通一次よりもできたというか、満点近くの自信がありました。

 だから、面接で本音を全開にしたことや、親戚縁者にOBがいない、いわゆる縁故がなかった事もあるでしょうし、慶應レベルの生徒が上位で受かるのでいわゆる補欠枠だったのかもしれません。

 元より国立ダブル合格出来るつもりでは、あったので大して気には、なりませんでした。一応、滑り止めにKM大も確保していますし。ただ、もしもTH大にも受かったら国立大学の滑り止めにするつもりでした。

 一瞬ではありますが、東京での大学生活を夢想していたので惜しい気持ちも若干ありましたが、本命は国立という心は揺らぎませんでした。

 そして、ついに時が訪れたのです。国立大学医学部入試の第一弾のA日程の入試のために飛行機に乗って2時間近くかけてR大のある土地に向かいました。

 何と幼馴染の大病院のH家美人三姉妹の末っ子で浅香唯似のAちゃんが現役でR大を受験したのです。私が高3の時に同じ高校に入学した彼女と同じ大学を受験すると言うのは、やや複雑な気分でした。

 2年前に現役の時に私と同じ大学を受験した姉のEちゃんは、今度は観光目的と妹の受験の補助も兼ねてついていきました。

 東京に住んでいた姉が東京から2時間半ほどかけてこれまた観光と私の受験の補助でやって来ました。もちろん、姉とEちゃんは、一緒に観光を楽しんでいました。

 遠方に受験に行く受験生達に対する我が家とH家の母親達の配慮が感じられます。とは言え、同じ年の片方は、受験生でもう片方は、受験生の補助として観光を楽しんでいる身分の違いを感じました。

 この時に東京は、積雪があったくらいの寒い日だったのですが、R大のご当地は、日中の最高気温が22〜25℃まで上がる暑さで凄い寒暖差があったので日本の南北での違いを大きく感じました。

 空港からホテルに着いてからしばらくしてから、ホテル近くで大学のあるN市の1番の目抜き通りにあったオーロラビジョンで伊東みどりがカルガリーオリンピックで滑っている姿を見たのを思い出しました。 

 観光客も多く、恐らく米兵かなと思える逞しい黒人の男と美人の日本女性のカップルにそのビジョンの映像を見て凄いですねとか話しかけてしまいました。受験に来ていることを忘れそうな場所でした。

 R大に下見に行きました。県庁所在地のN市からバスで30分ほどかかる場所でした。大学の敷地が広いためバスが大学内を走っていました。

 医学部は、出来て7年ほどと言うせいもあり、敷地内の一番端の場所で大学の敷地に入ってから着くまで3つの停留所を過ぎていました。丘の上にあるため、下から見えるエメラルド色の海が美しかった事が思い出されてきます。

 下見の帰りの夕方近くになったらまるでバケツをひっくり返したような土砂降りでした。これがスコールかとビックリしました。この雨は、この後3日間いずれの日にもありました。

 宿の自分の部屋が暑くてたまらなくて、下着だけになっても暑くて冷房をかけて浴衣を着てやっと寝付けるくらいに暑かったのです。やはり、亜熱帯の土地は違うと実感しました。 

 受験の日は、長袖のシャツ一枚で丁度良いくらいでした。ただ、教室に入ると暑くて袖をまくる必要がありました。入試前は、さほどの緊張は、ありませんでした。

 共通一次を受けての合否判定は、ほとんどA判定で、厳しい業者でもB判定くらいでした。また、医大ではなく、大学医学部なので他の学部とも問題が共通していました。

 だから、問題は、かなり平易で過去問をやった感じは、新設の医大であるB日程のM大よりは、安定してほとんど出来るから大丈夫だろうと思えていたからです。R大は、2科目で数学と理科で理科は、物理・化学・生物の中からの選択1科目です。

 最初の科目の数学の問題をみてびっくりしました。微分積分の問題で何らかの関数になっている容器での水の増減を問う問題でした。ただ、ここは、学校の教科書的な問題のレベルで一度やった後で忘れていて本番では、何も浮かばず白紙でした。

 これこそが難関大を目指すために超難題をやっている際に起こる弊害の一つと言えます。つまり、単純な教科書を一度見ていれば、確実に分かる問題なのに普段は、中堅レベル以上の大学では、出さないからアキレス腱になってしまうことがありそれに足を掬われるのです。

 数学で一問落としたもののまだ、共通一次のリードはあります。次の物理が普通の出来なら大丈夫と思えました。なんと、電気でブラックボックスを交えた問題が出たのです。ブラックボックスは、高校入試や教科書的な基本問題としてかなり昔にやったものの逆に難関大に出るという事もなく対策していなくて足を掬われました。

 かくして、A日程の入試は、思わぬ苦戦を強いられました。もう、学科試験が終わった時は、呆然としました。そんな中でも楽しい事はありました。KM大入試の時にたまたま近所の席にいて、それまで全く赤の他人だったのにフイに話しかけてきて意気投合した人との再会がありました。

 N市郊外の開業医の息子IS君ともまた近所の席になり楽しく話しました。彼は、このまま地元のR大に合格して、現在は、親が開業していた内科クリニックを継承しています。後で大学時代の親友の高校時代の親友だったとも聞き更にビックリしました。

 二日目の面接のときは、面接室の整理監督をしている事務の女性がどの人を見ても綺麗な人ばかりで試験を受けると言う緊張感を忘れて見とれていました。私の部屋の監督の女性など島田陽子みたいで本当に良かったです。

 絶対合格できる気でいて思わぬ不覚をとる目にあい、意気消沈して故郷に帰りました。それに比べたら、分が悪く内心かなり恐れていたM大があと1週間後に控えて戦々恐々とした気分でした。二浪目入試最後の戦いになるM大入試については、次の記事にします。

PS この記事の締めは、ホテルの中で見た番組でやっていたエクスホゼの"シーズンチェンジ"にします。試験をやらかしてしまった後の悲しい気持ちを思い出します。






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