【シン・ことわざ論】時は金なりーーその言葉は、何を見えなくしてきたのか?
「時は金なり」
この言葉を、聞いたことがない人はいないだろう。
努力を語るときも、効率を語るときも、
必ずといっていいほど持ち出される。
でも、少しだけ立ち止まって考えてみたい。
時間は、本当に金と同じものなのだろうか?
時間=金という発想
時間は「使うもの」であり、「節約すべきもの」であり、「投資すべきもの」。
そう考えるのは、少し前の時代に生まれた発想だ。
労働力を時間で測るようになり、
成果を上げることが当たり前になり、
私たちはいつしか、
時間さえも「効率」と「価値」で測るようになった。
けれど、実態はどうだろう
「時は金なり」と言いながら、
私たちは働いていない時間を、
無気力に、あるいは逃げるように過ごしてしまうことがある。
稼いでは使い、また稼いでは使う。
そんな繰り返しのなかで、
時間も、金も、意味を持たないまま流れていく。
時間を金に換算する社会は、
案外、時間も金も大切にできない社会なのかもしれない。
SNSは時間の”換金装置”
SNSによって世界の情報効率は格段に上がり、私たちはその恩恵を享受している。しかしそれゆえにSNSを提供する企業が、無料のコンテンツでどのように利益を上げているのか、
その構造を深く理解していない。
その本質は、「私たちの時間」を換金することにある。
ユーザーがSNSに滞在する時間、
その注視、興味、感情の動き──
すべてがデータとして収集され、分析され、
広告モデルを通じて現金化される。
つまり私たちは、
無料のように見えるサービスのなかで、
自分たちの最もかけがえのない資源──「時間」を、
静かに売り渡している。
しかも自覚なしに。
時間は、本来もっと大きなもの
時間とは、金に換えられるものではない。
時間とは、
失われたら取り戻せない、
たった一度きりの、
命そのものだ。
本当は知っているはずだ
働かなくても、消費しなくても、
何も生み出さなくても、
たしかに満ちている時間があることを。
それは、
ただ空を見上げることかもしれない。
約束もなく、道を歩くことかもしれない。
誰にも説明できない、小さな独り言かもしれない。
金にはならない。
でも、それは確かに、
私たちが生きている証だ。
小さな回復のために
稼ぐことと、満たされることを、混同しない。
消費しない時間を、自分に許す。
誰にも評価されない時間を、大切に抱きしめる。
そんな小さな習慣が、
「時は金なり」という言葉に縛られない自分を、
少しずつ育ててくれるかもしれない。
Think民より
焦らなくていい。
取り戻すべきものは、最初からあなたのなかにある。
世界を変えるのは、
たくさん稼ぐことではない。
世界を変えるのは、
誰にも知られない場所で、
自分の命を、もう一度抱きしめ直すことだ。
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