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takumi_yano
夏の終わりの夜
八月最後の夜は、思っていたより静かだった。
昼間まであれほど騒がしかった蝉の声も、今は遠くでかすかに聞こえるだけ。海から吹いてくる風には、ほんの少しだけ秋の匂いが混じっていた。
「……本当に明日、行くんだね」
そう聞くと、彼女は海を見たまま小さく笑った。
「うん」
たったそれだけ。
けれど、その二文字が妙に重かった。
明日の朝、彼女はこの町を出ていく。
もう会えないわけじゃない。連絡だってできる。そんなことは分かっている。
それでも、今夜が最後なのだと思うと、隣にいる彼女との距離が、いつもより近く感じられた。
「ねえ」
「ん?」
「今年の夏、楽しかった?」
彼女がこちらを振り向く。
街灯に照らされた横顔は、いつもより少し大人びて見えた。
「……楽しかったよ」
「そっか」
「でも、一つだけ後悔してる」
彼女の笑顔が止まった。
「何?」
答えようとして、言葉が喉につかえる。
花火の音が遠くで鳴った。
夏の最後を知らせるように、夜空が一瞬だけ明るくなる。
その光が消えたあと、彼女は静かに僕の手に触れた。
「……言わないの?」
その声は、いつもの彼女より少しだけ小さかった。
僕は握り返すこともできず、ただ彼女を見つめた。
明日になれば、この手を離さなければならない。
だからこそ――
今夜だけは、離したくなかった。
