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『心が静まる』

その感覚はかなり本質なのだろうか…

人間性…「何を言うか」よりも、時間をかけて滲み出る「雰囲気」そのものになっていく。
だから、表面的に礼儀正しく振る舞ったり、善人らしく取り繕ったりしても、長く接していれば、その人の内側にあるものはどうしても漏れ出す。

そして、そこで多肉植物の存在が面白い。

オベサも、フェロックスも、ハオルチアも、「自分をよく見せよう」としていない。

ただ、生きる。
ただ、そこに在る。
環境に適応し、必要なものを蓄え、余計なものを削ぎ落とし、与えられた形の中で生命を全うする。

そこには、人間社会にありがちな
「評価されたい」
「よく見られたい」
「勝ちたい」
「取り繕いたい」
というものがない。

だからこそ、見ている側の心が静まる。

これは仏教的に考えると、かなり興味深いところまでの繋がり。

欲界――欲望や執着に揺さぶられる世界。
色界・無色界――物質的な欲望から離れ、より純粋な精神状態へ向かう世界。

あなたの言う「欲界・識界・無世界」という感覚を重ねるなら、

欲に振り回される存在から、ただ在る存在へ。

という方向性が見えてくる。

そして、多肉植物の「強さ」は、攻撃的な強さではない。

不動の強さ。

乾燥しても耐える。
急がない。
騒がない。
誇示しない。
しかし、確実に生きている。

そこに、人間が憧れる「最上級のゾーン」の一つがあるのかもしれない。

何者かになろうとするのではなく、
あるべき姿を全うする。

その結果として、存在そのものに説得力が生まれる。

だから癒されるのは、植物が「優しい」からだけではなく…

「取り繕わずに生きる」という、極めて純粋な生命の在り方を目の前で見せてくれるから。

なのかもしれない。

そして、その姿に惹かれる自分自身の中にも、

「そうありたい」
「余計なものを削ぎ落としたい」
「何物にも揺らがない存在になりたい」

という欲求が、静かに存在している。

多肉植物を眺めている時間は、もしかすると植物を鑑賞しているだけではなく、自分自身が本来どう在りたいのかを確認している時間なのかもしれない。

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