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【香港生活⑤】閉塞感と挫折|実は海外生活向かない組?|落ちこぼれの一時帰国

まずは昨年の香港大埔火災で犠牲になられた方々のご冥福をお祈りするとともに、負傷された方やご家族の皆様が一日も早くご回復されますよう、心よりお祈り申し上げます。

皆さんの優しさや他者を助ける思いやりの心に救われ、5年間現地で生活をさせてもらいました。一度は諦めかけた香港生活でしたが、また戻ってきて、毎日が楽しいとまで思えるようになったのは、香港人の方々の温かさのおかげです。
今日はそこへ至るまでの経緯として味わった挫折感など、辛い思い出についても書いていきたいと思います。

①半年も経てば毎日がただの生活になるという現実

思えば異常なほどテンション高く始まった香港生活だったが、昔から映画で見てきた憧れの街、歴史を追い続けてきた大陸であるというアドバンテージをもってしても、それを持続させることはできなかった。
半年経てば物珍しさはすっかり消え、一通りの観光や美食を楽しんだあとに待っていたのは牢獄のように孤独で延々と続く平たい時間のみ。
いざ本当の意味での『生活』が始まってみると、これまで輝いて見えていた全ての世界は反転したように色をなくし、踊る心は停滞を始め、少しずつ『持たざる者』である自分を浮き立たせていく。

②食生活に関する破綻

まず、香港に渡るまで15年間フルタイム残業付きで働いていた人間が突然不慣れな専業主婦になるということ。それも住み慣れた国ではなく海外で。
近所に日系スーパーがあったのが救いだったが、それでも売られている食材は中国産が大半で、見たこともない野菜や珍しい果物がごろごろしていた。
日本産の食材を買おうとするなら価格は日本の3倍以上するのが当たり前。液状化しかけたモヤシでも1袋350円くらいで売られている世界である。日本の牛肉なんてとても買える値段ではない。

それでも自分なりに納得できる食材を選んで生活していたわけだが、食に関する決壊はある日、大好物の『粕汁』を作った時に突然やってきた。
珍しく好きな銘柄の酒粕が売っていたので「香港で粕汁が食べられるなんて!」と喜び勇み、スーパーでばら売りされている野菜を大量に買ってきて揚々と調理したわけだが、出来上がったものを食してみるとなんとも珍妙な味がして固まってしまった・・・のである。
それもそのはず、なんとゴボウだと思って買ったのは中国産の長芋(!)で、サトイモだと思って買ったのは馬蹄(これも中国のイモ)だった。
なんか変わったゴボウだな~♪とか思いながら買ったにせよ、今考えてみればどう見てもゴボウではない。これも今となってはかなりアホな笑い話の一つに入るのは間違いない。

しかしさらにショックだったのは、粕汁に入れた豚バラ薄切り肉に大量の軟骨が付いたままだったこと。あちらでは骨付きの肉を好む方が多いからなのかも知れないが、骨の処理が甘い肉が結構な確率で売られており、元々骨付き肉を好まない私にはこれが結構きつかった。
日本のものとはどこか違って淡泊な味の中国野菜、同じ味噌や出汁を使っても水が違うために味が変わってしまう汁物、薄切り肉として加工して販売されているのに骨が付いたままの肉。
見た目は日本で調理したものと全く同じなのに、あまりにも違う大量の粕汁を目の前にしたとき、その気持ち悪さと違和感に初めての涙が出た。
ちょっと違うかも知れないが、不気味の谷に見る嫌悪感と感覚が少し似ていたようにも思う。

③体にあらわれた不調の数々(頭髪脱毛)

水の違いといえばもう一つ、香港の水道水は日本と違って硬水なのだが、これが原因なのかストレスだったのかは不明であるものの、数か月が過ぎた頃から頭皮がピリピリと痛み、髪が大量に抜けるようになった。
夫は問題なくフサフサしていたので、今思えば精神的なものだったのかも知れないが、結局最後まで原因が分からないまま、一時は髪がなくなってしまうのではないかと恐怖するほどのおびただしい量が抜けていた。
通常は髪が抜けるといっても長く伸びたものが自然に抜ける程度のはずだが、私の場合は伸び始めて間もない1cm程度の毛髪までが大量に抜けていたので、明らかに異常が起こっていたのだと思う。
円形脱毛というのでもなく、満遍なく抜けていくものだから全体的に薄毛になってしまい、最終的にはロングヘアが見るに堪えないためバッサリ切ってショートにしてしまったのだが、30代後半なのに髪が抜け続けるというのはなかなか壮絶な体験だった。

また、最初はあれほど楽しんで食べ歩きをしていたのに、いつ頃からか元々苦手な八角や全体的に甘めな味付けの料理が合わないと感じるようになり、さらに食材の違いから凝った料理を作ろうという意欲もなくした結果、気づけば食欲不振になって酒のつまみばかり食べるようになっていた。
そのためか体重も減ってしまい、朝起きると天井が回っていたり、街中でも視界がぐるぐる回ってしゃがみこんでしまったりと、しだいに不健康な状態に陥っていくのだが、これが危険なことだと自分で認識できるようになったのは随分経ってからのことだった。

④友人を一から作ることの難しさ

人間には対話できる相手が必要なのだと、このとき初めて痛感したように思う。もちろん日常的に夫と話すことはできたが、香港に住んだ当初、私には友人が全くいなかった。
元が仕事中心の生活だったため考えたこともなかったのだが、いざその習慣を失ってみると、膨大な時間を1人でどう過ごせば良いか、とにかく途方に暮れた。
最初は一人で電車やバスに乗って散策に出かけるのを楽しんでいたが、それも上記の通り徐々に生活感が増してくるにつれ、むしろ苦痛に思うようになった。言葉が通じない環境ではストレスの連続だし、もとより目的地もなければ分かち合える相手もいない。
旅行であればその全てを希少な体験として楽しむことができたはずなのに、いつしか自分で自分を追い込むように、環境に対する不満を溜め込むようになっていった。

そのうちSNSで日本人の友人が見つかり、楽しい時間も徐々に増えてはいくのだが、頑張って動かなければ孤独から抜け出せないという状況は、元々積極的にSNSをやるわけでもない人間にとっては苦痛でしかなかった。
同じ場所にいながらキラキラな投稿をしている見知らぬ誰かを羨ましく思うこともあったし、同じようにできない自分(生来の面倒くさがり)に挫折感を覚えることもあった。
また特定地域に住んでいる日本人という狭い世界の中だけに、色々な人がいることは理解しているのだが、自分を曲げてまで仲良くしなければいけないものか?と自問してしまうような経験もSNS上では時にあり、これも閉塞感を助長させることになった。

⑤そして一時帰国へ・・・

あれだけ楽しみにしていた憧れの生活だったのだから、まさか破綻するわけがない、今がストレスのピークなのだ、自分は強いはずだ、だからまた別の波がやってくるはずだ・・・そう願い、自分を騙し騙し生活を続けていたわけだが、結局半年が過ぎるころには「こんなはずじゃなかった」という挫折感もりもりで帰国の途に着くことになった。

夫は理解してくれていたし、自分としても「一度帰るだけ、リフレッシュして戻ってくるんよ!」という気持ちではあったわけだが、この時初めて、安易に辞めてしまった仕事のことであるとか、憧れの新天地で何かを得るどころか精神的に追い込まれてしまった自分の弱さみたいなものに嫌気がさし、後悔の念が沸き上がって来た。

言うなれば、本来の姿はずっと『仕事人である私』という外殻に守られていたわけで、この殻をなくして中身を露呈させた自分はあまりにも情けない姿だった・・・という、そういうことなのだと思う。

今日のさいごに

最後まで写真なしで書き終わってしまいましたが、今日の記事に合うような写真がなく、、また別記事でたくさんアップできたらと思います。
今日は暗~い話をまとめましたが、これを書かずして後の楽しさは語れないので、ここでぶち上げ?させていただきました。
次回何を書くかはまだ決まっていませんが、楽しいことも辛いことも引き続き書いていきたいと思います。

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