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【心のお粥】ゆるゆるに、ゆるむ。



ガチガチの社会で生きる僕ら


がちがちに力んだ社会で、
ゆるゆるに、ゆるむ。





頑張れ。

もう頑張っている人ほど、
よく聞く言葉。


物心がついた時にはもう、
ちゃんとすること、
頑張ることに、
染められ始めていく僕ら。


学校でも、社会でも、
頑張ることは当たり前。

頑張れなければ落伍者にでもなるような、
そんな空気に満ちています。


頑張れ、頑張れ。


僕は頑張ることに恨みがあるわけではないんです。
むしろ、頑張れるって素晴らしい。
それはそれで美しい。


ただここで言いたいのは、
頑張ることは教わっても、
「力の抜き方」を教わる機会があまりにも少ないのでは?
ということなんです。


人生の中で、

「もっと、ゆるみなさい。」

なんて、言ってもらえたことはない。


だからこそ、僕は軽やかに言いたい。

もっと、ゆるみましょ。

力むことの信者になった僕の話


ちょっとだけ、僕のことをお話させてください。


眩米は学生時代サッカー少年でした。
それこそお米のような丸坊主だった時もあります。笑

ワールドカップで活躍できるようなスーパースターを夢見て、
小中高とサッカーに励んでいたんですね。



小学生の時は、
それはそれは恐ろしい鬼コーチのもと、
厳しい教育を受けてきました。

「虐待」「体罰」というような言葉も、
今ほど浸透していない時代でしたから、
スパイクの裏で蹴られるは、
試合に勝っても内容が悪ければ延々と走らされるは、
特に僕はキャプテンを任されていたこともあって、
かなり厳しい仕打ちを受けました。


最も辛かったのは合宿中のある日、
チームメンバーの前に立たされて、
鬼コーチから一言、

「お前、センスないから辞めれば。」
と、言われたこと。


夢見る少年からすれば、
あまりにも重くのしかかる一言でした。

僕はこの日からセンスという言葉に悩み、
さらに頑張ろうと、もがくことになります。


家では、
「勉強も頑張らないとサッカーは辞めさせる」
と言われてきました。


幼い時から
頑張ることを強要されてきましたから、
力むんですよ。
自然と。


頑張ることが正義だと思い込んでしまう。


僕はまさに頑張る教の信者へと養成されていたんです。


社会人になっても、
サッカーとは別のフィールドで僕は頑張りました。


頑張り続けることに慣れ、
自分を追い込み、
心は壊れ、
挙げ句の果てには鬱病も経験しました。


そこまで追い込まれて初めて、
頑張ることが正義だという思い込み」
に気づくことができたんです。

頑張り続けることでパフォーマンスは下がる


力みはパフォーマンスに影響を与えます。

これはサッカーのような競技だけではなく、
仕事にも普段の生活にも当てはまる。


実際に体験してみた方がわかりやすい。


今、全力で拳を握ってみてください。
100%ですよ。

果たして何秒、全力でいられるでしょうか?

1分できた方はアスリートへの道が開かれているかもしれないです。笑



そうです。
全力って短い時間しかもたない。

そして、すぐ疲れます。

100%の力で拳を握り続けていると、次第に腕が震え出し、
最後には痛みさえ感じ始めますよね。


これ、実は僕らの心もおんなじなんです。
ただ体よりも力んでいる感覚が鈍く、分かりにくい。


常に全力を出さなきゃ。

もっと頑張らなきゃ。


そうやって、力んだまま毎日を過ごしていたら、
いつしか心は悲鳴を上げる。


握りしめた拳の中には、余白がない。

新しい空気も、誰かの優しい温もりも、
入ってくる余地がないんです。

振り返るとそこには、
自分の非力さと、凝り固まった痛みだけが残るんです。


そして、こう考える。

こんなに頑張っているのに、なんで?


僕は今、
拳をほどいた瞬間の脱力感、
その感覚こそが頑なだった人生に変化を与えると信じています。


では、具体的にどうすればゆるめるのか?

ここから先でお伝えします。

これをもっと前から知っていたかった

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