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人工甘味料の波 NEVER STARTING SUMMER|シロクマ文芸部《波の音》

波の音とは縁遠い生活を送ってきた。海の近くに住んだことがないからだ。一度、小さな川の近くに住んだことがあって、夜、耳を澄ますと水が石に跳ね返る音が微かに聞こえていたけれど、あれでは波とはいうまい。もしわたしが波を書くなら、山並みを渡る風の音になってしまう。しかし、波といえば、なんといっても大海原を寄せては返すものである。

そんな貧しい海経験なので、代わりに波の音を想起させる曲を考えてみた。ドビュッシーの交響詩『海』を引用すべきかもしれない。上昇音階と分散和音が波のモチーフとして使われている。いや、気取ったところでしょうがない。わたしの思う「波の音ベスト」はこれではないのだ。

海辺の恋を歌ったJ-POPには、密かな憧れがある。TUBEの「シーズン・イン・ザ・サン」には太陽にぎらつく波が、森高の「夏の日」には午後の影を抱き込む波が、キョンキョンの「潮騒のメモリー」には妙なざわめきがある。
だが、わたしの波はそこにもない。波そのものではなく、もっと人工的で、もっと甘くて、もっと厨二的な波だからだ。

杉山清貴&オメガトライブ(1985)の「ふたりの夏物語 NEVER ENDING SUMMER」は、特に印象的だった。
部屋の番号を砂に書いて、誘っちゃうのである。グラスを頬にあてたマーメイドが「本気?」と微笑んじゃうのである。極めつけに「オンリー・ユー」と君にささやいちゃうのである。──そんな、時に押し時に引くようなハイソで背伸びした恋の駆け引き。その男女のあわいの揺らぎこそが、わたしにとって寄せては返す波の音である。

憎からず思っていた幼馴染の女の子から借りたマイベストを、長い犬がプリントされたオサレなテレコに入れ、再生ボタンを押したとき──杉山清貴の声が部屋の空気を震わせ、わたしの世界に海が出現した。
細い字で書かれた曲名リストが、妙に大人びて見えた。砂っぽいヒスノイズが波のように揺れていた。そんな海の端っこで、わたしの心も千々に揺れていた。その水たまりに黒猫がちょんと前足を付け、慌てて引っ込めた──ような気がした。
「オメガドライブよかったよ」と言ったら、彼女は少しだけむくれた。波に寄せられた波打ち際のふぐみたいだった。

今になってみれば分かる。夜のマリーナも、キールのグラスも、銀のビーチも、ホワイト・ディンギーも、ずいぶん設定盛ってね。──そして、彼女も、甘い海に行きたかったんじゃね。波打ち際で、ふぐ、つつきたかったんじゃね。

すべては、音楽が作り出した80年代J-POPの人工的な海だった。しかし、わたしたちはその目くるめく大人の世界に憧れた。海という概念を借りた恋の舞台装置と、波の演出。その人工の波間に、ふたりの夏の物語は甘く揺れていた。あの頃のわたしたちは、その程度に不器用だった。ただ背伸びしたほんとうの中二だった。

だけど、わたしは、結局海に行かなかった。
だからこそ、波の音は今も甘いままだ。実際は妙にべたついた塩味なのに。

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