「未来への期待値」
まぶたが痙攣する。
あのとき、仕事のことを1日中考えていた。
2024年、仕事は順調だった。
給料も上がった。
周りから見れば成功していた。
それなのに私は死にたいと思っていた。
22時に退勤して、ファミリーマートで揚げ物とお酒を買って
家に入ったらそのまま意識を失い寝ていた。
歩きながら食べて飲む5分間ほどの時間が唯一の自分だった。
それでも24時まで仕事していたときよりは労働環境は改善されていた。
日付をこえて夜中に起きて朝目覚めたらそのまま誰よりも早く返信することに生きがいを感じていた。
仕事は楽しかった。本当に楽しかった。
人間関係は良い時も悪い時もあった。
社内にリスクを犯して発言をしたことはあっただろうか?
今となってはわからない。

「みよし少年の話をきけてよかったよー」
先日、東京関西を往復する際の車の中での、
ふとした一言で2024年ごろの自分に心がタイムスリップしていった。
深夜のドライブの0.5ジゴワットぐらいのスピードで
思考が現実と過去2~3年の間をいったりきたりする。
思ったよりも自分は自分のことを話していないんだなー。話しているようで伝わっていないんだな。。自分がなにものかを言葉にしようと頭の中を巡るが、記憶が整理されていないのか、出来事はあっても感情は思い出せない。
2016年に父と祖母が亡くなった。2026年は仏教では九回忌と表するようで、親族と縁をきった私はひとりでお墓に行くもその時のつらかった感情に蓋がされてしまい、何も思い出せずにいた。ただ太陽が眩しくて、つらい気持ちにひたりたいのにいい天気だった。
たしかに私は生きてきたのだ。

・2024年:「順調」の裏にあった虚無と、「生きたい!」の絶叫
キャリアは超順調。
未来から一歩ひいて過去をみてみると、順調じゃん。と呑気にみえる。当時の葛藤とは別に、事実のみが残る。
なんだか死にたいと思っていた。
それは鬱でもないし、希死念慮でもない。
未来に希望がもてずにいた。いっそ仕事もなにもかもぐちゃぐちゃだったらそう思えたのかもしれない。
口癖は未来への期待値がない。だった。
結婚もしていないし子どももいなくて、父と祖母が亡くなり相続放棄して親族とも縁を切っている。友人は結婚をしてコミュニティは断続的になっている。
飲み会で度々この話をする私に誰からも返答はなかった。「またこの話か、お前の人生だろ。」と、うんざりしていたと思う。
仕事だけがうまくいっていた。
仕事がうまくいくことは、自分という生物の出来事とは別の事象なので、うまくいっていることが自分の人生の多幸感をあげることではなかった。給料は上がって嬉しかったけど、もう3年ほど変動がなかった。土日も働き仕事の電話で目覚め緊急対応でPCを持ち歩きカフェで時間をぶしていた。
家に帰ると誰もいなかった。
コロナも明けたし、自分は何をしたいんだろうか?
会社の成長に依存して、自分の心の声に蓋をしていた反動に、2023年38歳ごろから悩みはじめていた。
旅好きのコミュニティに参加してみたが、平均年齢のギャップに人見知りをしてしまい、高いお金を払ったが何も変わらずにいた。
8ヶ月過ごすなかで私はそのスクールで学び得た、「want to」と「have to」の違いについて向き合っていた。
仕事はできるようになったし、ロジカルに物事を考えられるようになったが、それが感情に強い蓋をしていた。
蓋を開けられないまま卒業を迎えた私は、下記のように「have to」を用いた「want to」を形成し発表した。
自身の「want to」と「have to」はかなり近いところにあり「want to」 を言語化する、恥ずかしさ、難しさ、社会性に「have to」を手段として用いている自分がいることに気づきました。
~中略~
そんな自分は、恋をしていて、恋されていて、愛していて、愛されていたい。まだ見ぬ南極に私は行きたい。

その後、他のメンバーが参加していたリブーストという研修に参加した。
「生きたい!!!!」と叫んだ。
8月の青空の下、都心の暗いビルの一室で、生きたいと叫んでいた。
声は枯れ涙が止まらなかった。
嘘つけよ。
本当のこと言えよ。
自分のこと、もっと大切にしろよ。
鼻水が止まらなくて呼吸が出来なかった。
感情が溢れて決壊した。
誰かが生きたいと思った今日を、自分が死にたいと思って生きるなんて間違っている。
生きたいって叫んでそのエネルギーで生きたいって思ってもらえる人間になる。
真夏のエアコンの効いた室内だったが、会場の中に泣いている人しかおらず、異様な雰囲気だった。いい効果もわるい効果もあったのだろうが、大きな経験だった。
ビジネスを成功するロジカル思考ではなく、
リスクを犯してでも発言をする。その勇気と覚悟を人生で持つことを体験した。
あの日、初めて「正しいこと」より「本当のこと」を話した。
ここで得たマインドを大切にしたく、ひょんなことから1,300人の観客の前にたつミュージカルに挑戦することになる。
そう!
感情と身体の剥離が大きくなっている自分であることに気づいた私はそれを改善したくてミュージカルの舞台に立つことにした。これが今に続くコモンビートになんで参加したの?なんで続けているの?の初期衝動であり、私のマインド(参加したきっかけ)である。

はじめて参加したミュージカルは歌うこと、踊ること、演技をすることが、そのままダイレクトの自分の殻を破ることにつながり、時間がかかる部分が多かったが、たしかに変化した心の部分を大切にしたく、まだ舞台の幕が開けるより前に、仕事を抜け出して翌年のスタッフ説明会に参加していた。
・2025年:心身の限界、そしてエアコンの効いた部屋での8ヶ月
なんだか激動で、一生忘れたくないぐらいの出来事であったが、今は少し記憶に蓋がされている。いつか気持ちが整理できたら。と思いつつ時間が経っている。それだけ情報量が多く処理に時間がかかっているのだ。
40歳になるのが怖かった。
2024年に抱えていた未来への期待値がないという感情は消えていなかったが、感情を動かす量を多くすることでその割合を減らすという作業を日々行っていた気がする。
もうすぐ40歳だしと仕事を辞め、そのまま自分でも驚くが給料がでるわけでもないスタッフとなり再びミュージカルのプログラムに参加していた。
自分の心の声と身体の声が近づくようにならないかな。というのがテーマになっていたが、少し頑張りすぎたことと、自分に期待をしすぎたことで、プログラムに参加しかけがえのない体験のほうが圧倒的に確かに多かったのだが、体調を崩してしまった。心身ともに。
熱中症になり悪化したまま肺炎になってしまったこと、アキレス腱を痛めてしまったこと、仕事を辞めたことでそれに頼っていた自分の精神が緩んでしまったこと。そんな感じのことが重なって、二回目の舞台出演後には、世界を変えようと思ったのに何も変わっていない。という、そんなにたいそれたことで悩んで責任感じる必要あるっけ?拡大解釈して論理飛躍してね?という自分でも疑問があるが、抜けられない負のループに立たされていた。
ちゅんちゅんちゅん
自分でも驚くことに、8ヶ月、社会から降りた。変わりたいと言いながら、昼夜だけが逆転し、何も変えられない日々だった。
朝ドラを流し、桃鉄をやり、誰とも話さないまま日が暮れる。
人の気配がなさすぎて、本当に地球が滅亡したんじゃないかと思う日もあった。

・2026年:下心と恋と、消えていた「期待値」
自分でも予想していなかったが、またまたまた、ミュージカルプログラムに参加していた。3回連続3回目となり、スタッフも経験している人物は気づいたら自分だけになっていた。「好きだねー」と周りに揶揄されるも、自分でも「実は好きな人が出来て近づきたいためだ。」という下心を理由に言うことが出来ず。「仲間のために」と遠回しな表現で回答していた。結果的にその恋は実らなかった。コモンビートと自分の人生の重なる円がもっと増えるといいなーと思った。
気づいたら死にたいという感情はなくなっていた。


・まとめ
綺麗にまとめるのは、なんだかあきらめた。心が整ってから更新と思っていたが、夜に散歩していたら、「あれ?そう言えば」「ずっと未来への期待値が低いって嘆いていたよな」自分。と思い出し、それが自分のなかを通り過ぎて、寝て起きたら薄まる感情にしたくなく、かっこ悪くてもちゃんと残したくて更新してみた。
かつて「未来への期待値がない」と死にたがっていたくせに、いま呑気に失恋もしながら、何も考えずに前を向いている。
再び感情を爆発させて、現在地と目標を再定義するために、今週末から1週間大阪に行ってくる。
「自分が意味のある役割を持って、信頼している仲間と共通の目的に向かっている実感」「可能性が低い集団が、信頼と役割によって期待を超える瞬間」
そんな実感、瞬間を2026年に自ら創り上げる。
生きたいと叫んで、そのエネルギーで周りを巻き込んで元気にするんや!
その宣言として。
もっとその前にある、愛することを自分から拒絶しないために


おしまいんど


