『交響詩篇エウレカセブン』何気ない日常を願う気持ち
『交響詩篇エウレカセブン』を知ったきっかけは、テレビ放送ではなかった。
パチスロだった。
演出や音楽が気になって、「どんな作品なんだろう」と思い、20代前半の頃に全50話を見た。
それから何年も経った。
最近、ふと「バレエ・メカニック」の回だけを見返した。
そして、不思議なくらい涙が出た。
当時も好きな話だった。
でも、今は好きな理由が少し違う。
あの頃は、レントンの成長や物語の展開に夢中だった。
今は、一人ひとりの抱えている痛みや、不器用さに目が止まる。
年齢を重ねると、同じ作品なのに見える景色が変わるんだなと思った。
特に印象に残ったのは、アネモネ。
彼女が語る願いは、世界を変えるような大きなものではない。
ただ普通に笑って、誰かに気持ちを伝えて、穏やかに生きたい。
そんな、ごく当たり前の幸せだった。
その姿を見ていたら、「生きたい」という言葉は、特別な決意ではなく、何気ない日常を願う気持ちなのかもしれないと思えた。
だからこそ、あの独白が今の自分には強く響いた。
もちろん、僕が好きなのはその一話だけじゃない。
『エウレカセブン』という作品そのものが好きだ。
少年だったレントンが、何度も失敗しながら少しずつ成長していく姿。
ゲッコーステイトの仲間たちが、一緒に食事をしたり、笑ったり、言い合いをしたりする何気ない時間。
物語の本筋とは直接関係ないように見える話も少なくない。
今なら「テンポがゆっくり」と言われるのかもしれない。
でも、その積み重ねがあるからこそ、登場人物たちが「キャラクター」ではなく、本当にそこに生きている人たちのように感じられる。
だから後半の出来事が、自然と心に入ってくる。
久しぶりに見返して思った。
昔好きだった作品は、自分が変わったタイミングでもう一度見ると、新しい作品のように感じることがある。
『エウレカセブン』も、まさにそんな作品だった。
今度は、一話目からゆっくり見返してみようと思う。
