Örlög 第二十一話 聖書の印
オフェリアが出立し、夜が訪れた。
内々に、彼女の足取りを追っていたズェルヴァンもさすがに捜索の手を広げざるを得ず、王宮の早耳の従者たちが、小声で何事かと囁き始めた。
夜も更けた頃、侍女たちの寝所にイングリドがそっと訪れた。
クラァラはまだ起きていて、ベッドの傍らで聖書に祈っていた。今、オフェリアが乗った馬車はどこを走っているのだろう、あるいはどこかしらで休息を取っているのか、朝が来て、港に着いて、船に乗れば、まずは一安心、そう思って一心に祈っていた。
すると、背後から静かに灯りが近づいて来た。
イングリドだった。眠っている他の侍女を起こさないように、そっとクラァラに近づいて来たのだ。
目で合図され、クラァラは一緒に部屋の外に出た。
寝間着に長いショールを羽織ったが、廊下は心底、寒かった。
「何を祈っていたのですか?」
「…いつもの、就寝前のお祈りです。」
クラァラの返事に、イングリドは怪訝な顔をした。
「ずいぶんと、真剣でしたが…。」
今度はクラァラが怪訝な顔をした。
「そうでしょうか?いつものお祈りです。」
「…オフェリアがいなくなったのは、知っていますか?」
イングリドは辺りを見回し、さらに声を低めて尋ねた。廊下もすでに灯りを落としているので、イングリドの持っている燭台の灯に、彼女の顔がぼおっと浮かんで、まるで尋問を受けているように感じられた。
「…いえ…存じません。」
「…驚かないのですね?」
女官長は刺すように聞き返したが、クラァラも負けてはいなかった。
「…そんなことになるのではと、ずっと心配していたものですから…」
「では、何も聞いていませんか?」
「はい、何も…。」
イングリドは大きな溜息をついて、廊下を戻っていった。
クラァラが、この王宮でついた初めての嘘だった。
翌日、騒ぎはじわじわと広がり、調理場の女たちまでひそひそ話を始めた。
「ご結婚が嫌で逃げ出した」、「殿下と通じ合っていたから」、「子爵夫人なのにもったいない」、「代われるものなら、代わってあげる」
神妙な口ぶりで話していても、結局は話の種に過ぎない。クラァラは通りすがりに耳にするだけだったが、気分が悪くなり、足早に通り過ぎた。
一方、ズェルヴァンは、この事態をいつ国王に報告するか、折を図りあぐねていた。
オフェリアが目指すとしたら、ハムレットのいるハンブルクに違いなかった。幾つかの港を隈無く捜索する、王の力を借りれば、それも不可能ではなかったが、大事にすれば、婚約そのものに傷がつく。果ては、自身の処遇にも影響を及ぼすだろう...。考えあぐねて昼も過ぎようとする頃、ズェルヴァンはトルヴァルドの書斎の扉を叩いた。
そして、現状のありのままを報告したのだった。
「行き先は、思い当たらんのか?」
トルヴァルドは淡々と聞き返した。目は読んでいる本の頁に落としたままだった。
ズェルヴァンが『ハンブルク』と答えるべきかどうか、躊躇っていると、
「ハンブルクであろう?」
とトルヴァルドの方から返ってきた。
「…はあ、かも知れません…」
ズェルヴァンは唇を噛みしめ、苦渋の表情を見せた。王が激昂すると思っていた。
しかし、トルヴァルドは鼻で笑うようにこう続けた。
「捨ておけ。」
「は?」
「放っておけと申しておるのだ。」
ズェルヴァンには、トルヴァルドの真意が掴みかねた。だが、取り敢えず、これで報告は完了した。
『あとは…』
ズェルヴァンは王の前から下がると、歩きながら、また考え始めた。通りすがりの従者が、気遣う目で彼を見ていたが、それは気にも留めなかった。
『もしも…、このまま、戻って来なかったら、子爵にどう伝えたものか?…いや…、殿下と…ということなら、あの若造も黙って諦めざるを得まい…。』
彼の脳裏には、母親にくっついた、人の良いアルヴィンの顔が浮かんだ。
『はっきりするまでは、伏せっていることにすればよいか…。』
こうしてこの日も、夜が訪れようとしていた。
ヴィグボルグから放たれた捜索者のうちの二人が、馬を走らせた挙句に、山中に迷い込み、この後の行動を相談していた。
このまま進んで、夜を迎えるのは難儀だった。「川辺に下りて、それから考えるか?」
二人は、疲れを見せ始めた馬をなだめるように、下へ下へと歩みを進めた。
この季節の夜は、昼の光をあっという間に、青灰色に呑み込んでいく。馬の息は荒く、白く、霧のように視界に広がっていた。
ようやく川辺に下り立つと、少し先で、松明の灯りが見えた。なにやら騒がしかった。
「何ごとだ?」
駆けつけた従者は、馬を飛び降り、声をかけた。川の中には、横転した荷車、息絶えた馬、散乱した積み荷で、川を堰き止めそうなほどの惨事だった。
「朝、見つかったんだ。昨日の夜に落ちたらしい。」
松明を持った男が答えた。
「乗っていた者は?」
「引っ張り挙げたけども、三人ともダメだった。すぐそばの村で預かっとる。」
「三人とは、どんな?」
「初老の男と、若いもん、それに…若い娘だ。」
二人の従者は、顔を見合わせ、その村へと急いだ。
村人に案内されたのは、村外れの廃屋だった。もとは教会なのか集会場なのか、石造りの頑健な建物だった。だが、中は荒れ果てていて、三人の遺体は、暗がりに寂しく並んでいた。
三人を引き上げた者の一人が、建物の入り口にポツンと座って番をしていた。
従者は、人探しをしていることを告げ、身元確認を願い出た。
「荷物には、全部、Lの字が付いてるで、そこの商館の雇われもんだろう。娘っ子は……」
男は憐れみで、言葉を詰まらせたが、閉じた目をまた開いて、続けた。
「外套の内ポケットに、王様んとこの印がついた聖書が入っとった。身なりからして、侍女かなんかの。綺麗な娘っ子だのに…」
従者たちはがっくりと肩を落とし、今は静かに眠る娘に対面した。
深夜、従者の一人は馬を飛ばして、ヴィグボルグ城に到着した。
「ズェルヴァン様にお取次ぎを!」
