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Örlög 第二十五話 滅びた王朝の墓

それでも、文書院に朝は訪れた。
考えながら、疲れ、寝落ちしているズェルヴァンを起こすことなく、彼にマントをかけてやったのは、職場に出て来た部下のべーガーだった。

彼はもう何十年もそうして来たように、小窓を開け、空気を入れ替え、王室の各係から届いた用済みの文書を整理し始める。必要か必要でないかを仕分けする。必要なものは、書庫から似たような束を取り出し、一緒に括り直す。必要でないものは、それが羊皮紙であれば、でき得る限り削って、再度、使えるようにする。これも、べーガーの仕事だった。

そうこうしているうちに、ようやくズェルヴァンが目を覚ました。
なぜ、こんなところで朝を迎えたのか、一瞬、思い出せなかったが、昨日のハムレットとのやりとりが甦ると、途端に気持ちが塞いだ。
射し込んでいる日の光を見て、また娘を思い出した。

「書院長、大丈夫ですか?」
書架越しに、べーガーが声をかけた。
「ずいぶんとお疲れのようで…」
「…すまない、こんなところで寝てしまうとは…」ズェルヴァンは立ち上がって、乱れた衣服と髪を、手で整えた。
「殿下は、何か難しいことをお言いつけですか?探し物ならお手伝いしますが…」
べーガーの親切な申し出に、ズェルヴァンは目頭が熱くなった。探して見つかる物ならどれほどよいか、とも思った。
「まあ、王室の方がこんなところにおいでになることなど、まずありませんが、昨日、顔を真っ赤にして、出ていかれた殿下を見て、前の国王様を思い出しました。お偉い御方ってのは、思い通りにならないとあんな風ですかね…。」
ズェルヴァンがこの文書院に来てから、これほどべーガーが喋ったのは初めてだった。たぶん、ズェルヴァンを気遣ってのことだった。
「前の国王?」
ズェルヴァンが聞き返した。
「はい、この文書院はヴァルン家が治めていた時からありますんで…。」
「ここに、ハルドレク公が来られたのか?」
「ええ、そうです。何を探せとお命じだったかは忘れましたが、ご期待に応えられず、顔を真っ赤にして、怒って出て行かれました。昨日の殿下を見て、思い出しましたよ。大昔のことですが…。」

ズェルヴァンの頭に、一つの光景が思い浮かんだ。
王妃テオドラが、ズェルヴァンから受け取った手紙に「ハルドレク」と口走ったこと、そして、その後の不穏な空気…。あのハルドレクとは、誰のことだったのか?

「ところで、ヴァルン家時代の文書は、ここにはもうないのだな?」
ズェルヴァンの問いに、べーガーは意外な答えを返した。
「全部とは言いかねますが…貴重な物は残しております。地下の倉庫に…。」
「地下?」
「そうですとも。」
べーガーは笑いながら言った。
「上の部屋が、こんなに溢れ返っているのは、地下が塞がっているからでございます。ここは、王家の墓場でもあるのですよ。私は…言ってみれば、墓守人ですな…」

一方、ズェルヴァンを言葉の剣で斬りつけ、文書院を出た後、ハムレットは怒りを抑えることができないまま、その足を、国王、王妃の居室がある主塔の最上階へ向けた。トルヴァルドは南、テオドラは西に部屋を構えている。
ハムレットは勢いもあって、トルヴァルドへの取次ぎを、侍従に命じた。
だが、トルヴァルドは城外に出ていた。自分で願い出ておきながら、少し安堵した彼は、今度は、西の間に向かった。テオドラも謁見に臨んでいて不在だったが、ハムレットは「待たせてもらう」と侍女に告げ、ズカズカと私室に入っていった。

そこは、「王妃の居室」であった。
ハンブルクの公爵邸で見た、娘時代の母の部屋ー祈りが日々の中心である「羊毛と木の空間」ではない。リネンの似合う娘が身を置く場所ではなかった。
今、ハムレットの視界に広がる空間、それは―高い天井から垂れる幾重もの深紅の帳、銀の縁取りの大きな鏡台。
窓辺には細工硝子、卓には金の燭台。
部屋中、香の匂いで包まれている。
金糸を織り込んだ絨毯の先には、一人で眠るには広すぎる寝台。その支柱には、絡み合う葡萄の蔓と祝福の花々が、象牙に彫り込まれていた。まるで、白い骨に刻み込むかのように。
どれもこれもが、国王トルヴァルドの「寵愛の証」だった。

ハムレットは気分が悪くなった。

クローゼットの中には、豪奢な衣装や毛皮が山と収められているに違いない。鏡台の上の銀の小箱には、高価な宝石が詰まっているのだろう。
ハンブルクの、あの静謐な部屋にいた娘は何処にいったのか?箱型ベッドに隠された、あの肖像画の男を愛した娘は?

入り口の扉が開いた。
「ハムレット殿下がお待ちです…中でお待ちになると仰せで…」
侍女の声が先に届き、やがてテオドラの姿が現れた。クリームイエローのドレスが華やかで、春らしかった。
「どうしました?急に…」
テオドラは、息子の姿を上から下へと見た。
「今日は、まともな恰好のようですが…」
「文書院に行って参りました。オフェリアの父親に、手紙を返せと要求しに。」
「…手紙?」
「私がオフェリアに書いた手紙と、オフェリアが私に書いた手紙です。どちらも、あの男の手で燃やされていました。」
ハムレットは無表情で伝えた。そして、眼差しは、母のどんな表情の変化も見逃しはしまいと、真っ直ぐにテオドラに向けられていた。
だが、彼女は、よほどの舞台俳優でもなければ無理というくらいの自然な顔つきで、その事実を受け止めた。
「燃やした?ズェルヴァンがですか?」
「そうです。オフェリアから直接、預かった手紙さえ、そのまま暖炉の火に。」
「…なんということを…では、あの子は…、あの子は、あなたの気持ちも確かめられないまま、あの馬車に乗ったのですか?…なんて、可哀想な…」
テオドラは、ドレスの袖口で頬を拭った。もう片方の手は、ソファの肘掛けに添えられ、小刻みに震えていた。
「オフェリアと子爵の婚儀は、いつ決めたのですか?」
ハムレットの尋問は続いた。
「…分かりません。私が知ったのは、決まった後、…陛下承認済みの通達でしたから。」
「そうですか…」
ハムレットは、天井を見上げたまま、しばらく黙り込んだ。そして、言った。
「母上は、この件に関しては無実ということですか。」
「…無実?」
テオドラは、息子の言葉に凍りついたように固まった。
「…私を疑っていたのですか?」
「あなたは私を、この城から遠ざけましたからね。」
ハンブルクへ行かせたことを指していた。あれからまだ一年も立っていない。なのに、オフェリアはもう永遠にいないのだった。
「城門も、この主塔に続く回廊も、何一つ変わってはいません。もう少しすれば、中庭に花々が戻り、私がここを離れた頃と寸分、変わらなくなるでしょう。でも、オフェリアは戻りません。」「…あなたをハンブルクに行かせたのは…」
テオドラは、言いかけたが、言葉は続かなかった。
「私を父上から遠ざけるためでしょう?私の存在が父上の不興を買っているから。」
「そうです!あなたの、反抗的な態度が…」
「違う!」
ハムレットは声を張り上げ、母を制した。
「確かに私の天邪鬼な気性は、さぞや、父上や母上を苛立たせるでしょう…。ですが、私が父上に疎まれる本当の理由は…、この髪の色、そして顎の形、口元…」
「何が言いたいのですか…?」
テオドラは、もはや恐怖に震えていた。
「よくお聞きになるといい、私は父親の亡霊に会いました。あなたの愛した男、ハルドレク・ヴァルンの亡霊に!」
テオドラは、よろよろとハムレットに近づき、すがりついてきた。
「...会った?…それは、どういうこと?どこで会ったの?」
ハルドレクの名が、息子の口から出たことも衝撃だったが、「会った」という言葉はいっそうテオドラの胸をかき乱した。
「お会いになりたいのですか?」
「会いたいわ、会いたいですとも…」
「なら、簡単だ。ハンブルクに行けばいい。あなたが、まだ清らかだった頃のあの部屋へ、あの箱形ベッドの中に彼はいますよ!」
ハムレットは嘲笑うように言った。
テオドラはハッとし、怒りを露わにした。
「あの部屋に入ったのですか?なんてこと!…なんて勝手な…!許せない…」
その声は、ぶるぶる震え、さっきとは別の涙がみるみるうちに、瞳をいっぱいにした。
あの部屋は、彼女にとって、今も聖域なのだろう、ハムレットはそう思った。
「あの部屋は、まるで修道女の部屋でした。祈りと真実の愛が、いまだに籠っていました。でも、今のあなたは、あそこには入れない…。その寝台の象牙の柱を見れば分かる。」
その場に崩折れているテオドラの脇を通り過ぎ、寝台に駆け寄ると、象牙の柱を拳で叩いた。
葡萄の蔓が絡み合う彫刻の柱を。
「ここで、あなたはどれほどの寵愛を受けましたか?…オフェリアは、…彼女は、そんなことは受入れなかった…そして、…死んでしまったんです!」「…でも…あなたは生きているではないの…」
床に手をついたまま―それは一見、懺悔の姿にも見えたが―、テオドラは途切れ、途切れに続けた。
「…あなたは生きている…でも、あの人は、死んでしまった。…私だって、あの人が生きているなら、地の果てまででも、追いかけましたよ。でも、あの人は…」
「…あとを追えばよかったではないですか?…父上を謀り、私を産み落とし、こんな苦しみを、なぜ、与えたのです?…私など、産み落とさずにいてくださったら…」
「…あなたを産み落とし、…この国を…取り戻したいと…」
「では、私は、復讐のための道具ですか?」
ハムレットは、不自然な笑い声をあげた。日がさらに斜めに入り、窓辺の細工硝子が反応するように煌めいた。
「おやめなさい!そんな笑い方…頭が割れそうです。」
「…私は、吐き気がしますよ。だってそうでしょう?私は、この…絡み合った葡萄の蔓から生まれたようなものだ。」
骨のように白い象牙の彫り物は、ハムレットの指先に吸いつき、しっとりと滑らかだった。

そして、その頃−国王トルヴァルドは、一人、王室礼拝堂にいた。

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