Örlög 第四十話 贈り物の波紋
翌日、エイリクは、何度もヨアンに礼を述べて、商館を出た。
「困ったことがあったら、連絡をください。」
若き商館の主人は、エイリクの両手を握り締めた。
彼はハムレットの友人だ。オフェリアのことで心を痛め、そして、クラァラに好意を持っている。だが、そんな背景がもたらす以上の誠実さを、エイリクは彼に感じ取った。もしクラァラが、彼の求婚を受けていたなら…、そう思わずにはいられなかった。
来た時と同様、リュースを引いて歩くうち、市が立っているのに気がついた。
食べ物だけでなく、身の回りの様々な品が、思い思いに並べられている。そのうちの一つが、木工品を扱っていた。
木彫りの人形、小さいスプーン、木馬、子ども向けの品が多いその店で、エイリクの目に留ったのは、ラングレ(ガラガラ)だった。赤と黄色の花模様が描かれたそれは、手に取った瞬間から優しい音を立てた。カラカラ…。
『うー、あー』
洗濯籠の中で、手足をばたつかせていたアスティの声が、耳の奥に甦る。
エイリクの顔には、自然に笑みが浮かんだ。
テオドラの宝石と替えた金で、最初に買うのは、アスティへの贈り物だ、そう思った。
「これを渡しに、帰りにもう一度、クラァラのところに行ける。」
そう思った途端、もう一つ買い物がしたくなった。
思い出したのは、クラァラの荒れた手だった。
市場の向こうに、落ち着いた佇まいの洋品店があるのが、目に留った。初めて入る類の店だった。思い切って扉を開けると、木の香りと、布の匂い、そして、革の匂いも入り混じっていた。
壁際には棚が並び、そこに整然と、ショール、婦人帽、リボン、 レース、そして手袋といった品々が、色とりどりに、しかも形よく並べられていた。
「いらっしゃいませ。」
主が出て来た。
「何かお探しでしょうか?」
その背後には、長い木の作業台が見えた。裁断鋏や糸巻き、物差しらしき物が見える。ここが、職人仕事の店だとすぐに分かった。エイリクの好みの店だった。
「革手袋を見せていただきたい。しっかりとした、普段遣いの物だが。」
「どのような時にお使いで?」
「家事仕事だ。しっかりした革のものを頼む。」
主が見繕ってきたのは、鹿革の柔らかい、それでいて丈夫な品だった。茶色、灰色、栗色…、同じ型で色が数種類あった。
「…では、これをいただこう。」
「かしこまりました。」
主は、エイリクが指差した濃い栗色の手袋を恭しく、包み始めた。
「銀貨二枚になります。」
「うむ。」
代金を出そうと、懐を弄っていると、ふと、ショウケースの中にある、洒落た高級手袋がエイリクの目を引いた。
羊革だろうか、淡いクリーム色で、手首に控え目な刺繍が施してある。ヴィグボルグ時代のクラァラなら、これくらいの物は身に着け、王妃の後ろに付き従ったであろう、そう思いながら、じっと眺めていると、主が横から尋ねた。
「奥方様にお考えですか?」
「うん…、」
真剣に考え込んでいたエイリクは思わず、生返事したものの、
「あっ、いや…、…そのようなものだ…」
と律儀に妙な否定をしたため、主はニヤリと笑った。
「なるほど…。そういう御方ですね。いい御品です。きっと喜ばれますよ。」
「いかほどかな?」
「銀貨四枚でございます。」
エイリクは黙って頷いた。
昔の自分なら気にも留めなかった額だが、今の暮らしでは小さくない出費だった。
「…では、これも包んでくれ。」
こうして、主に背中を押される形で、手袋を二つ購入することになった。この買い物は、いつも胴着の下に巻き付けてある、エイリクの財布から支払われた。
クラァラたちのいる施設には、昨日と同じくらいに到着した。馬の足は、日によって異なる。特にリュースはそういう馬だった。気持ちが乗れば早いし、そうでなければ遅い。それは、リュースの気持ちというよりは、エイリクの気持ちがそうさせるのかもしれなかった。丘の下から見上げても、今日はまだ洗濯物がない。男が続けて訪ねて、噂になってもいけないと思ったエイリクは、リュースに乗ったまま、物干し場に向かった。
クラァラの姿はなかった。彼は、昨日と同じように、地べたに腰を下ろし、リュースに積んでいたパンで、小腹を満たした。今日も秋晴れのよい天気だった。
そして、そのささやかな昼食が終わる頃、エイリクの思ったとおり、クラァラがアスティを抱いてやって来た。
もう首が座ったアスティを縦に抱き、例の籠をもう片方の手にぶら下げて、歩いて来た。
エイリクを先に見つけたのは、アスティのようだった。
「うー」という言葉に促され、クラァラが見た先にエイリクが立っていた。
駆け寄ろうとするクラァラに、エイリクの方が駆け寄った。一瞬、三人が家族になった。
「また寄ってくださるなんて!」
「街でアスティに土産を買った。渡したくてな…。」
彼はゆっくりとリュースのところに歩いていき、荷を解く。クラァラは嬉しそうに、アスティに話しかけた。
「何でしょうねえ…何かな?、何かな?」
カラカラ…、優しい音がした。アスティが手を伸ばす。初めて見るおもちゃに、きゃっ、と声を上げて笑った。
「よかったら、抱いてやってくださいませ。」
クラァラに促され、エイリクはひさしぶりにアスティを抱いた。
「重くなったな…」
エイリクはアスティを受け取りながら、もう一つの包みをクラァラに渡した。店の主が妙な気を利かせて、赤い派手なリボンがついている。
「それは、そなたにだ…。」
エイリクは、腕の中のアスティに、夢中でラングレを振り、クラァラの顔を見もしないで言った。クラァラは腰を下ろして、包みを開けた。
まず出て来たのは、栗色の革手袋だった。彼女は、まあ、と言って、その革の滑らかさを確かめると、早速、はめてみた。
「ぴったりですわ!ありがとうございます…。こんなよい物を…、」
エイリクは相変わらず、アスティをあやし続け、顔も向けずにただ頷いてみせた。
クラァラは、包みの中に、もう一つ、亜麻布で包まれたものがあるのに気づき、手袋をはめた手で、そちらの紐を解いた。出て来たのは、栗色のものとは違う、もっと滑らかで柔らかい、貴婦人の手にふさわしい品だった。
「これも、私にですか?」
クラァラは驚いて、エイリクに尋ねた。
「それは、出かける時にでも、はめるがよい。」
彼は相変わらず、アスティを見ていた。アスティはもはや、自分でラングレを振り、ご機嫌だった。
「…なんて、奇麗…でも、私には、勿体ない…」
すると、エイリクは、やっとクラァラに向き直って、こう言った。
「今の生活は、それはそれでよい。これも、神の御加護であろう。だが、ヴィグボルグ時代のそなたを忘れる必要はない…。」
エイリクは、少し言葉を選んで続けた
「…忘れて欲しくないのだ。」
クラァラの目に、涙が浮かんだ。
「…私も忘れたくありません。…ヴィグボルグは、私の故郷ですから…。この手袋、あのお城を思い出します。エイリク様がお選びに?」
「…選んだのではないな。目に入って、一目で決めた。テオドラ様のそばにいるそなたが、つけていそうな気がした…」
「大切にします…。」
クラァラは、握った手袋を胸に押し当てた。
エイリクに抱かれたアスティは、はしゃぎ過ぎたのか、目をとろんとさせ始めた。
「おねむのようだぞ、寝かせてやりなさい。」
「はい…」
クラァラは、アスティを受け取り、洗濯籠ベッドにそっと入れた。本来、彼女が横たわるべき、王女のベッドとは雲泥の差だが、本人は充分、幸せに違いなかった。
「実は、そなたに一つ、謝らねばならない。」
エイリクは、ためらっていたことを口にした。今なら、心のままに話ができそうな気がしていた。
「なんですの?」
「実は、ヨアン・リスベリに会ってきた。街に行ったのは、そのためだ。」
「まあ…。私、存じ上げています。とても親切な御方でしたでしょう?」
クラァラも、オフェリアのことでリスベリ商館を訪ねていた。
「ああ、とても世話になっている。……、彼から、そなたの近況を聞かれて、…子の母であると話してしまった。」
「事実ではありませんか…。」
アスティが眠りに落ちたのを確かめながら、クラァラは言った。エイリクは、だんだんとしどろもどろになっていく。
「まあ…、ただ、それが…、あの男、そなたの夫は?と、しつこく聞くので…」
「それで?」
「…、そなたのことを、“私の妻“と申した!」
アスティにとんとんをしていたクラァラの手が止まった。返ってくる言葉はなかった。
エイリクは思い切って、彼女の顔を見たが、特に表情もなかった。ようやく、彼女は淡々と言った。
「私は構いません…。それより、エイリク様のお名前に傷がつきます。」
「傷?」
「はい…。今の私は、例え、嘘でも、エイリク様の妻などと…」
クラァラは、またアスティにとんとんしながら言った。泣いているようだった。
「なぜ、傷になるのだ?なぜ、そなたが傷なのだ?」
エイリクは、思いも寄らない彼女の反応に慌てた。
「そなたのことも、アスティのことも、もはや家族のように思っておる!」
「…ありがとうございます。でも、それも心苦しくなって参りました。」
二人の間に、長い沈黙が流れた。
エイリクは、何をどう伝えていいか分からず、リュースの曳き手を握った。
何度も、言葉を掛けようと頑張ったが、いい言葉は見つからなかった。
「…今日は、失礼する。」
そう言い残して、エイリクはリュースの鐙を打った。
クラァラはそれを無言で見送った。そして、聞こえなくなるまで、馬の足音を聞き続けた。
