Örlög 第二十四話 言葉の短剣
ハムレットは、そのだらしないなりで、城の中を歩き回ることもしばしばだった。
最初のうちは、恋人を亡くした傷心の王子に、同情心から目をつぶっていた人も、徐々に、彼の王太子としての品格を疑い始めた。
さすがのテオドラも見過ごす訳にはいかなかった。
「いつまでも、そのような態度で、情けないとは思いませんか?」
突如、ハムレットの自室に入って来たテオドラは、相変わらず怠惰な息子に、厳しい言葉を浴びせた。
「どのような態度なら、よいというのでしょう?それは、私が誰かということによるのですが…。」
ハムレットは、覚えたばかりのパイプをいじり、テオドラの前でふかしてみせた。
テオドラがもっとも嫌う、トルヴァルドの習慣、それが煙草だった。
どこから調達したのか、香りもそっくりだった。「どうです?私は、父上に似ていますか?父上よりも、もっと立派な王になるべく、まずは真似しやすいところから、始めているのですが…。」
テオドラは、息子が怖くなり、思わず後退りした。
「そのような…、父上を馬鹿にしたような口を、絶対に、父上にきいてはなりませんよ!」
「おやおや?これは驚いた。母上が父上を庇われるとは。」
ハムレットは薄笑いを浮かべてみせた。
彼のこんな挑発的な態度は、いわば犯人探しの一環だった。何が、または誰が、オフェリアと自分からあの中庭を奪ったのか?偽りの上に成り立っている、この怪しげな世界に穴を開けたかった。例え、それが危険な穴であったとしても。
ハムレットは、一人の従者に金を渡し、二人が出した手紙の行く方を探らせていた。
相手に届いていないなら、それは誰の手に渡り、どうなったのか?もしも、万が一、残っているなら、オフェリアの最後の言葉を知りたいと思った。
「いかがであった?」
ハムレットは、ことづけられた場所に出向き、従者に首尾を尋ねた。厩舎にほど近い、ひと目の少ない場所だった。
手紙は、どちらも王宮の係を通っている。係の者なら、どんな指示があったか知っているはずだった。
「骨を折りましたよ、そりゃ、なかなか口を割りませんからね。何回も飲みに連れてって…、いやあ、金もかかりました。」
従者は仕草で無心した。ハムレットは言うがまま、懐から金貨を与えた。
「さすが、殿下。ありがとうございます。」
従者は満足そうに、ハムレットを拝んでみせると、辺りを見回し、核心に入った。
「オフェリア様の手紙ですが、最初の頃、係はお預りしていなかったそうです。ズェルヴァン様を通しておられたとかで…。ですが、殿下のお手紙は、こちらへ届いていました。けれど、ズェルヴァン様にお渡しするよう、あらかじめ指示されていたそうです。」
「…ズェルヴァン…」
ハムレットの予想を裏切る名前だった。
「で、後になってから、オフェリア様ご自身で、直接、手紙を持ち込まれるようになったのですが、それも結局、ズェルヴァン様へ戻されたとのことでした。」
ハムレットは、一人になって、考えた。
『ズェルヴァン、お前一人の判断か?父上の命、あってのことか?…どうやって、子爵を巻き込んだ?……ズェルヴァン……父上…』
父親たちの姿が、彼の脳裏を巡った。
『なぜ、引き裂く?身分違いだからか?…なら、父上は私を後継ぎと認めている?自分の血でもない、この私を?』
ハムレットの中で、オフェリアのいない世界などあり得なかった。
『父上は…そこまで見抜いていたのか?私が王位より、オフェリアを選ぶことを――』
侍従長の座を降りたズェルヴァンは、一日のほとんどを文書院で過ごしていた。部下はたったの一人。
「文書院長」これが、彼の新しい役職であった。昔の勅令、 死んだ貴族の系譜、 古い婚約記録、 今や誰も読まない外交文書。
これらを、さほど大きくはない、だが非常に頑健な石造りの建物で保管していた。羊皮紙と埃の世界、ここが彼の新しい職場であった。
他人から見れば、降格、左遷であろうが、娘を亡くし、気力が衰えているこの男にとっては、まんざら悪い場所ではなかった。
それに、彼の趣味趣向、気質にも合っていた。
訪れる者は、週に一人あるかないかだ。
「十年前の通商記録?どのような取引のものですかな?」
それで、見事に探し当てられる者こそ、ズェルヴァン・ハルヴェルクであった。
書類の整理と称して、気の向くまま書庫に手を伸ばし、『そういうことであったか…』と独りごちているズェルヴァンを、部下は何度か目撃していた。
そんな風に、今は静かに身を置いているズェルヴァンを訪ねていく男があった。
ハムレットであった。
その建物は、礼拝堂の横にある。もう少し先までいけば、眠っているオフェリアに会うこともできるが、彼は戦いに行く身であった。それも、彼女の父親と。
入り口には、宝物庫と変わらないくらい、大きな錠前がかけられていた。
ほとんどが人に忘れ去られ、眠っている文書の山には過ぎないが、それも王国の歴史であることには違いない。
ハムレットは裏口に回り、呼び出しベルを鳴らした。少し待つと、鉄扉の小窓から覗いたのは、目の下のたるみが一回りも大きくなったズェルヴァンであった。
「このようなむさ苦しいところに、おいでいただくとは…。私の方から参りましたものを…」
「…本当にむさ苦しいな。初めて参った。こんなところで、何をしておる?」
変わらず、恭しく接するズェルヴァンに、ハムレットは気遣うこともなく、横柄に言った。
「古い文書の整理と管理でございます。」
「…その方の得意とするところだな。」
「いえいえ…。知識の及ばぬことが多うございます。」
ハムレットの嫌味は、ズェルヴァンにはまだ通じなかった。
「ここへ参った用件を率直に申す。」
ハムレットは本題に入った。埃臭さが鼻につき、かなり息苦しくもなっていた。閲覧場所とされているハムレットの周囲にすら、羊皮紙の束が山積みになっていた。よくこんなところに一日中、いられるものだと思っていた。
「私の手紙を返してほしい。」
「…殿下の…お手紙…でございますか?」
驚いたズェルヴァンの顔から、次第に表情が消えていった。
「そうだ…ハンブルクからの手紙だ。」
書架を挟んで座っていた男―ズェルヴァンの部下は、何の指図もないのに建物の外に出て行った。年配のこの男は、ズェルヴァンよりもだいぶん年上で、人生のほとんどをここで過ごして来ている。秘密との接し方を心得ている男であった。「…オフェリアに渡しております。オフェリアはお返事を差し上げておりませんか?」
「ずっとなかった。…だが、一通だけ届いた手紙に、便りがないことを責めてあった。事故に合う直前だ。」
二人の男は、平然と嘘を言い合った。王宮を生き抜いて来たズェルヴァンに、咄嗟に応酬できたハムレットもたいしたものだった。
「…一通だけ…」
ズェルヴァンは黙り込むしかなかった。自分を通さずに出された手紙も、自分に戻って来た。それ以外にも…?
「殿下のお手紙が…こちらに届いていなかったのでは?」
「先ほど、オフェリアに渡したと申したではないか?」
「…いえ、それは、もっと以前のことだったかと…」
「嘘を申すな!」
だんだんとしどろもどろになるズェルヴァンに、ついにハムレットは剱を抜いた。言葉の剱を、である。
「私からの手紙は、その方に渡すよう指示され、そうしていたと聞いている。オフェリアが直接、持ち込んだ手紙も、その方に返したと。」
返事をしないズェルヴァンに、ハムレットは繰り返した。
「…返してはもらえぬか?私からの手紙を。」
長い沈黙が続いた。ズェルヴァンの顔色はどんどん失くなり、肩が震え始めた。
「…お返しすることは…できません…」
「何故だ?」
「…燃やしてしまいました…」
「オフェリアの書いた手紙は…?」
「…燃やしました…暖炉に焚べて…」
ハムレットは言葉を失った。自分の手紙はともかく、オフェリアがしたためた手紙までも…。
「…お前はそれでも、父親か?」
ハムレットは涙が溢れた。
「危険も覚悟で、私を追って来るような、そんな娘の書いた手紙を、その手で燃やすとは…お前を信じて、託した手紙を、お前は、その手で…」
両の手も拳となって震えた。ズェルヴァンに掴みかかるのを抑えるのに必死だった。
「オフェリアを殺したのは…、ズェルヴァン、その方だぞ!」
『オフェリアを殺したのは、お前だ。』
ハムレットのその言葉は、ズェルヴァン・ハルヴェルクを打ちのめした。
娘の事故を知ってから、自分でも何度も同じことを思っていた。
手紙を阻むことなどせず、彼らの意に任せていれば…、いやそもそも、意に沿わぬ婚姻など、断っていれば…、死なせるくらいなら、尼にさせればよかった。
『…嫌で…ございます。』絞り出すようなか細い声。暖炉の火で、黒い煤を上げながら、縮んで消えた娘の想い。
そして― 荷車で運ばれて来た時に、むしろから出ていた冷たくなった青白い手。
振り払っても消えなかったその光景を、もはや振り払うことすらできなくなっていた。
ズェルヴァンは、その夜を文書院の中で過ごした。
朝が来るようには思えなかった。
