NON-WARRANTY ~地下4階、保証対象外の神話~ Case File 03
【Warning】
本作にはSF的な過激描写や
ショッキングな展開が含まれます 。
閲覧にはご注意ください。
彼は単なる技術者ではない。
医師であり、発明家であり、
解体屋だ。
提供するのは
「救済」ではなく「機能」。
そして請求するのは
見積もり通りの
『実費(コスト)』だ。
かつて迷宮に幽閉された
親子のため
蝋(ロウ)で固めた翼を
造り出した
神話の名工がいたように。
この地下室の主もまた、
空を飛びたいと願う者へ
物理法則を無視するための
『 翼 』を授ける。
たとえそれが、
太陽の熱で溶け落ちる
運命にあるとしても。
Case File03
『オーバードーズ・クロック』
(熱暴走の祭壇)
~翼を授ける現代のダイダロス~
1.『 0.1 』秒の迷宮
都心の雑居ビル、地下4階。
『オリュンポス』
いつもの無機質な空間だが、
今日は部屋の中央に、
歯科治療台を改造したような
異様な
「没入型コクピット」が
鎮座している。
周囲には断熱材で覆われた
極太のパイプ。
そこには液体窒素が流れている。
タンクから漏れる冷気が
床を白く這っていた。
「くっ! まただ、
また『板』が先に動いた」
今回の依頼人、翔(ショウ)は
苛立った表情で
高価なゲーミングキーボードを
叩きつけた。
彼は秒単位で億を動かす
20代の天才トレーダーだ。
だが今、彼の目は充血し
絶望的な渇望に支配されている。
「人間やめたいか?」
白衣のエンジニアは、
軍用タブレットに表示された
翔の網膜スキャンデータを
見ながら淡々と語りかける。
「人間の反応速度の限界は
0.2秒 。
視覚情報が『意識』に到達し、
筋肉へ命令を下すまでの
タイムラグです」
「現在のHFT市場において、
それは永遠にも等しい遅さだ」
エンジニアは冷徹に宣告する。
「あなたが勝てないのは、
あなたが『考えて』いるからです」
「考えるなと言うのか!?」
「ええ。
視神経から入った情報を
前頭葉という『検問』を通さずに、
脊髄と指先へ直結させる。
思考のプロセスを
ショートカットするのです。
そうすれば、
あなたは光になれますよ」
エンジニアは、
天井から吊り下がっている
無骨なヘッドギアを引き下ろした。
それは医療器具というよりは、
高性能PCの巨大な
CPUクーラーを
人間サイズに拡大したような
工業的な威圧感を放っていた。
「このシステム
『ICARUS(イカロス)』は
あなたの脳内クロックを
常人の80倍に加速させます」
「ただし代償もある。
思考を介さない信号の奔流は
あなたのシナプスを焼き切るほどの
ジュール熱を生む」
エンジニアは翔の目を見て、
静かに警告した。
「液体窒素で冷やし続けますが
脳内温度が42度を超えれば、
タンパク質が変性、凝固し
あなたは廃人になる」
「神話の『蝋』が溶けるように、
あなたの脳は
物理的に煮えるわけです。
それでも、飛びますか?」
翔は迷わず、
自分の首筋を晒した。
「構わん。
0.1秒の向こう側に行けるなら、
脳みその一つくらい
安いもんだ」
2. 翼の装着と点火
「では、装着(マウント)します」
エンジニアが
翔の頭部にギアをかぶせ
ロックレバーを下ろす。
『 カシュッ。』
『 ゴゥン……。』
気密性が確保され
重たいハードウェアが
人体に固定される。
乾いた機械音。
首元でサーボモーターが唸り
翔の頸動脈を圧迫するように
冷却パッドが密着する。
「冷却材、循環開始」
『 ヒュオオオオ……。』
パイプの中を
極低温の液体窒素が
循環する音が響く。
痛みはない。
あるのは思考の芯まで
凍りつくような
無機質な「冷気」だけだ。
翔の吐く息が白くなり
まつ毛には霜が。
彼は人間であることをやめ
巨大な演算装置の一部(パーツ)
として組み込まれることを
望み、そして選んだ。
「神経伝達促進剤
『クロノス』注入」
エンジニアがキーを叩くと
カニューレから薬剤が流れ込む。
視界が明滅し
翔の世界から
「色彩」と「感情」が
抜け落ちていく。
残ったのは
純粋な「情報」と「反応」だけだ。
「推奨しません。……ですが、
飛ぶか落ちるか
決めるのはパイロット(あなた)です」
エンジニアは画面上のロックを解除し、
キーボードを翔の前にスライドさせた。
3. テーゼ:技術による身体性の超越
翔は凍りついた
首の感覚も忘れ、
力強くエンターキーを叩き込んだ。
『 ッターン!! 』
圧縮された液体窒素が
循環する音が轟き、
翔の意識は肉体を離れ、
光の奔流となって
電子の海へと飛び立った。
「見えたァ!
止まって見えるぞォォ!」
世界中の株価、為替、
先物の動きが、
彼にはスローモーションに見える。
AIアルゴリズムたちが
0.001秒単位で殴り合う戦場で、
翔だけが「未来」を見ていた。
流れるテロップ、
株価ボードの点滅、
アルゴリズムの微々たる挙動。
その全てが手に取るようにわかる。
彼は「考える」前に、
指を動かした。
脳が理解するよりも速く。
指先が「買い」を叩く。
彼がエントリーした0.5秒後に、
世界中のAIが
慌てて追随してくる。
「ハハ……ハハハ!
遅い! 遅すぎるぞ、お前ら!」
全能感。
自分は重力を振り切り
太陽(神の領域)に到達したのだ。
技術(翼)によって、
人間は肉体の限界を超える。
それが彼の信じる
「テーゼ(理想)」だった。
現実世界のモニターには
彼の資産残高が
幾何級数的に跳ね上がっていく
数字が映し出されている。
だが同時に
エンジニアの手元のタブレットでは
別の数字が
カウントダウンを始めていた。
『脳内温度:41.5℃……
41.9℃……
CRITICAL、限界突破。』
4. アンチテーゼ:物理法則という絶対障壁
「警告。冷却システム飽和。
直ちにログアウトしてください」
エンジニアの事務的な声が
インカムに響く。
『ヴるさい! 今いいドごろなんだ!
切るんじゃでぇ!』
翔の絶叫が返ってくる。
だがその声には
ノイズが混じり始めていた。
彼が近づいた
「太陽(市場の熱狂)」は
あまりにも巨大な
エネルギーの塊だった。
ブレーキ(前頭葉)を外して
リミッターが切られた
暴走する脳というエンジンに対し
冷却機構が追いつかない。
鼻からツーっと
熱い液体がしたたり落ちる。
血ではない。
脳圧の上昇により押し出された
脳脊髄液だ。
それが鼻孔を出た瞬間、
過熱した体温によってだろうか
「ジュッ」と音を立てて蒸発した。
頭蓋骨の中で、
タンパク質が変質していく音がする。
神話において
イカロスの翼を固めていた
蝋(ロウ)が溶けたように。
翔の脳を守っていた
血液脳関門が
熱で物理的に崩壊していく。
「あ、あづ……熱い!?」
視界の端から光が溶け出した。
美しい市場のチャートが
ドロドロの原色の絵の具のように
垂れ下がってくる。
思考がまとまらない。
焼けるような頭痛。
いや実際に脳が
電子レンジの中のように
「調理」されているのだ。
無限の欲望(ソフトウェア)に対し、
有限の肉体(ハードウェア)が
「アンチテーゼ(現実)」として
立ちはだかる。
5. ジンテーゼ:融解による墜落と精算
「緊急停止。
……間に合いませんね」
エンジニアは、
痙攣し始めた翔を見て
静かに冷却液の供給バルブを閉めた。
無駄なリソースは使わない。
『 バチッ、バチッ! 』
翔のヘッドセットの隙間から
白煙が噴き出す。
それはショートした煙ではなく
体液が気化した蒸気だった。
部屋には焦げた絶縁体と、
もっと生々しい
タンパク質が熱変性した、
ゆで卵のような
独特の臭気が充満した。
コクピットの中で翔は
背中を反らせ
口から泡を吹き出しながら、
白目を剥いて硬直していた。
モニターの中の資産は
「500億ドル」で止まっている。
彼は勝った。
勝ったまま、
戻ってこれない場所へ墜落した。
「飛翔」と「限界」が衝突した結果
生み出された
「ジンテーゼ(解)」は
完全なる機能停止
(システムダウン)だった。
6. 虚無と請求書(エンディング)
「処理完了。
対象の脳機能、全損(ロスト)」
エンジニアは、
廃人となってピクリとも動かない
翔の首から、ケーブルを引き抜いた。
「プシュッ」という音と共に
熱い蒸気が噴き出す。
彼は動じず
タブレットを操作して
翔の口座から
自動引き落としの手続きを行った。
莫大な利益を生んだ口座から
法外な「設備利用料」と
「特殊清掃費」が引かれていく。
部屋の隅から
キャタピラ式の
産業用清掃ボットが出てきた。
床に落ちた汚物や体液を、
無機質な回転ブラシは
淡々と擦り取り、
そして吸引していく。
「人間は、ロウで作られた翼で
太陽を目指しました」
エンジニアは
空になったコクピットを
見下ろしながら、
独り言のように呟く。
「市場という太陽は、
近づく者に無限の富を
与えることもありますが」
「同時にその熱で
『理性』という接着剤を
溶かしてしまう」
「落ちていく彼にとって
最後に見た景色は黄金だったのか、
それともただの
焼却炉の炎だったのか」
「……清掃が終わるまで、
少し時間がありますね」
「今回の『墜落』がなぜ起きたのか。
神話のコードを紐解けば、
構造は極めて単純です」
エンジニアは、
誰もいないモニターに向かって
指を立て、語りかけた。
テーゼ(拡張への渇望)
「『不可能を可能にする技術』への絶対的な信頼。
神話のイカロスは
『蝋の翼』で空を飛び、
今回の彼は
『オーバークロック』で
0.1秒の壁を超えました。
人間というハードウェアの限界を、
道具で突破できるという全能感。
これがすべての始まりです」
アンチテーゼ(物理的障壁)
「しかし、宇宙には
『絶対に超えられない壁』
というものが存在する。
イカロスにとっては『太陽の熱』。
彼にとっては
『タンパク質の熱変性』です。
どれだけ優れたソフトウェアも
物理法則というファイアーウォール
だけはハッキングできない。
熱は平等にすべてを溶かします」
ジンテーゼ(必然的帰結)
「そして、矛盾する二つが
衝突した結果、
導き出される答え(解)は一つ。
『中庸(ほどほど)』を無視した
機体の物理的な破壊。
「イカロスの父、ダイダロスは
『高くも低くもない中間を飛べ』
と警告しましたが……。
あいにく私の顧客に
『ほどほど』を愛する人間は
いませんからね」
エンジニアは、
真っ黒になった画面の電源を落とした。
彼は白衣の襟を直し、
冷徹に言い放つ。
「高く飛びすぎた代償としての
『墜落(クラッシュ)』
については
『 NON-WARRANTY 』
(保証対象外)ですがね」
部屋にはファンの回転音と、
清掃ボットが発する乾いた音だけが、
祭りのあとのように漂っていた。
(完)
