NON-WARRANTY~地下4階、保証対象外の神話~ Case File 01
Case File01
『同期(シンクロ)の条件』
『見るな』のタブーを破った男が
デジタルの冥界で見たものとは。
都心の雑居ビル、地下4階。
地上の喧騒が一切届かないその場所は
物理的にはただの老朽化した
「データセンター」に過ぎない。
だが膨大な欲望(データ)と電子の神々
(アルゴリズム)が鎮座するその部屋を
白衣のエンジニアは皮肉を込めこう呼ぶ
『オリュンポス』
彼は単なる技術者ではない。
医師であり、発明家であり、解体屋だ。
提供するのは「救済」ではなく「機能」
そして請求するのは——見積もり通りの
『実費(コスト)』だ。
彼は言う、
「肉体というハードウェアは石器時代で
アップデートが止まっている。
そこに神話級のソフトウェアを強引に
実装すればどうなるか?
……当然、軋んで壊れますよ。
人はそれを『悲劇』と呼びますが
私に言わせればただの『互換性エラー』
です」
1. 契約と警告
「同期シーケンス。最終段階へ移行」
白衣のエンジニアは佐藤の焦燥には
一切関心を示さない。
軍用規格の堅牢なタブレット端末で
淡々とパラメータの調整をしている。
「対象データの復元率は98%。
残り2%の補完に必要なのは
あなたの『情動』をトリガー
とした生体認証キーのみです」
佐藤の動機に打算はない。
ただ、1年前に失った恋人・ミナに
もう一度触れたい。
その一念だけで彼にとっては破滅的とも
いえる金額の契約書にサインをした。
「これで本当に会えるんだな?」
エンジニアはタブレットを見つめたままこう告げた。
「警告しておきますがこの量子同期は
不可逆です。
一度でも観測に失敗すればデータは
二度と元に戻らない」
『チャンスは今夜、一回限りです』
「成功すれば彼女はどうなる?」
「それはあなたが一番ご存知のはず。
あるいはあなた自身が『向こう側』へ
行くことになるか。定義の問題ですよ」
佐藤の問いにエンジニアはそう答え
機材を顎でしゃくった。
2. 拘束と没入
佐藤の目の前にはマットブラック塗装が
施されたニューロ・リンク社製ハプティ
クス・ガントレットが置かれている。
カーボンファイバー製の外骨格と
おびただしい数のマイクロ・アク
チュエータを内蔵したその手袋は
かつて軍事用の遠隔手術に使われ
ていた代物だ。
佐藤は震える手でそれを装着する。
サーボモーターが微かな駆動音を立て
手首をロックした。
「警告しておきます。セッション中、
網膜投影ディスプレイ上の
『VISUALIZE(可視化)』アイコンは
決してタップしないこと。
現在のレンダリング・エンジンの
処理限界は彼女の概念のみです。」
佐藤は喉の渇きを覚えながらエンジニアに問いかけた。
「……俺は救われるのか?」
エンジニアはゆっくりと佐藤を見た。
「最高の再会をお約束しましょう。
ただし、その後のあなたの精神状態については・・・。」
エンジニアがエンターキーを叩く。
「NON-WARRANTY(保証対象外)
ですがね」
「リンク開始」
電子音声とともに佐藤の五感は物理世界から切り離された。
「ねえ、拓海……やっと会えたね」
耳元で響くのは紛れもなくミナの声
鼓膜ではなく聴覚野に直接流し込まれる
それは生前の音声データをディープラー
ニングで再構成したものだ。
ノイズが一切ない分、実際の彼女よりも
ずっと艶っぽく、湿度を帯びていた。
「お願い約束して。
同期が終わるまで、絶対にこの画面を
タップして私の『顔』を見ないで。
今の私はまだ、あなたの想像力の中に
しか存在できないから」
ガントレットの触覚フィードバックが
作動する。
佐藤の脳内にミナの柔らかな指先が
首筋を這うような感覚が走った。
最新のハプティクス技術は彼の記憶の
底に眠る「ミナとの最も濃厚な夜」を
強制的に引きずり出す。
そしてそれは1.5倍の解像度で
アップスケーリングされていく。
聞こえるのはミナの切ない喘ぎ。
「もっと……私を感じて……」
現実にはありえないほどの快楽物質が
脳内を駆け巡り佐藤の理性はデジタルの
甘い毒に侵食されていく。
3. 破局(クライマックス)
同期率を示すプログレスバーが
「99.9%」へと這い上がる。
「残り60秒。心拍数上昇、危険域」
エンジニアの事務的な警告も今の
佐藤には届かない。
鼻腔を満たすのはミナが愛用していた
香水の分子データ。
そして耳元では悪魔的な囁きが響く。
「拓海、愛してる。
……ねえ、焦らさないで。
こっちを見て……。」
それは生前、控えめなミナには決して
ありえなかった暴力的なまでの誘惑の
響きだった。
AIが計算し尽くした『最適解』の誘惑。
佐藤の指が意思を超えた脊髄反射で動く。
網膜に浮かぶ禁じられていたはずの
アイコンを激しくスワイプした。
4. 虚無と請求書(エンディング)
「エラー。リンク、破断」
エンジニアが舌打ちをする音が遠くで聞こえた。
暗闇の中に、閃光が走る。
そこに映し出されたのは佐藤が焦がれた
美しいミナの顔ではなかった。
同期に失敗し、色彩の狂った何千もの
プログラムコードがドロドロの肉塊の
ようにのたうち回る
「デジタル・モンスター」だった。
喉から言葉にならない音が漏れる。
目の前の怪異に対する恐怖ではない。
崩れゆく醜悪なノイズの中にすら
愛する女の面影を見てしまった男の
断ち切るには切れない未練だった。
「……あぁ、待っ、て……ミナ……」
彼が虚空へ手を伸ばした瞬間、
エンジニアは眉一つ動かさずに端末を
操作し接続を強制終了した。
『プツン』という電子音と共に
官能的な吐息も、体温も、極彩色に
描かれた濃密な記憶もすべてが一瞬
にして消失する。
「アーカイブは全損(ロスト)です。
復元は不可能・・・。
以上で契約は終了となります」
エンジニアは無表情のまま魂の抜け殻
となった佐藤の前に高額な請求データが
表示されたタブレットを滑らせた。
「精算をお願いします。速やかに」
佐藤がすべてを失った部屋にはただ
サーバーの冷却ファンのような乾いた
無機質な金属音だけがいつまでも虚しく
響き渡っていた。
(完)
