綺麗事や正論だけでは、救えないものがある
大阪市から一歩外へ出ると、今まで利用していた障害福祉サービスが受けられなくなる。
だから、この街を離れることをやめた。
そんな話を、障害のある家族を支える人から聞いたことがある。
大阪市は、長い歴史の中で独自の行政機能と財政基盤を築き、多くの住民サービスを充実させてきた。
それは間違いなく、この街の大きな強みだと思う。
しかし、どんな制度にも光があれば影もある。
以前、興味本位でグループホームを見学したことがあった。
そこでは、入居者の多くが系列の就労継続支援B型事業所へ通い、生活も仕事も同じ事業者の中で完結していた。
もちろん、それ自体が問題だと言いたいわけではない。
実際に利用者や家族にとって安心できる環境になっている場合もあるだろう。
ただ、利用者本人の意思よりも事業者側の都合が優先されているように見える場面もあり、私は複雑な気持ちになった。
制度は人を支えるためにある。
けれど、その制度が大きくなればなるほど、本来の目的と事業としての利益との間に緊張関係が生まれることもある。
一方で、「問題があるならなくせばいい」と簡単に言える話でもない。
長年の介護で疲れ切った家族。
他に受け入れ先が見つからない不安。
預かってくれる場所があるからこそ、どうにか生活が成り立っている現実。
そこには、正論だけでは割り切れない事情がある。
現実はそんなに単純ではない。
だからこそ必要なのは、制度を守ることそのものではなく、その制度が誰のために存在しているのかを問い続けることではないだろうか。
大阪市の名前を残すこと。
二重行政をなくすこと。
それらは政治の大きなテーマである。
けれど、本当に大切なのは「箱の形」ではなく、その中で暮らす人の尊厳ではないか。
住民サービスとは何だろう。
制度を維持することだろうか。
それとも、困ったときに誰かを支え続けることだろうか。
私にはまだ答えが分からない。
ただ一つ願うのは、名前を守ることと、尊厳を守ること。
その二つが同じ方向を向く大阪市であってほしいということだ。
私には、そんなふうに思える。
それでは、どうか良い一日をお過ごしください🤗
