見出し画像

枯葉を踏む音が、何度でも俺を蘇らせる

かつて、湘北高校の三井寿は、フラフラになりながら、体力の限界を迎えながらも、スリーポイントシュートを連続で決め、

「静かにしろい、この音が、俺を蘇らせる。何度でもよ」

とつぶやいたという伝説がある。

そんな切羽詰まった状況で、王者相手に何度も何度もシュートを放ったのだ。

三井寿には遠く及ばないが、僕にも自分を蘇らせるものがある。

それは、夏の暑い中、ヒーヒー言いながら昼散歩に出る時のことだ。暑さは頂点を極め、「どうして僕は昼に外に出てきたのか」という後悔しか残らないような状況。
ようやく職場の近くまで戻ってきた際、針葉樹林で年中見られる落ち葉が、夏の日差しを受けて乾いている。

真夏の枯葉というのは、鬱陶しさしかないのではないか、などと思ってはいけない。
確かに、夏の暑い時期にわざわざこの枯葉を片付けるような奇特な人はおらず、ただ枯葉は道の隅の方に吹き飛ばされ、溜まっているだけである。

しかし、僕は確実に思っている。
ただただ乾ききった枯葉というのは、それを踏むと非常に心地よい音を立てるということを。

そうなのだ、枯葉は確実にサクサクと音を立てる。
当然である。雨もほとんど降らず、完璧に乾いた枯葉なのだから。
枯葉がこれほどまでにカサカサ、サクサクと音を立てながら踏まれていく様子は、滑稽ですらある。

その心地よいサクサクという響きが、何度でも、どんな状況にあろうと僕を蘇らせるのだ。

仕事で疲弊した体である。
疲弊したと言ったって、ただパソコンの前で作業をしていただけだ。それ以上に何か特殊な動きをしているわけではない。
精神的にすり減った僕の体を蘇らせるものは、紛れもなく、枯葉のサクサクとした音なのである。

枯葉の季節に、それを踏むのも悪くはない。

けれども、夏の暑い日、その暑さでカラカラに乾いた枯葉を踏むという心地よさは、何物にも代えがたい。サクサクと音を立てて枯葉は割れていく。

割れた枯葉が風に舞う。
この場合の風も、冬のような冷たく背筋を凍らせる風ではなく、ただ嫌な埃を巻き上げる熱風だとしても。その枯葉を舞い上げる風があなたの頬を打つ時、「生命は確かにここに存在する」という無意識の確信を、あなたに対してもたらすのだ。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集