【エッセイ】オバサンと、服。 第二章②ダラシナイお肉には構築性を
2026年、若い人たちの間にはリラクシーなスタイルが流行っている。杢グレーのスウェット上下+スニーカー+無造作ヘア、みたいな。
でも、オバサンが迂闊に手を出すのは危険だ、というのが私の周囲、井戸端会議での結論である。
地曳いく子・槇村さとる『ババア上等!余計なルールの捨て方 大人のおしゃれDO! & DON’T!』(2016年)「2 肉の雪崩に勝つ」でも、ズルッとしたユルユル服はNG項目に挙げられている。
オバサンだって、スポーツする時や寝る時や家事に勤しむ時はスウェットを着る。しかし、それを若者のようにおしゃれ着に転換することができるのは、よほど引き締まった体型、プルプルの肌、艶やかに手入れされた髪の持ち主だと思う。
ユルユル服をおしゃれに決めるには、どこかに造形的な緊張感を作らなくてはならない。若者は、身体自体にハリがある。弾けるような若さがある。それでこそ杢グレーのスウェットが輝いて見えるのだ。
それに比べて、多くのオバサンは身体が弛んでくる。ふんわり柔らかい肉がつき、ボディラインはまろやかに。おまけに締め付けに敏感になるものだから、つい全部をゆったりした服で覆いたくなるが――それをやると、身体の輪郭と服の輪郭が一緒にズルズルと雪崩落ちていく。
そこに、丸みや緩みのついた顔。髪だってボリュームや艶を失っているかもしれない。すると、全身の印象がぼんやり冴えなくなって、「抜け感おしゃれ」というより「生活中の人」になってしまうのだ。
地曳さんと槇村さんの勧める解決策は、「抜け感おしゃれ」に必須な造形的緊張感をコーデで足してあげること。すなわち「どこかシメる」(p.30)。
オーバーサイズのトップスなら、ボトムスは細みに。
ボリュームのあるボトムスなら、トップスをコンパクトに。
すなわち、加齢によって身体から減っていく“構築性”を、服で補うのだ。
「シャキッと感」とでも言おうか。たとえば、襟のついたアイテム。きちんと作られた肩線。ジャケット。直線的なシルエット。強い色柄……などなど、どこかに“服の意志”が必要になる。
たとえば、「ゆるニット+ワイドパンツ」。これでは全身雪崩である。上も下も自由を謳歌してはいけない。
ゆるニットを着たければ、細身のパンツ。これなら下半身で締めることができる。
ワイドパンツを主役にしたければ、コンパクトな襟つきシャツを合わせる。これは、上半身で締める例だ。
「もう!締め付けNG!全身ゆったりにしたいの!!」OK、強い柄や眼鏡、バッグ、髪などで輪郭を作るといいだろう。
これを考慮すると、着物はオバサン服として実に頼もしい存在だ。
身体の締め付けは自在に調整できるのに、襟はV字でキリッと。帯の作る水平線。はっきりと縦長なI型シルエット。柔らかくなった身体の上に、布で新しい輪郭を構築してくれる。もう、存在感そのものが“服の意志”なのだ。
この着映え効果が、私が着物を手放せなくなった理由の一つである。フワッと全年代向けの量販店で、サイズ選びに苦労して、数多あるデザインを審査し、色合いを検分して買う一万円のポリエステルワンピースより、同じ価格帯で買うリユース着物の方が遥かに簡単に着映えする。――まぁ……着付けの勉強が苦にならない、手先の器用なオタク気質の特権でもあるが。
教員としてキャンパスを歩いて17年。若い人たちのファッションは、とことん緩くリラクシーになってきた。彼らは、昔だったら「オカンの家着」でしかなかったものを堂々とおしゃれに着こなしている。
今年の流行りは、どうやら杢グレーのジャージ+スニーカー、そこに高校時代の、学校名が入った部活用Tシャツを合わせるのだ!
まさに、セルフヴィンテージのカレッジTシャツ。古着屋で買ってくるどこの誰ともわからないアメリカの大学名と、自分が頑張った思い出の詰まった高校名は同格なのである。
面白いのは、彼らは「ラクなんで、部活着ッス」ととぼけて見せて、必ず手をかけているポイントがある。女子なら、髪とネイル。男子なら筋トレ。
つまり、身体そのものが彼らの“締めどころ”なのである。
だから、“オカンの家着”を“おしゃれ”に再文脈化することができるのだ。
20年前チープ・シックを極めたオバサンは、今、部活用Tシャツを再活用してオシャレする若者たちに、そっと目を細める。
その精神は好きだ。カッコいいな、おい。――しかし、オバサンは決して真似しない。若さという額縁を剥ぎ取られた今、それをやったら、やっぱり“たまの休日に子供の学校に呼び出されて髪振り乱して駆けつけたお母様@キャンパスなう”になってしまうからである。
まこと悩ましい、大人の肉の雪崩を「印象面」から食い止める方法は、つまりこういうことだ。
すなわち、メリハリコーデや服の設計、色合い、フォルムで「構築美」をプラスする。
そして、もう一つ、地曳さんと槇村さんが提唱するのは、実際に肉体を包む「サイズ選び」。次回は、そこを掘り下げていこうと思う。
〈つづく〉
