エッセイ | 排泄のように創作を
排泄のように創作ができたら。
熱をもった僕の祈りだ。
無計画で楽天的で自堕落で飽き性な自分を、全面的に好きだと肯定できたことはない。けれど、好きな部分もあって、その最たる例が、「創作に対する動機づけの単純さ」だ。
ドラマを観て、「脚本書いてみたい!」と思い、
小説を読んで、「小説書いてみたい!」と思い、
エッセイを読んで、「エッセイを書いてみたい!」と思い、
イラストを見て、「イラスト描きたい!」と思い、
素敵な曲を聴いて、「作曲してみたい!」と思うのである。
昔はみんなそうなのだと思っていた。本を読んだら自分で書いてみたくてたまらなくなる、と言っても共感してくれる人は少なく、代わりに「えーすごいね」と返ってくる。
その性格の功あってか、僕は今充実している。
脚本は、六月に四作品完成させて、今は恋愛ものの脚本に取り掛かっている。禿げそうなほど行き詰まっているけれど。
小説は、砂時計のような世界を舞台にした、長編ファンタジーの構想を練っている。坊っちゃん文学賞に応募する用のショートショートも考えている。口内炎できそうなほど行き詰まっているけれど。
エッセイは、このnoteで書いている。生活の些細な気づきやら、どうでもいいぼやきやら、まだ酒も煙草も呑めない小僧のわずかな昔話やら。エッセイの効用は期待以上のものがある。失敗が「オイシイ」になるし、今まで見落としていたことを拾えるようになってきているし、素材を面白くしようと行動に出ることが億劫じゃなくなる。最近は筆がなかなか進まないけれど。
イラストは、別に人に見せられるほどじゃないけれど、動物のキャラクターを自分でつくって描いている。眼帯をつけ、葉巻をくわえたブタ、「ポルカ船長」とか、ファンキーなトサカを持ったニワトリのギターヒーロー、「ロック・ドゥードゥル」とか、バックパッカーの恐竜とかつまみ食いをする鬼とかキス魔の魚とかエトセトラ!
曲は、適当に歌って気に入ったメロディーをボイスメモに録音して、それに悪戦苦闘しながらピアノやドラムやベースやギターをつけていく。音楽理論はほとんど分からないから、本当に骨が折れる作業である。作曲を途中で断念したままのものが、数えてみたら20あった! 完成したらアルバム出せるじゃないか。果たして、完成させられる日は来るのか?
もっと自然に、生きる行為として創作ができたら。
強くそう願うのだ。
天啓のように空からアイデアが降ってくることなんてない、僕には。いろいろな話を聞いて、考えて、髪をぐしゃぐしゃにしながら筆を進めて、それでなんとか完成に近づける。体内にアイデアの湧き出る泉があったならば、と思うのだ。クーネルアソブに並ぶ、ダスモノダス。そこに当然のごとく、排泄と同じ顔をして創作があれば、と思うのだ。
根は飽き性だから、脚本執筆に飽きたら作曲へ、そしてエッセイへ、と逃げるようにサイクルを回している。
アルバイトの面接に九つ落ちて、一限を何度も寝坊して、僕はすっかり社会人として働ける自信を失ったのだ。絶賛、芸の道に生きてやるぞの心意気なのだ。我が憧れ、星野の源さんよ。僕はあなたのように複数のわらじを器用に履きこなせるだろうか。
キーボードの上に置いた手が固まって動かないのは、なんともさびしい。脚本を完成させたとき、エッセイを一編書き終えたときの、あの恍惚とした感覚。実体のない虚空の中に、自分の居場所があるような感覚。それらが剥奪されるような、そんな心許ない気持ちになるのだ。
排泄のように創作を。
摂取、消化、醸成、その先の恍惚を。
