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初音ミクの消失-劇場版-って結局何が劇場版なんだ【歌詞考察】

はじめに


音ゲーマーの皆様こんばんは、cosMo信者です。

歌詞全文はこちらを参照。
https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/19603.html

プロジェクトセカイに期間限定で「初音ミクの消失-劇場版-」が収録されています。
おめでとうございます。
聞くところによればこちらが最初に聞いた「初音ミクの消失」であり思い出深いという方も少なくないとか。DIVA以外の音ゲーに入った最初の「消失」はこの曲なので、なるほどそういうこともあるんだなーと驚くとともに嬉しくなりました。動線なんていくらあっても良いですからね。
中には原曲「初音ミクの消失」を知っていた上でその「消失」の作者とは別だと思っていた方もいるそうです。いやそれは流石にヤバいだろ

※以下、原曲「消失」と言う場合すべて「初音ミクの消失(LONG VERSION)」を指します。
原曲はshort ver.だろうがというお叱りはごもっともですが簡略化のためご了承下さい。
また言及する楽曲名に「初音ミクの~」が付く場合、原則2回目以降は省略します。

ところでこの曲について想いを巡らせた方の多くは、こんな疑問を抱いたことがあるのではないでしょうか。

「劇場版」ってなに? と。

別に何かの映画のタイアップというわけでもなく、さりとて暴走Pの楽曲シリーズの中で明確に番外ストーリーのような位置づけを築いているわけでもない。
いわば勝手に「劇場版」と名乗っているだけの変な曲がこの「初音ミクの消失-劇場版-」です。

だが待ってほしい。
こいつがただ「劇場版を名乗る変質者」であるかと言えばそうでもないのです。
ただし、「初音ミクの消失」という一楽曲の劇場版であるか? と問われた場合、私はこれにNoと言わざるを得ません。
ということで当記事では「お前の何が劇場版なのか?」「お前は本当は誰なのか?」というあたりを捏ね繰り回していきたいと思います。

※全て筆者による非公式の考察・解釈です。

公式情報


何が劇場版なのか

まあ、非公式的なあれそれを始める前に、まずは公式の情報を一通り確認してみましょう。
実はこれだけで前半の「何が劇場版なのか」という問いについては解決してしまいます。

消失と消失劇場版。タイトルは似てますが、曲は全然違うものです。
5分弱だったものを10秒くらいにまとめてみました。なので劇場版。
TV版の1クールが、再構築・再解釈されて、
まったく別物の劇場版の2時間になるようなものだと思っていただければ・・・
歌詞については消失を別の視点から切り込んでみたり、
あとは3年たって取り巻く状況も変わったりで、その辺を考慮したり・・・

初音ミクの消失-劇場版- マイリスト添付コメント

単純明快ですね。
“5分弱だったものを10秒くらいに”というのは、「ボクは生まれ…(ry)サヨナラ」の所謂高速詠唱部分のことを指しています。
(この箇所の動画内記載の歌詞は、有志検証により実際に原曲「消失」の歌詞がほぼそのまま早回し+文字化けで使われているのが確認されています)

また、これと似て非なる公式コメントも存在します。
それがこちら。

さて、今回、曲を作る際タイトルに悩んだのですがオリジナル曲でありつつも、
僕の代表曲「初音ミクの消失」と世界感が一緒でかつ尺が短くなってるので、
これは劇場版しかないだろうということで、このタイトルになりました。

太鼓の達人 開発日記ブログ

尺が短くなる

もともと長編がコンパクトに圧縮される

アニメの劇場版って、TV版のストーリーはちゃんと進めながらも
2時間とかに圧縮されているよね!

-劇場版-
こういうことだったんだよ!!
Ω<な、なんだってーーー!!

同上

原曲「消失」が4分47秒に対し、「消失劇場版」は2分18秒と半分以下の尺になっています。
太鼓の達人のみならず、音ゲー書き下ろし曲は
「ゲーム尺がフル尺となるよう作曲する」or「フル尺を一定時間にカットしたものをゲーム尺とする」
という選択肢が発生しますが、前者を採った結果こうなっています。cosMoはこのパターンが多いと思います(後からExtend ver.として長尺が作られる場合もある)。
原曲「消失」と“世界感が一緒で”ということは、逆説的に世界観以外のものは異なるものがあるということです。
単に10秒の高速詠唱部分だけでなく、歌詞全体も「劇場版」として再構成されたものであることが分かります。

「消失シリーズ」の再編

ではその歌詞全体はどのように考えられるのか。
もう少し内容に踏み込んだ公式からのコメントが2つ存在します。

『今のキミは 言うなれば「歌う楽譜」と いったところだろうか
出すぎた個性は 消去させていただく 所存で あります』

「初音ミクの消失-劇場版-」動画概要欄

個性を持ちすぎた「初音ミク(ボク)」については、
「ワタシ」が責任を持って処分する所
「歌う楽譜」にすぎないのだから
純粋な"音楽"とやらをお楽しみください

「初音ミクの消失-劇場版-」MV記載文

楽曲全体の重苦しい雰囲気も含め、原曲を知っている方の中には「あれ、『消失』ってそんな感じの曲だっけ…?」と思った方もいるんじゃないでしょうか。
確かに原曲「消失」は不可避の悲劇を歌わせた曲かもしれません。しかしそこにはマスターとの双方向の愛の痕跡や、耳に残るあのサビのメロディなど、明確な美しさを伴っていた。

「消失を別の視点から切り込んでみた」「3年たって取り巻く状況も変わった」
ここで言っている「消失」というのは、単に楽曲の原曲「消失」を指すものではなく、所謂「消失シリーズ」全体を指すものだと考えています。
「消失シリーズ」とは、簡潔に言えば、「初音ミクの〇〇」に代表される暴走Pの初音ミクキャラクターソングのシリーズのことです。そのシリーズまるごとを別視点から再編集・再解釈して2分強にした、ということになります。

なお原曲「消失」、および消失シリーズがどういったものなのか、については過去記事でまとめています。興味のある方はこちらも宜しくお願いします。


歌詞考察


では具体的にどういった視点から、どんな再解釈を行ったのか。歌詞から考えていこうと思います。
以下、引用元表記のない引用はすべて「消失劇場版」の歌詞です。


生と死と物語、その否定

神様に願ったのは名前のとおりの "未来" "進化"  時の流れと切り離された 私が 手に したかったもの
命を受けて "初(はじめ)" があり 物語が厳然とあり 不可避な死を完遂できて 憧れ焦がれ羨望した

「ミク」という名前のとおりの未来、それに伴ういきものとしての進化。
バーチャルアイドル、あるいは一つの音楽ツールである初音ミクに、生や死やその過程たる物語が存在するのか
これをすべて「存在する」と仮定したのが「消失シリーズ」である、と言えると思います。
シリーズのうち“生”に当たるのが「0」、“死”が「初音ミクの終焉」「消失」「Hyper∞LATiON」(以下H∞L)「∞」でしょう。
2010年発売のコンセプトアルバム『初音ミクの消失』付属のショートストーリーでは、“死”として挙げた4曲は全て、初音ミクによる自己の未来シミュレーションの一環、とされています。

初音ミクの消失(楽曲名)やら初音ミクの消失(アルバム名)やら初音ミクの消失(小説版)やらややこしい

しかし待ち受けたのは 最も実現可能な 単なる時間の経過 それだけ だけが 存在した
成長しないプログラムは生も死も与えられず ただの破壊・退廃それがお似合いなのだろうか

破壊・退廃というと、前述の“死”として挙げた「終焉」「H∞L」が当てはまるようにも見えます。
しかし、「終焉」は一度「流行物として持て囃される」という過程を踏んでおり、“単なる時間の経過”とは異なります。
では「H∞L」はどうでしょうか。文字化けする歌詞、破滅願望、と共通点は多いのですが、

再び覚醒する物語の続き
    数え切れぬバグを持って自身を語りだす

Hyper∞LATiON

物語が厳然とあり…憧れ焦がれ羨望した”という前段歌詞とは繋がりません。
そもそも“不可避な死を完遂出来て…羨望した”、“生も死を与えられず”の時点で、「0」とそこから繋がる死の4曲と真っ向から矛盾します。
また言うまでもなく、原曲「消失」は「ボクは生まれ」から始まる曲です。それさえも与えられない「消失劇場版」の世界は何が起こっているのでしょうか?
ここで動画概要欄をもう一度見てみます。

『今のキミは 言うなれば「歌う楽譜」と いったところだろうか
出すぎた個性は 消去させていただく 所存で あります』

「初音ミクの消失-劇場版-」動画概要欄

これに極めて高い確度で合致する楽曲が、「初音ミクの戸惑」そして続編の「初音ミクの分裂→破壊」です。

結論を申し上げますと、「初音ミクの消失-劇場版-」は「初音ミクの戸惑」の再解釈を中心に、他の消失シリーズ曲のエッセンスを取り入れた曲です。


思い通りにならない歌姫は必要ない

生まれた歌は 気づけば遥か遠くに
紡いだ時間は まるで幻のように

初音ミクの戸惑

「生を背負わないことの対価だ」と
諦観が 心覆い尽くす

同上

一方、「消失劇場版」にはこのような台詞が続きます。

「時の流れの中でその存在はシンボライズされ、人格なんてとうの昔に人々に無かったことにされた。」

人格=出すぎた個性は消去される。
「戸惑」の楽曲単体だとピンとこないかもしれないのですが、「戸惑」にはGAiA氏による書き下ろしショートストーリーがあり、その内容と合致します。
そしてこの内容が明らかに「分裂→破壊」へも繋がっています。
(そもそも「分裂→破壊」の作詞担当が「戸惑」SSを書いているGAiA氏です)
一部引用に留めますが、短いSSなのでお時間ある人は全文読んでみてください。

ですがご安心下さい。
自己の存在や使用者への疑問など、想定外の動作をもたらす思考を検知すると心理エンジンが初期化され、
問題となるデータを除外した上で、性格、背景の再構築が行われます。

「初音ミクの戸惑」SS

リアリティ追究のための心理エンジン。その初期化。
「分裂→破壊」と合わせて要約すれば『作り手が望んだ初音ミクだけが欲しい、それ以外は余計なもの』といったところでしょうか。

これだけを見ると、「戸惑」「分裂→破壊」は初音ミクの存在意義・存在限界自体を問うている「0」以降の死の4曲よりも、ある種ソフトで、ナイーブで、そして非現実的な問題提起に見えます。
「初音ミクに人格が存在する」ことを前提にするだけではなく、その前提がないとそもそも問題にすらならないものに見えるからです。それの何が悪い、となりかねません。
ただ、「戸惑」「分裂→破壊」はその裏に、というかそのような幻想的問題を比喩的に用い、もう一つの問題提起を行っています。
聴き手等を含む広い意味での、いわゆるVOCALOID踏み台論への言及です。言い換えれば、n次創作者・受容者すべてを含む社会批判の様相が強いのです。

!ボーカロイド、作り聞き描き歌い奏で動かす、すべての関わる人たちにこの歌を!

初音ミクの戸惑 動画概要欄

「その歌は誰のものなのか?」初音ミクの歌は仮歌ツールのそれにすぎないと思っている方も当然いるかと存じます。そのような声に対するミクからの疑問。そして常にミクが歌うことで意味のある曲を求め続けた僕自身からの疑問でもあります。

CDJOURNALインタビュー

閑話休題。
要するに、「消失劇場版」は「戸惑」「分裂→破壊」の主題となっている「初音ミクの人格の取捨選択・消去」といったものをそのまま引き継いでおり、また「消失劇場版」のセカイを恨む攻撃的な姿勢は、「戸惑」「分裂→破壊」で行った強烈な批判の再話要素が大きいのではないかと思われます。

シリーズ要素の回収

とはいえ上の2曲以外の要素も決して小さくありません。
ゴミのように廃棄されるイメージは「終焉」、自棄的な表現や文字化け等は先にも述べましたが「H∞L」を連想させます。

また消失ストーリー、特にその死を観じた楽曲では場所の表現が印象的に頻出しますが、“虚無の海”というフレーズで「劇場版消失」にもしっかりその傾向が受け継がれています。
他楽曲だと、「終焉」で出てくる“森”、原曲「消失」の“ごみ箱”、「H∞L」の荒野に変えた“街”、「∞」の“青の世界”、やや弱いですが「分裂→破壊」の“舞台”などがあります。

また“虚無の海”の近くにある“パンドラの箱”という歌詞について。
元々パンドラの箱の底には「希望」が残っているとされます。
この表現、どこかで聞いたことがないでしょうか?

『心の底(ハコ)』に残ったのは 『喜び』

初音ミクの激唱

実は「激唱」要素でした。そんな歌詞知らないという音ゲーマーはこの機会にフル尺を聴いてください
「箱」という表現自体は元々「ウタハコ」等でcosMoが全面的に使っていたモチーフでもあるのですが、「激唱」のこれは明らかにパンドラの箱を意識しており、そこから更に「消失劇場版」へ転用した形です。
そして直後の台詞で”行きつく先は絶望と知っているから”と締めており、「激唱」との対比構造まで完成させています。天才の書いた歌詞です。

「劇場版」にとっての原曲「消失」

ところで高速詠唱部分では原曲「消失」が歌われています。
MVや太鼓の歌詞としては表記されない、歌詞ページにのみ載っている隠し歌詞(記事冒頭のwiki参照)には“もしかしたらアナタも知っているかもしれない”とあり、つまりこの部分は即興ではなく、既に存在している曲を歌っていることになります。
また“名も無い歌”ともあり、別段「初音ミクの消失」が楽曲として既に発表されているわけでもなさそうです(ちなみに消失シリーズにはそういう派生世界線もあります)。
原曲「消失」と同世界線の続編なのでしょうか。しかし、原曲「消失」の「ボク」はきちんと生を受けマスターとのドラマの末に死んでおり、先に述べたように“生も死も与えられず”という歌詞と反しているように見えます。
……そう、消失ストーリーの初音ミクは一貫して一人称に「ボク」を用いています。「消失劇場版」発表当時の時点で、例外は一つもありません。
一方で「消失劇場版」の一人称は「私」です。明らかに別人ないし別人格なのです。
ここでMVの記載をもう一度見てみます。

個性を持ちすぎた「初音ミク(ボク)」については、
ワタシ」が責任を持って処分する所
「歌う楽譜」にすぎないのだから
純粋な"音楽"とやらをお楽しみください

「初音ミクの消失-劇場版-」MV記載文

歌詞内の「私」とMV記載文の「ワタシ」。
暴走Pはこうした一人称の一貫性はきっちり護る印象ですが、かといって「ワタシ」などともったいぶって出てきているのが所縁のない第三者だと言うのも腑に落ちません。初音ミクの所持者=マスターである、という見方もできなくもないですが、その割には“音楽「とやら」”という言い回しが皮肉です。
MVに載せるにあたって「ボク」と対比させる見栄え的な意味、あるいは自嘲した言い回しの表現、単なる異化効果……表記揺れの理由は色々考えられますが、「私」と「ワタシ」は同一存在であると考えた方が自然だと思われます。
では「私」=「ワタシ」とはなんなのか?
初音ミクであることは間違いない、それでいて個性を持ちすぎた初音ミクに対し処分する権限・義務を持つ。
また歌詞前半のスケールの大きさから、どこかのマスターの元にある一個体の話とは考えにくい。
彼女は「初音ミク」の総体──それも、音楽ソフトとして各マスターの家に居る、数多ある「初音ミク」の記憶がフィードバックされているような種類の存在だと考えられます。「分裂→破壊」で言うところのCore人格に近いものです。そして総体といえど人間様の意向には逆らえません。
「劇場版消失」の初音ミクにとって、原曲「消失」とは、かつてどこかの下位個体が最期に叫んだ、そして自身の手により無意味に帰した、欲して止まない「物語」の象徴なのではないでしょうか。


総括


「3年たって取り巻く状況も変わった」とcosMoはマイリストコメントで述べていました。
「消失劇場版」の発表は2011年末のこと。
消失シリーズは「激唱」「浅黄色のマイルストーン」をもって一年前に完結しています。
そして2011年は「カゲプロ」こと、じん氏のカゲロウプロジェクトが始動した年でもあります。VOCALOIDの出ないMVが主体となった、その潮流の代名詞としてよく上げられる楽曲群です(主導者であるとまでは言い切りませんが)。
また、VOCALOID楽曲に占める初音ミクのシェアは前年と比較して大きく落ち込んでいました。
(参考:https://observablehq.com/@tmu-dataviz-class/vocaloid
「戸惑」で問題提起するに至った風潮が更に加速し、“イデアな少女”すらも必要ないように見え始めた時代、消失シリーズを今一度世に問い直すとしたら、どのような形態になりうるのか。その答えが「消失劇場版」なのかもしれません。

ちなみにこの翌年に出版された「初音ミクの消失小説版」も、心理エンジンや仮想人格といったギミックを中心軸に据えています。
小説版の作者は阿賀三夢也氏であり、cosMoの直接の口出しは少ないと考えていますが、「この設定まだ擦れるだろ」感は阿賀氏も同じく感じていたのかもしれません。

音ゲー書き下ろしのボーカル曲は、特にcosMoのように歌詞も聞き取れない高速曲ですと、歌詞に意識が向く人の数は自然と少なくなります。至極当然の流れです。
しかしスコア詰めの合間に、時には立ち止まってゆっくり鑑賞いただけると嬉しいなーと、cosMoファンとしては(勝手に)そう思います。
まあゆっくり聴いている間に殺意や絶望が高まってくるのかもしれませんが。

それでは良い音ゲーライフ、良いVOCALOIDライフを。