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cosMo@暴走P「終点」とはなんだったのか(楽曲解説・解釈)

こんばんはcosMo信者です。
2013年に投稿された「終点」についての歌詞解説・解釈を書きました。

今更ながら、という感じですが、何せcosMo曲の中でも重要な立ち位置を占める曲のため、一度解釈を示しておこうと重い腰を上げた次第です。
またマシンガンポエムドールの考察を書くには消失シリーズFAKEルートの解説が必要で、FAKEルートの解説のためには……ということでどうしても必要でもありました。


なお投稿までの経緯や背景について、既に一本記事を書いております。
こちらを見ていただいてから本稿を読んでいただけると説得力が増すかと思われます。

さて、まず事実のみ記載します。
この曲はEXIT TUNESから発売のコンピレーションアルバム「EXIT TUNES PRESENTS  Vocalofuture feat.初音ミク」への書き下ろし曲でした。

クロスフェード1、2ともに冒頭や投稿主コメに取り上げられており、またCD内にも隠しトラックとして終点ピアノアレンジと称した何かが収録されているなど、一種の顔役として扱われています。
投稿日は2013年8月9日。
動画内で表示される名義は「初音ミク feat.cosMo@暴走P」
ニコニコ投稿主コメは「どうかお元気で。差出人・イラスト:cosMo@暴走P」
歌詞txtの表題は「THE END」
考察抜きの情報としてはこんなところでしょうか。

名義から素直に考えると、「初音ミクの作った、cosMoが歌う曲」となります。
「cosMoの置き手紙を初音ミクが代読して曲にしている」という感じでしょうか。
誰がマスターか判然としない消失シリーズと違い、はっきりと、「君」が初音ミク、「僕」がcosMoであると言えます。

なお、「リアルで大事な人が遠くにいってしまったことからこの曲を着想した」というような発言が生放送であったように記憶しています。
ただ正確な発言内容も覚えておらず、また作品考察としてはノイズですので、あくまでcosMoと初音ミクの曲として考えていきます。

では歌詞の頭から見ていきましょう。

1番Aメロでは初音ミクとcosMoの出会いについてが述べられます。
元来音声合成ソフトに過ぎないはずの初音ミクに、cosMoは腕をとられ走り出したと言います。
cosMoの作曲のきっかけとしてはBEMANIシリーズが、初音ミクに興味を持ったのはOSTER project等の影響が各所で明言されています。
ただ、元々イラストレーター志望だったcosMoがニコニコ動画に曲を上げたのは「自分のホームページに誘導して、絵を見てもらうためだった」とも述べています。
また自分の世界観、伝えたいことが伝わるその一手段としての作曲である、とも述べていました。
(ソースが見つけられませんでしたがテキストベースでの発言だったはずです)
つまり初音ミク、そして音楽はけしてcosMoにとっての第一義ではなかったわけです。
そんな彼がボカロ界の第一人者となり、大学を中退しプロの作曲家にまでなったのは、間違いなく初音ミクの力、そして魅力があった。

「きっと恋でもしていたのでしょう」
しかしそのような感情は今はない、と過去形で示唆されます。

Bメロ。
「過去の栄光は眩く光り 未来の可能性の芽を踏み潰す」
「僕はそれが怖くなって いつからか君との距離を置いた」
前回記事で焦点にした「らしさの呪縛」の話です。
どんなに新たな曲を、世界を興しても過去の自分の代表曲、消失シリーズに埋もれてしまう。
この頃には、cosMoはキャラクターとして必要な時(ProjectDIVA等の書き下ろし、または幻奏楽土シリーズ)以外は初音ミクではなくGUMIを中心に使用するようになっていました。
たまに誤解されていますがこれはcosMoの信念からというわけではなく、過去には「R-18」などキャラクターソング以外でも普通に初音ミクが使用されていました。

サビ頭、「ありがとう そして さよなら」は、「初音ミクの消失」からの引用ですね。
「君はどうかそのままでいてほしいんだ」
ここは解釈の余地があると思います。
悪辣な解釈としては「自分が踏み潰されてしまうからこれ以上初音ミク文化に大きくならないでほしい」なんていうのも考え付きましたが、初音ミクへの感謝が本物である以上それはないでしょう。
「消失シリーズと最早不可分の、なのにこれ以上消失シリーズに付き合いたくない、こんな臆病で弱い自分とは一緒にいたら君まで駄目になってしまう、ある種の神聖性が失われてしまう」
と私は読解しました。

ブリッジ。ここで一旦手紙を読むのをやめた初音ミクが述懐します。
ここまでの読解だとcosMoの情感が溢れているように見えたそれは、しかし「他人行儀そしてドライ」だと言います。
初音ミクは以上の事柄を「当然」だと受け止めています。
7年間、色々あったように見えたそれは「羽のように軽い記憶」だと言います。
なぜか?
それは「色々あったように見える」のが間違いだからかもしれません。
「消失シリーズ」その他の初音ミクと、cosMo自身の初音ミクは別物です。
ドラマが起こっていたのはあくまで物語の中の話。cosMoが創り、初音ミクが歌う。その過程には何かが介在するわけもない。
「消失シリーズ」はけしてcosMoにとっての事実を描いたものではなく、VOCALOID論の論文の束のようなものです。そのcosMoによって創られた『初音ミク』の思考実験に付き合っていたのがcosMo自身の初音ミクであると両者を切り離すならば、一作曲者と一音声合成ソフトの間に何が発生するというのか。
必要だから一緒にいて、不必要になったからすれ違う。
cosMo側の情感もあくまで過去の話であり、今となってはとっくに見切りがついている。
それが反映されているのがAメロの「きっと恋でもしていたのでしょう」です。
少なくとも、cosMoの初音ミクはそう受け取ったのです。
メタ的に言えば、「そう受け取らせた」のです。
自分たちの間には何もなかったのだ、と。

2番A・Bメロ。
cosMoと初音ミクの話を離れ、「大人たち」の話になります。
さっと一見すると当時のボカロ老人会の所謂老害について語っているようにも見えますが、それだけにしては「輝く出口を作る」の説明がつきません。
それは嫌儲主義、あるいは閉じコンとは対照的なものです。
ではこの歌詞は何を批判しているのでしょうか?
ここで想起するのが、この曲が「Vocalofuture」書き下ろし曲だということです。
出版元はEXIT TUNES。
「出口」という珍しい言い回しは、この「EXIT TUNES」である可能性が極めて高いです。
つまりあろうことか、書き下ろし曲でその販売元を批判するという暴挙に出ているのです。

「VOCALOIDによって音楽業界に新たな旋風を、商業ボカロP、歌い手という新たなアーテイストを輩出しようと言って口車に載せておきながら、その見通しは不十分で当初の夢は失われた」
「既に売れているものを後押しするだけ」あるいは「載せられた作曲家・歌手達はやがて鳴かず飛ばずで落ちていく」
「シンデレラストーリーなんて夢物語はありはしない」

当時の情勢に詳しいわけではないため確信は持てないものの、概ねこういうことではないかと解釈しています。もっと詳しい方いたら教えてください。
というかこんな曲をアルバムの目玉に置くな
cosMo本人も、2010年に「消失」アルバムをEXIT TUNESから出したことでメジャーデビューしています。
そこから3年プロとしてどうだったかは本人のみぞ知るところでしょう。
仕事としてはほとんどがEXITかDIVA絡みだったと言えますが、例外は「脳内再醒」「575」「劇場版消失」で、これで十分と見るかどうかはやはり本人次第でしょう。

「冷たくて現実的な終点(おわり)」
BADでもDEADでもWORSTでもTRUEでもHAPPYでもない、副題の「THE END」が回収されます。
ちなみに終点に「おわり」というルビを振るのは「浅黄色のマイルストーン」と共通しています。

2番サビは1番と概ね趣旨は同じでいいと思います。

その後、また初音ミクのものと思われる台詞が入ります。
【ワタシを、覚えてる?】
「終点」は先述の通りcosMo自身の歌詞txtファイルがあり、また何度かアルバムへ収録されていますが、どの歌詞にもこの部分は記載されていません。
初音ミクwikiには何故か明記されていましたが…)
「Vocalofuture」投稿主コメやクロスフェード内にのみ一部記載されているため続きをそこから引用すると、

「アナタトワタシデ・・・ミライヲツナグ・・・」

人称的にも初音ミクの台詞で確定でいいでしょう。
しかしながら、先ほどのブリッジ部分の内容と大きく矛盾するように思います。
ちゃぶ台を返すようですが、動画内の手紙を読む初音ミクの哀しげな表情と合わせて考えると、こちらの方が本心であり、先ほどのドライさはそう装っていた、そう自身を納得させたかった、ということだろうと解釈します。
その二面性は初音ミクというよりは、やはり最終的にはcosMo自身にかかってくる業です。
あるいは、何とも思っていないけど、でもそんなこともかつて言っていたのにね、という軽い批難の言葉かもしれませんが、それはそれでやはり未練がましいと言わざるを得ません。
何にせよ、やや釈然としない部分ではあります。

Cメロ。
終わらないお祭り=初音ミクブーム、ボカロブーム……とも考えられますが、曲の趣旨を考えればこれは「消失シリーズ、暴走Pらしさとして扱われる部分への称賛」のことだと思います。
「お面を深く被るお囃子」とは、匿名のリスナーの狂乱騒ぎのことか、もしくはEXIT始めとした企業のことか。その両方か。
当初<<手紙が破れていて読めなかった>>とされていた箇所は、アルバム再録を重ねるごとに歌詞が徐々に開示されており、2018年の「Real and Repeat」再録の際に完全に明示されています。

「飽きてしまったのです」

誤解されないよう強く主張しておきたいのですが、これは「お囃子」にかかっており、決して「初音ミクに飽きた」と言っているわけではありません
手紙を破ったのは一体誰への配慮だったのでしょうか。初音ミクか、それとも。

「──幸せを願っています 敬具」
過去作を褒め称えられるのにも飽きてしまった。だから未来へ進まなくてはならない。
だから、何事もなかったような顔を取り繕ってでも、初音ミクを突き放す。
これがcosMoの結論でした。

それに対して初音ミクの返答は
「また会う日まで……」
──この時はまだ、純粋な成功と再会への祈りの言葉だった、と思いたいところです。

この曲はリメイクされた際に大きく変貌を遂げました。
といっても歌詞に変化はありません。
先述の「Real and Repeat」にてリメイクがされ、2020年にMVが公開されたのですが、そのMVは様相を全く異にするものでした。
見方が180度変わってしまうレベルのものなのでそれはまたの機会に書いていこうと思います。

それでは良いVOCALOIDライフを、また会う日まで。