【Ⅰ】『営業ゼロ件、僕はそこから始まった』 自分書店
『営業ゼロ件、僕はそこから始まった』新連載第1章。
どん底の営業マンが、再び立ち上がるまでの物語。
今回は──「第1章:孤独な営業マン」です。
第1章:孤独な営業マン
「今期の新規契約……佐藤、ゼロ件だな」
会議室に重たい空気が落ちた。
部長の声は低く、紙を机に叩きつけるように響く。
ホワイトボードには各営業の成績が一覧で並び、赤ペンで記された「0」という数字が、健一の名前の横で無言の嘲笑を浮かべていた。
「……はい」
健一は俯いたまま、小さく答えた。
「“はい”じゃない! もう何カ月ゼロが続いてると思ってるんだ。村上は今月五件、小林は三件。……お前は? ゼロだ。なぜだ? 答えろ」
息苦しいほどの沈黙。
喉がひりつき、声が出ない。何を言っても言い訳にしかならない気がした。
「佐藤、営業に向いてないんじゃないか」
部長の冷たい視線が突き刺さる。
その瞬間、隣に座る村上がわざとらしく椅子を引き、笑い声を漏らした。
「いやぁ、部長。俺、ずっと思ってましたよ。佐藤は性格的に営業向いてないんですって。数字がすべての世界でゼロ続きとか、もう存在自体がギャグですよ」
「村上!」
部長が制止する声を上げたが、村上は肩をすくめて笑みを崩さない。
「だって事実じゃないですか。俺たち、同じ研修受けて、同じ教材で学んだよな? それでこの差って……努力が足りないんじゃないの?」
「……」
健一は唇を噛みしめるしかなかった。
後ろの席から、別の同僚が小声でつぶやく。
「まぁ……ゼロは、さすがになぁ」
笑い声が混じる。
そのすべてが針のように胸に突き刺さる。
「佐藤」
部長が最後に突き放すように言った。
「来月もゼロなら……考えてもらうぞ。会社に残る資格があるのかどうかを」
冷酷な宣告。
会議室の時計の秒針だけが、やけに大きく響いた。
会議が終わると同時に、健一は逃げるように廊下へ出た。
背広の襟元に汗がにじむ。ポケットには、昨夜書いた退職願がしわくちゃになって忍ばされている。
「おい、佐藤」
背後から声がかかった。振り向けば、村上が腕を組み、にやにやと笑っている。
「なぁ、お前、本当にまだ営業やるつもり? 悪いこと言わない、早めに見切りつけた方が楽だぞ」
「……放っておいてくれ」
「放っておけないんだよ。チームの足を引っ張られるこっちの身にもなれよ。お前と一緒にいると“無能コンビ”って言われるんだ。迷惑なんだよな」
村上の声には容赦がなかった。
健一は言い返したかった。胸の奥では「お前だって最初は売れなかったじゃないか!」と叫びたかった。
でも、喉の奥で言葉が石のように固まり、動かなかった。
昼休み。
社員食堂では同期たちがテーブルを囲み、明るい声を響かせている。
「お前、今月はどうだ?」
「いやぁ、やっと数字見えてきたわ」
そんな会話が耳に刺さる。
健一はひとり、隅の席でトレーにのせた定食を前に箸を動かす。冷めた味噌汁が、妙に苦く感じられた。
「佐藤、また一人かよ」
横を通った小林が笑いながら言う。冗談めかした声だったが、その裏にある軽蔑を聞き取れないほど鈍感ではなかった。
「……」
返事をせず、ただ俯いて食べ続ける。
仲間に囲まれて笑う村上の姿が目に入った。
彼は声高に契約の武勇伝を語り、周りは「さすがだな」と拍手を送っている。
かつては自分もその輪の中にいたのに──今はただ遠い世界の光景だった。
定時を過ぎても、健一はデスクに座ったままだった。
パソコンの画面は真っ白。入力すべき報告書に文字は浮かばない。
(……俺は、ほんとにダメなのか)
ポケットの中の退職願を握りしめる。紙の端が汗でじっとりと濡れている。
そのとき、ふと机の引き出しの奥に置きっぱなしの営業マニュアルが目に入った。
表紙は擦り切れ、角は折れ曲がっている。
入社当時、必死に読み込んだはずの本。
だが今、その中身はほとんど覚えていなかった。
(初心を忘れたのは……俺の方かもしれない)
そう考えかけた瞬間、電話が鳴った。
画面に表示されたのは、妻・有里の名前。
「もしもし」
「健一……今日も遅いの?」
「……あぁ」
「ねえ、ちょっと相談したいんだけど。正直、家計が厳しいの。もう少し収入が安定しないと……」
健一は言葉を失った。
妻の声は責めてはいない。ただ不安そうで、かえって胸が痛む。
「……わかってる。ごめん」
それだけ言って、通話を切った。
デスクにうなだれたまま、天井を仰ぐ。
崩れ落ちたプライドの破片が、心の奥でガラスのように突き刺さっていた。
🔮次回予告
第2章「一冊の本」
深夜、ふらりと立ち寄った古本屋。
そこで手に取った一冊の本が、営業マン・佐藤健一の運命を大きく変えていく──。
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