【愛縁奇縁/現世編】第三話:小さき音も届かぬままに
焼きたての玉子焼きの匂いが、空気に混じっていた。
俺と如月、それに天羅と白哉。そして、玄。
五人で囲む朝の座卓は、妙に静かだった。
誰も声を出さない。箸の動きだけが時折食器を鳴らす。
白哉が焼いた玉子焼きの少し焦げた一切れを、玄が取った。
口に運び、少し咀嚼。表情を変えず、静かに食べる。
「……味は、どうや?」
沈黙を破ったのは白哉だった。
軽く笑って問うたその顔には、
いつもの気安さの中に、どこか、
探るような、試すような色が滲んでいる。
玄は少しだけ視線を動かす。
答える代わりに、もう一切れを取り、再び口に運んだ。
「……可もなく、不可もない。普通ですね」
「それ、褒め言葉として受け取ってええんかな?」
白哉が小さく笑う。けれど、その笑いは長く続かない。
如月は俯いたまま黙々と食べている。天羅も同様だ。
――空気が重い。朝の食卓とは思えない、妙な圧が漂っている。
けれど誰も、そのことを口に出さない。
先刻、玄から告げられた事実だけが、胸の内を鈍く震わせている。
俺は黙って、汁椀の底を見つめていた。
……その時。ふっと。
何かが、変わった気がした。
風の向きか、空の匂いか。
ほんの一瞬、皮膚の表面に微かなざらつきを感じる。
「……? 空気が、妙じゃな…………?」
俺が呟いた直後だった。
玄が箸を置く。動きは鋭く、無駄がなかった。
彼の鉛白の眼が、窓の向こうを射抜くように見据える。
次いで天羅が立ち上がり、如月も顔を上げた。
俺と白哉は玄が見据えた方角を睨み、いつでも飛び出せるよう構えた。
次の瞬間。
「黑さん!!」
玄関から、息を切らした志輝の声が飛び込んで来た。
「村が……! 村の様子が……おかしいんです!」
開け放たれた戸口の向こうから、外気が流れ込む。
土の匂いの中に混じって、何か……焦げたような、淀んだ気配を感じる。
志輝の表情は恐怖と混乱に塗れていた。
肩が小刻みに震えている。
そんな彼女を案じて、
如月が駆け寄り、落ち着けるように背中を撫でている。
天羅も彼女たちのそばへ行き、辺りを警戒するように見渡す。
「落ち着いて、何があったんか話せるか?」
白哉が志輝の側に行き、肩を撫でながら問うていたが、
志輝は言葉を詰まらせていた。
そして、やっと言葉を絞り出す。
「皆、急に……眠ってしまって……
でも、声を掛けてもゆすっても誰も目を覚まさないんです!」
その言葉に、俺の背筋が凍りついた。
まさかと思い、玄を見る。
彼は悔しそうに唇を噛みしめ、小さく首を横に振った。
「……もう、始まっている」
「何がじゃ……!」

その背を追い、俺も家を飛び出す。
村の空気は明らかに異常だった。淀んで漂うような、濁った瘴気。
足元から這い上がるように、身体を鈍く蝕む気配。
風が止まっている。鳥の声もない。
それなのに、耳鳴りのような音が耳の奥で揺れている。
……――――一人、また一人。
畑の傍で寝そべる老爺。井戸の近くに崩れた母子。
屋根の下に、朝の掃除をしていたはずの青年も。
誰もが目を閉じ、穏やかに眠っているようだ。けれど呼吸も脈もなかった。
それは確かな【死】だった。
志輝が叫ぶ。
「嘘……嘘、よ……何で……っ!」
天羅と如月が彼女の両側に立ち、肩を抱き留めるように支えている。
玄は何も言わなかった。
ただ立ち尽くし、口元に手を当てたまま顔を伏せている。
そして、静寂の中。
空が、音を孕む。
ざぁあ――。
風のような、しかし明らかに違う。異質な音が周囲を取り囲む。
そして、全ての音が止まった。世界が息を潜めた直後。
動物でも人でもない。けれど確かな【声】が村に響いた。
『……白に関わるな』
その【声】が、空気を震わせる。俺は、唇を噛みしめた。
(……「関わるな」じゃと? ふざけるでねぇ!)
俺は白哉を見やった。俺と似ている眼差しで、
真っ直ぐに見返して来ている。
そして、言葉は交わさずにただ頷き合った。
この先、何があろうと。
もう、何も誰も奪わせない。
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