原付は、車より自由で、自転車より楽だ
もう15年前になるが南淡路にセカンドハウスがあった。
目の前が海で、後ろが山、携帯はドコモ以外圏外になるような、文字通りの「ド田舎」
そんな場所で原付きに乗るのが、たまらなく好きだった。
普通免許で乗れて、中古なら10万円そこそこで買えてしまう原付きは、とにかくコスパが良い。
田んぼの側道、舗装もしてない小高い山の小道を、トコトコと軽快に駆け抜けていく。
田舎だから信号なんてほとんどない。気の向くままにどこへでも適当に止め、タバコを一服する。
山道があれば登ってみる。
川の土手も走ってみる。
もし倒れても、動かなくなっても車ほど深刻じゃない。
原付をワザと倒して椅子がわりにすることもあった。
原付ぐらいなら人力で押して歩ける。
車じゃ行けないような道をわざわざ選んで走った。
車は便利だが存在が重たいときがある。
歩きや自転車はしんどいときがある。
原付は車と歩きや自転車の間にすっぽり収まるのだ。
そうしていると、たまに畑仕事をしている地元のおばちゃんと会う。
なぜだろう、田舎で原付きに乗っている人間に悪い奴はいないとでも思っているのか、話しかけるとどのおばちゃんも愛想が良い。
こんな環境に身を置いていると、世界の針が狂ったようにゆっくりと回り始める。
都会の秒針とはまるで違う、おおらかな時間だ。
一つだけ誤算があるとすれば、田舎のおばちゃんとは、とにかく話し好きだ。
天気の話に始まり、今日の暑さ寒さ、近所の誰それの噂、そして目の前に広がる畑の野菜の出来栄えについて、こちらが相槌を打っている限り、延々と話し続ける。
中身はぶっちゃけ、どうでもいい話ばかりだ。
けれど、不思議とそれが心地よい。
そこには都会特有の利害や、打算や、駆け引きが一切存在しないからだろう。
話し疲れたのか、満足したのか、やおら機嫌を良くしたおばちゃんが「これ持って帰りな!」と、その場で収穫したばかりの野菜をどっさりくれたりする。
これは、おばちゃんの自信作なのだ。
「そんな、申し訳ないです」と言いつつも、人の好意を無駄にするのも野暮だと思い、「ありがとうございます」とありがたく受け取る。
おばちゃんと笑顔で別れ、原付きの足元やカゴに収まった大量の野菜を目の当たりにした瞬間、ふと我に返る。
これ、一人のセカンドハウスで、どうやって消費しきればいいんだ。
ズッシリと重いトマトやキュウリを眺めながら、穏やかな海風に吹かれつつ、途方に暮れる。
