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当時の心境と治療について①

前回まではポップに書いていたけど、実際は
23歳の私にそんな余裕はありませんでした🥹
ここからは当時のリアルな心境と治療についてを真面目に書いていきます。
ちょっと長いけどよかったら読んでね🙏
発覚当時から書きます!

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2021年3月29日。23歳の私は
急性前骨髄球性白血病》と診断されました。

そもそもの始まりは、2月中旬。

もともと疲れが溜まると年に1〜2回くらい扁桃炎になるタイプだったので
最初は完全に「またか〜」くらいに思っていました。

当時は新卒1年目で不動産業界に勤めていて、人生初の繁忙期。

「まあ仕事忙しいし、疲れが溜まってるんだろうな」

くらいの感覚。

4日くらい休んで熱が下がったので、普通に出社。

ところが2月下旬、また扁桃炎になりそうな感じがして耳鼻科へ。
薬をもらっても熱だけがなかなか下がらない。

当時はコロナ真っ只中だったので
会社には毎日検温報告が必要だったし、休んだばっかりなのにまた休むのも申し訳ない。
仕事も回らない。

ということで、解熱剤で熱を下げながら普通に仕事してました。笑

そこから毎日微熱。
夜になると高熱になることも。

3月に入ると、駅まで歩くだけでやたら息切れするようになったけど、これも「体調悪いからだろう」と思っていた。

そして3月下旬。

歯磨きをしていたら
歯茎からとんでもない量の出血。

3月27日、あまりにも具合が悪そうだったらしく、ついに先輩社員が異変に気づいてくれて、急遽連休をもらうことに。

ちょうど同棲していた彼氏がその夜友達と遊ぶ予定で家にいなかったので、久しぶりに実家へ帰ることにしました。

父が駅まで迎えに来てくれて、私の顔を見るなり一言。

「ホラー映画に出てきそうなくらい顔色悪いぞ」

……いや、言い方。笑

でも実際、母と姉もびっくりするくらい顔面蒼白でやつれていたらしい。

久しぶりに実家に帰って、母の顔を見たらなんだか色々吹き出して泣いた。

翌日、母に付き添ってもらって病院へ。

血液検査をすると、貧血だけではなく白血球や血小板など、いろいろな数値に異常が出ていた。

「ウイルス性ではなく、骨髄で何か異変が起きている可能性があります」

その言葉を聞いたとき、左足に身に覚えのないアザがいくつかあったこともあって、

「……もしかして白血病?」

と、なんとなく察してしまった。

その日のうちに血液内科のある別の病院へ移動。

再度採血をして、心電図、レントゲン、そして骨髄検査。

この骨髄検査が本当に怖かった。

局所麻酔をするとはいえ、骨に穴を開けるので、ゴリゴリする音は聞こえるし、髄液を抜くときは痛い。

恐怖と不安で23歳にして号泣。

このあと念のためPCR検査もしたんだけど、

「PCR、無痛じゃん」

と思うくらいには骨髄検査が怖かった。笑

そして検査結果を聞くために診察室へ。

先生から、

「骨髄検査の結果、急性前骨髄球性白血病です。白血病の中でも比較的珍しいですが、今は完治する確率も一番高いタイプです」

と告げられました。

あまりにもサラッと言われたので、

「この先生、正気か?」

と本気で思った。笑

でも逆に、サラッと言われすぎたおかげで、私もサラッと説明を聞けた気がする。

10万人に2.3人ほどの割合で、健康な人でも突然発症する。

原因は分からない。

つまり、防ぎようもない。

「なんて引きの良さなんだ……」

と思いました。

そして何より重かったのが、

「治療が軌道に乗るまでに出血が起きたら、命を落とす可能性があります」

という話と、

「抗がん剤治療によって、子どもができにくくなる、もしくはできなくなる可能性があります」

という話。

当時付き合っていた彼氏とは、将来の話を普通にしていました。

そこには当たり前のように、自分たちの子どもがいた。

それなのに突然、

「子どもができないかもしれない」

という未来を突きつけられた。

病気になったことだけでもしんどいのに、
なんでそこまで奪われなきゃいけないんだろう。

診察室を出た瞬間、涙が止まらなくなりました。

そのまま色んな同意書に泣きながらサインをして、即入院。

一度も家に帰れないまま、次の日から治療が始まることになりました。

しかも当時はコロナ禍で家族ですら面会禁止。

エレベーターで家族とお別れ。

母が泣いてしまって、親が泣いている姿を見るのはさすがに堪えた。

病棟に着くと、入院どころか点滴すらほとんどしたことがない健康体だった私が、いきなり色んな管に繋がれていました。

違和感しかない。笑

とりあえず輸血をして、翌日の抗がん剤に備える。

夕方に病院食が出てきたけど、普通に完食。

この時点ではまだ食欲も元気もあったので、看護師さんと談笑したりして、

「よし、治療頑張ろう!」

と思っていた。

……けど、いざ一人で病室にいると色々込み上げてきて、結局涙が止まらない。

彼氏に病名を報告する電話では、泣きすぎて過呼吸になるかと思った。笑

そんな私に彼氏が言ってくれた、

「生きててくれればいいから」

という言葉に、本当に救われました。

翌朝。

首のあたりから点滴を入れるための処置。

「首に針を刺す」

というパワーワードが怖すぎて、当日の朝5時半に起床。笑

9時頃に処置室へ行き、いよいよ本当に治療が始まるんだという実感が込み上げてきて、局所麻酔の直前にまた号泣。

看護師さんに慰められながら泣き続ける私。

先生はお構いなしに淡々と処置を進めていく。

エコーで確認しながらカテーテルを入れて、5〜6分くらいで終了。

痛みは思ったより大丈夫だった。

前日に針を刺されまくっていたので、ちょっと慣れていたのかもしれない。

慣れってすごい。笑

ただ、首に異物がついている感じと突っ張る感じがすごくて、

「これで毎日過ごすのか……」

という気持ち。

でも、この首の点滴からなら何本も同時に点滴できるし、採血もできる。

つまり腕に毎回針を刺さなくていい。

それだけでちょっと安心した。

そしていよいよ14時半、抗がん剤開始。

治療内容は、24時間の抗がん剤を5日間、別の抗がん剤を30分ほど、そして「ベサノイド」という飲み薬を毎日内服。

抗がん剤で身体中の悪い細胞を一気に叩いていく治療でした。

点滴を並べてみたら、まあまあの量。

24時間の抗がん剤が500ml×2。

別の抗がん剤。

吐き気止め。

さらに生理食塩水が1日2L。

「すんごい量だな」

と思いながらも、この日はまだ元気。

しかも30分の抗がん剤がびっくりするくらいオレンジ色。

「これインスタのストーリーに載せよ」

と写真まで撮っていた。笑

夜ご飯も完食。

友達や家族と電話。

唯一面倒だったのが、点滴のカラカラを持ってトイレに行くこと。

そして夜中も尿意がすごくて何回も起きる。

それでも、この時はまだ

「まあ、こんなもんか」

くらいだった。

ところが入院3日目。

朝起きた瞬間、どうしようもない倦怠感。

体を起こすのもやっと。

それなのに尿意はやってくる。

点滴の機械のコードを外してトイレに行って、戻ってきたらまたコードを差す。

この作業だけで疲れる。

朝ごはんも、ついに食べる気がなくなった。

昨日まで普通に完食していたのに、スープを飲むのが精一杯。

お昼も夜もほとんど食べられず、トイレ以外はひたすら寝ていました。

吐くほどの吐き気はなかったのが唯一の救い。

4日目、5日目もほぼ同じ。

そしてこの時、地味に一番辛かったこと。

基本的に全部自分でやらなきゃいけない

お水を取りに行く。
着替えを用意する。
必要なものを取る。

体がしんどい状態だと、それすらめちゃくちゃ辛い。

個人的には、

ベッドから落ちた充電器のコードを拾いに行くことが一番嫌だった。

今思い返しても、そこ?って感じだけど、本当に嫌だった。笑

6日目。

ついに24時間の抗がん剤点滴が終了。

点滴が外れた瞬間、看護師さんが病室からいなくなったタイミングで思わず号泣して、母に電話。

嬉しいのか、辛かったのか、自分でもよく分からない。

とにかく、張り詰めていたものが全部出た。

その後は少しずつ体調が回復。

ただ、今度は口内炎、発熱、耳の痛み、脱毛など別の副作用が次々とやってきた。

髪が抜け始めた時は、想像以上にショックだった。
でも口内炎は特に辛かった。

小さかった口内炎がどんどん大きくなり、最終的には一円玉くらいに。

歯磨きとうがいをめちゃくちゃ頑張っていたのに、

「なんでだよ……」

という気持ち。

しかも入院前に揚げ物を食べて上顎をちょっと傷つけていたので、

「絶対あの時の自分のせいだ」

と、過去の自分を心底殴りたくなった。笑

口が痛い。
耳も痛い。
病院食も美味しくない。

もう食事が完全に苦行。

白米を見るだけで嫌になるし、味覚や嗅覚も敏感になって焼き魚や煮魚なんて本当に食べられない。

そんな私を救ってくれたのが、持参したふりかけ。

ふりかけ、偉大。


さらに耳が外耳炎になったり、38度を超える発熱があったり、髪が束で抜け始めたり。

シャワーを浴びたら、今まであった足の筋肉がごっそり落ちていて、

「私、こんなに足細かったっけ?」

となった。

もともと小さい頃から、シャワーを使っていない間に足の間に挟むクセがあったんだけど、筋肉も脂肪も落ちたせいか、シャワーが足の隙間からずり落ちた。

そんな経験、人生で初めて。笑

そして体調が少し落ち着いてくると、今度はメンタルが荒ぶり始める。

天気がいいのに外に出られない。

友達のインスタを見ると、
自分ができないことをみんな普通にしている。

春服を着て桜を見たかった。
デートしたかった。
友達と飲みに行きたかった。
仕事にも慣れてきたところだったから、ちょっと閑散期を楽しみたかった。

なのに私は病室から出られない。


「なんで自分ばっかり」

って、何度も思った。

今思えば誰も悪くない。

でも、そんなことまで考えてしまうくらい余裕がなかった。

そして何より辛かったのが、一人で食べる病院食。

ある日、母がお粥に乗せられるようにそぼろ丼のお肉と卵を持ってきてくれた。

18時、いつもの病院食のお粥に乗せて一口。

実家で食べていた、そのままの味。

それだけで涙が止まらなくなった。

母に電話をかけたものの、最初の1分くらい何も話せないくらい号泣。

「もう一人でご飯食べるの嫌」

「毎日一人で美味しくないご飯食べるの嫌」

小学生みたいなことを言いながら泣き続けた。

でも、そこで初めて気づいた。

私は今まで、一人で食事をすることが本当に少なかった。

一人で食べることがあっても、周りには知っている誰かがいる。

それが当たり前だった。

知らないうちに、「誰かと一緒にご飯を食べること」が私の心を支えてくれていたんだと思う。

それ以降、母が毎日ご飯の時間に電話してくれるようになった。

直接会えなくても、電話越しに一緒にご飯を食べる。

それだけでかなり救われた。

そして、私のメンタルを救ってくれたのは家族だけじゃなかった。

病棟8階の窓から見える公園まで彼氏が来てくれた。

めちゃくちゃ遠くて豆粒みたいだったけど、「いる」って分かるだけで嬉しかった。

看護師さんたちからは、

「元気の源と会えたか〜?笑」

なんて冷やかされる。

患者さんが60〜90歳くらいの人ばかりだったので、若い女の子が珍しかったらしく、看護師さんたちがやたら恋バナを聞いてくる。笑

その翌日は同期が雨の中、公園まで来てくれて、私の名前を書いたうちわを持って励ましてくれた。

その次は両親。

パソコンが苦手な父がワードで大きな文字を作って、

「待ってるよ、愛してるぞ」

と書いた紙を、横断幕みたいに掲げてくれた。

正直ちょっと恥ずかしかったけど、めちゃくちゃ嬉しかった。

そんなこんなで、少しずつ血液の数値も回復。

途中で発熱が続いたり、貧血がひどくなったり、肺炎のような小さな影が見つかったりして、退院が延期になったりもした。

「よし、もう退院できる!」

と思ったら嫌なことが起きる。

一進一退。

それでも、治療開始から約1か月。

4月26日、ようやく一時退院できました。

約1か月ぶりの外。

食べたかったものを食べる。
家族に会う。
彼氏に会う。
愛犬と遊ぶ。

当たり前だったことが、全部ものすごく幸せだった。

そして退院後、抜け続ける髪を母にバッサリ切ってもらい、人生初のショートカットに。

「……あれ?私、意外とショート似合うかも?」

と思った。笑

一時退院の2週間は、本当に天国みたいだった。

ただ、天国のような時間はあっという間。

5月12日から、次の「地固め療法」が始まることになりました。

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