AIに描かれた私は、おじさんだった。
先日、AIに「私」をイメージしたイラストを描いてもらった。
出来上がった画像を見て、思わず笑った。
ニューヨーク・ニックスのTシャツを着て、マイクを握る、優しそうなおじさん。
部屋には音楽のCD。
NBAのボール。
ベランダにはスナップえんどう。
世界観は完璧だ。
でも、一つだけ違う。

私は女性。
なぜAIは私を男性として描いたのだろう。
考えてみると面白い。
私は子どもが5歳の時に離婚し、母子家庭で暮らしてきた。
母であり、父でもあった。
働き、
決断し、
守り、
時には戦いながら生きてきた。
そんな人生を文章から読み取ったAIは、
「この人は男性だろう」
と推測したのかもしれない。
もちろん、実際には女性だ。
しかし、私は昔から少し、おじさん寄りだったかもしれない。
1990年代。
世の中には「おやじギャル」という言葉があった。
私もまさにその世代。
オグリキャップと武豊に夢中になり、
週末は歌舞伎町で飲み歩き、
スポーツを語り、
音楽を語り、
人生を語った。
今振り返ると、なかなかのおじさんである。
でも、本当にそうだろうか。
おじさんなのだろうか。
おばさんなのだろうか。
あるいは、そのどちらでもないのだろうか。
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6月はプライド月間。
LGBTQについて考える機会が増える季節だ。
私は当事者ではない。
けれど今回の出来事を通して、一つ気づいたことがある。
人は相手を見るとき、
「男性」
「女性」
「若い」
「年配」
「こういう趣味だからこういう人」
そんなふうに、無意識のうちにラベルを貼っている。
AIも同じだった。
趣味や文章や生き方を見て、
勝手に「男性」というラベルを貼った。
けれど本当の私は、そのどれか一つでは表せない。
女性であり。
母であり。
音楽好きであり。
NBA好きであり。
ベランダ菜園を楽しみ。
ライブで歌い。
日常の小さな発見に喜ぶ。
そんな、いくつもの要素の集合体だ。
プライド月間は、
「どんな人も自分らしく生きていい」
というメッセージを伝える月だと言われている。
それは性別や性的指向だけの話ではないのかもしれない。
人は誰でも、ひとつのラベルでは説明できない。
私だってそうでしょ。
AIに描かれた私は、おじさんだった。
でも、少し考えてみる。
あの絵は間違いだったのだろうか。
音楽とかNBAとか日常の小さな発見を愛する私の一部分を、
うまく描いている。
おじさんに描かれても、案外、腑に落ちている、自分がいた。
これで、いいかなぁー。

