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Bauhaus回想録 Vol.2:アンデッドの誕生と9分間の魔法 (1979)

前回のVol.1では結成前夜までを描きましたが、今回はバウハウスの歴史において最も重要な瞬間――名曲「Bela Lugosi's Dead」が誕生した1979年の数ヶ月間に焦点を絞り、その奇跡的な制作プロセスを、デヴィッド・Jの回想録の微細な描写を元に再現します。

あわせて、デビューシングルの詳細なレビュー、そして彼らが「ゴシック」というパブリック・イメージを決定づけてしまった「霊柩車」のエピソードについても、当時の実情を交えて描きます。


アンデッドの誕生と9分間の魔法

「白地に白、半透明。黒いケープの背中……」 ――『Bela Lugosi's Dead』

1979年の冬。ノーサンプトンの空は相変わらず灰色で、産業の衰退を告げる冷たい風が吹いていました。 バウハウスという名のバンドはまだ、地元のパブで数回演奏しただけの、名もなき4人の若者に過ぎませんでした。

しかし、この年の1月、彼らはロックの歴史を書き換えることになります。 派手な宣伝戦略でも、大手レーベルの力でもありません。
たった1曲。それも9分間以上続く、陰鬱で、スカスカで、呪術的な1曲が、彼らを永遠の存在(アンデッド)へと変貌させたのです。

連載第2回は、ゴシック・ロックの聖典「Bela Lugosi's Dead」が生まれた奇跡の夜と、彼らがロンドンのアンダーグラウンド・シーンに「感染」していく過程を描きます。


1. 深夜の電話と宛名ラベル (1979年1月)

すべての始まりは、デヴィッド・Jが自宅でテレビを見ていた夜のことでした。 画面には、1931年のユニバーサル映画『魔人ドラキュラ(Dracula)』が映し出されていました。
主演はハンガリー人俳優、ベラ・ルゴシ。その過剰な演技、優雅な手の動き、そして悲劇的な瞳に、デヴィッドは釘付けになりました。

Dracula (1931)

映画が終わるとすぐ、彼はギタリストのダニエル・アッシュに電話をかけました。

デヴィッド:今のドラキュラ見たかい?
ダニエル:ああ、見てたよ。最高にクールだったな
デヴィッド:彼についての曲を作るべきだと思うんだ。吸血鬼そのものじゃなく、役者としてのベラ・ルゴシについての曲をさ

ダニエルはそのアイデアを気に入り、受話器の向こうで、以前から温めていたというリフを口ずさみました。それは下降していく、不気味で官能的なコード進行でした。

翌日、デヴィッドは配送会社でのアルバイトに向かいました。 ベルトコンベアの前で単調な作業をしながらも、彼の頭の中では昨夜の会話が渦巻いていました。
彼は作業の手を止め、ポケットから配送用の「宛名ラベル(Shipping Label)」の束を取り出しました。そして、その粘着性の裏紙に、湧き上がるイメージを書き殴ったのです。

White on white translucent black capes back on the rack (白地に白、半透明。黒いケープの背中、棚に戻される) Bela Lugosi's dead (ベラ・ルゴシは死んだ)

歌詞は、映画のセットや小道具、そして棺の中で眠る俳優の姿を、冷徹なカメラアイで描写したものでした。それは「ホラー」というよりは、エロティックな「静物画」のようでした。


2. リハーサル・ルームの錬金術

その夜のリハーサルで、奇跡が起きました。 デヴィッドが歌詞を見せ、ダニエルが例のリフ――Eのバレーコードを半音ずつ下げていく不協和音――を弾き始めました。

ここで、ドラマーのケビン・ハスキンスが意外なアプローチを見せます。
通常のロック・ドラマーなら、ここで重厚な8ビートを叩くところでしょう。
しかし、ケビンが叩き出したのは、ボサノヴァのリズムでした。リムショット(スネアの縁を叩く音)が「カッカッ」と乾いた音を刻み、ハイハットが「チー、チー」と刻まれる。
それはロックというよりは、倒錯したラウンジ・ミュージックのようでした。

そしてデヴィッド・Jのベースです。 彼は10代の頃にノーサンプトンのレゲエ・クラブで吸収したダブ(Dub)の手法を取り入れました。
音を詰め込むのではなく、極限まで減らすこと。彼はわずか3つの音を行き来し、そこに巨大な「空間(スペース)」を残しました。

ピーターがマイクに向かって歩き出し、あの歌詞を読み上げ始めた瞬間、背筋が凍りました。彼は歌っていたのではありません。演じていたのです。そしてサビの『Undead, undead, undead...』という部分で、彼は呪文を唱えるシャーマンのようになりました(デヴィッド・J回想録)

曲が終わったとき、4人は顔を見合わせました。誰も何も言いませんでしたが、全員が同じことを感じていました。「これは特別なものだ」と。


3. ベック・スタジオの魔術師:デレク・トンプキンス

この曲を形にするためには、特別なエンジニアが必要でした。 彼らが選んだのは、ウェリングボローにある「ベック・スタジオ(Beck Studios)」のオーナー、デレク・トンプキンスでした。

デレク・トンプキンス

デレクは当時すでに中年で、バウハウスのメンバーとは世代が違いましたが、彼は「音」に対して異常なこだわりを持つ職人でした。スタジオの機材の多くは彼の手作りで、彼はレゲエやダブの音響処理にも精通していました。

録音の日、デレクはバンドの演奏を聴いて言いました。 「いいかい、この曲は切ったり貼ったりしちゃいけない。そのまま演奏しなさい。私が処理するから」

彼らはブースに入り、一発録り(ワンテイク)で演奏しました。 デレクはミキシング・コンソールで、スネアドラムの音に深いディレイ(遅延効果)をかけ、それをダブの手法で飛ばしました。
ギターのノイズは残響となり、ピーターの声は地下墓地から響くように加工されました。

9分36秒。演奏が終わったとき、テイクワンが「マスターテイク」になりました。 それは完璧でした。修正の必要などどこにもなかったのです。

ジャケットはドイツ表現主義の映画から

4. 作品レビュー:Single "Bela Lugosi's Dead" (1979)

こうして完成した音源は、デモテープとしてロンドンのレコード店やレーベルに送られました。
反応したのは、ロンドンのレコード店「Small Wonder」の店主、ピート・ステネットでした。彼はテープを聴くなり、「これをリリースしたい。ただし、短縮編集(エディット)なしでだ」と言いました。

1st Single: "Bela Lugosi's Dead"

  • 発売日: 1979年8月6日

  • レーベル: Small Wonder Records

  • フォーマット: 12インチシングル(33回転)

  • ジャケット: 映画『カリガリ博士』のスチール写真(ダニエル・アッシュ選定)

【楽曲分析:闇の構造】 この曲が革命的だったのは、パンク・ロックが信条としていた「速さ」「短さ」「怒り」のすべてを否定した点にあります。

  • イントロの長さ: 曲が始まっても、ボーカルが入ってくるまで約3分間かかります。聴き手は、ケビンの刻むボサノヴァ・ビートと、ダニエルのきしむギターノイズによる催眠的な反復にさらされ、時間感覚を麻痺させられます。

  • ダブの影響: デヴィッド・Jのベースラインは、レゲエの重低音を継承しつつ、冷徹なマシーンのようにループします。音と音の間の「静寂」が、恐怖心を煽ります。

  • ボーカル・パフォーマンス: ピーター・マーフィーはこの曲で、歌手というより「憑依体」として振る舞っています。前半の抑えた語りから、後半の「Oh Bela!」という絶叫に至るカタルシスは、まさに演劇の幕切れのようです。

【B面:Boys】 カップリングの「Boys」は、A面の陰鬱さとは対照的な、軽快なグラム・ロック・ナンバーです。
「かわい子ちゃんたち(Boys)が通りを歩いてくる」と歌うこの曲は、彼らがデヴィッド・ボウイやT・レックスの「スター性」に憧れる、ノーサンプトンの若者であることを思い出させてくれます。
A面が「死」なら、B面は「生(あるいは性)」への渇望でした。

このシングルは、全英インディーズ・チャートに2年以上(131週間)ランクインし続けるという、前代未聞のロングセラーとなりました。


5. 霊柩車という誤解:「ゴス」の刻印

シングルがヒットし始めると、バウハウスはロンドンでのライブ活動を本格化させます。
しかし、ここで彼らは一つの「過ち(あるいは幸運な事故)」を犯します。それが、伝説となった霊柩車(Hearse)の使用です。

バンドは機材を運ぶためのバンを探していましたが、金がありませんでした。 ある日、中古車情報誌を見ていた彼らは、驚くほど安い大型車を見つけます。それが中古の霊柩車でした。
後部座席がなく、棺桶を乗せるためのレールと広大なスペースがある霊柩車は、アンプやドラムセットを運ぶのに理想的だったのです。

私たちはそれをわずか65ポンド(約数万円)という捨て値で購入しました。ただの実用的な選択でした。しかし、想像してみてください。全身黒ずくめの4人の男が、ロンドンのクラブの前に霊柩車を横付けし、そこから降りてくるのです。これ以上の宣伝効果はありませんでした(デヴィッド・J)

プレスや観客は色めき立ちました。「あいつらは本物の吸血鬼崇拝者だ」「死に取り憑かれている」と。 ピーター・マーフィーは後年、「あれは美しい車だったし、僕らは金がなかっただけなんだ!」と弁明していますが、この視覚的インパクトは決定的でした。

当時、音楽メディアではジョイ・ディヴィジョンやスージー・アンド・ザ・バンシーズの音楽を形容するために「ゴシック(Gothic)」という言葉が散発的に使われ始めていました。

しかし、バウハウスと霊柩車の登場によって、その言葉は「雰囲気」から「スタイル」へと変質しました。彼らは意図せずして、後に「ゴス」と呼ばれるサブカルチャーの視覚的テンプレート(雛形)を完成させてしまったのです。

ゴスというイメージ

6. スロッビング・グリッスルとの遭遇

1979年、バウハウスは急速に注目を集め、様々なバンドと共演するようになります。 その中でも特にデヴィッド・Jに衝撃を与えたのは、インダストリアル・ミュージックの始祖、スロッビング・グリッスル(Throbbing Gristle)との出会いでした。

ロンドンの工業地帯にある彼らのアジト「デス・ファクトリー(Death Factory)」を訪れたデヴィッドは、リーダーのジェネシス・P・オリッジと交流を持ちます。

彼らの音楽は、ロックというよりは「拷問」や「精神実験」に近いものでした。不快なノイズ、ポルノグラフィー、そして全体主義的なイメージの流用。バウハウスが「演劇的な闇」だとすれば、彼らは「現実の闇」でした。

ある日のライブで、スロッビング・グリッスルのメンバーは、客席のデヴィッド・Jに向かって強烈なライトを浴びせ、執拗に挑発しました。

しかし、この交流を通じてデヴィッドは、ウィリアム・S・バロウズの著作や「カットアップ手法」、そして魔術的なアプローチについて深く学ぶことになります。
これは後のバウハウスの歌詞や、デヴィッド自身のソロ活動に多大な影響を与えることになります。

コージー姉さんのカッコいいこと

7. 1979年の終わり:闇からの飛躍

1979年の終わりまでに、バウハウスは「Bela Lugosi's Dead」一曲の力で、アンダーグラウンド・シーンの寵児となっていました。
BBCラジオの名物DJ、ジョン・ピールも彼らの曲を頻繁にかけ、セッションに招きました(このセッション音源は後に公式リリースされます)。

しかし、彼らは「一発屋」で終わるつもりはありませんでした。
ピーター・マーフィーはステージ上でますますカリスマ性を増し、観客を威嚇し、魅了する術を体得していました。
ダニエルとデヴィッド、ケビンの演奏力も、数々のライブを経て研ぎ澄まされていました。

彼らは次のステップへ進む準備ができていました。
より大きなレーベル、より多くのオーディエンス、そしてアルバムの制作。 1980年、彼らは新興レーベル4ADと契約し、さらに深く、鋭利な闇の世界へと足を踏み入れることになります。


【Vol.2 あとがき】

第2回では、バウハウスの代名詞とも言える名曲「Bela Lugosi's Dead」の誕生秘話を中心に描きました。

この曲が面白いのは、彼らが「恐怖」を描こうとしたのではなく、あくまで「映画という虚構」を描こうとした点です。

彼らの視点は常に冷徹で、観察的でした。しかし、その距離感こそが、逆に聴き手の想像力を刺激し、得体の知れない不安を呼び起こしたのでしょう。

また、デレク・トンプキンスというエンジニアの存在も見逃せません。彼がいなければ、あの曲の持つ独特の空間性(ダブ・サウンド)は生まれなかったかもしれません。
バウハウスは4人のメンバーだけでなく、ノーサンプトンの「職人」によっても支えられていたのです。

次回Vol.3では、4ADへの移籍、そしてプレス(批評家)から激しいバッシングを受けることになる1stアルバム『In The Flat Field』の制作背景について語ります。
なぜ彼らはあれほど嫌われたのか? そしてジョイ・ディヴィジョンのイアン・カーティスとの知られざる交流とは?

(Vol.3へ続く)

※本文中の引用・描写は主に David J の回想録に基づき、必要に応じて文脈に合わせて訳語を調整しています。誤訳や取り違いに気づいた場合は適宜修正します。

【出典・参考文献】

本連載の執筆にあたり、以下の文献・資料を参照・引用いたしました。

■ 回想録(一次資料)

  • David J, Who Killed Mister Moonlight?: Bauhaus, Black Magick and Benediction, Jawbone Press, 2014.

■ 当時の音楽プレス(1979-1983)

  • Phil Sutcliffe, "Bauhaus: University of Surrey, Guildford", Sounds, May 24, 1980.

  • Andy Gill, "Bauhaus: In The Flat Field", New Musical Express (NME), November 8, 1980.

  • Mike Stand, "Bauhaus: Darkness and Degradation in Sound and Word", The Face, Issue 22, February 1982.

  • Paul Morley, "Bauhaus: Breaking Down The Walls Of Art-Ache", New Musical Express (NME), March 20, 1982.

  • Chris Bohn, "Ziggy Stardust: From Bowie To Bauhaus", New Musical Express (NME), October 23, 1982.

  • Helen Fitzgerald, "Peter Murphy: Searching for Satori", Melody Maker, October 8, 1983.

■ 回顧録・特集記事(2000年代以降)

  • Stephen Dalton, "Bauhaus: The Godfathers of Goth", Uncut, Issue 131, April 2008.

  • Julian Marszalek, "Peter Murphy Interview", The Quietus, July 26, 2011.

  • Martin Aston, "Bauhaus: A post-punk primer on 'The Godfathers of Goth'", The Vinyl Factory, January 16, 2019.

■ データ参照

  • Discogs (Release Data)

  • Official Charts Company (UK Chart Data)

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