ひとつの目的…それで良い✨
ずるい発想や怠惰な性格があると、ひとつの目的では動けないのかもしれない。
ふたつ以上の目的や、ひとつは望む結果を得られる見込みが立たなければ動けない。
そんな風になるのかもしれないと思う。
それは地元で毒親と過ごして分かったことだ。
こちらのことについて、やつらが望む結果を得られないと分かってからのやつらの言動はあまりにもひどかった。
おそらくそれまで先行投資してきたつもりだった金銭のことについて取り返しがつかなくなったためだ。
やつらにとって子育ては単なる投資だった。
後から必ず相応の利益を回収できるはずだと思っていた。
それが叶わなくなって、慌てふためいていた。
自分はそんなやつらの言動に巻き込まれながらも、心はいつも孤独で一人きり、鬱のどん底にいた。
自分は何の結果も見込めなくても、ひとつの目的で動けるようになっている。
もはや保険などかけようがなく、何の収穫もないことは当たり前になった。
ただその日を無事に暮らせれば良い。
それが何よりの収穫だ。
そう思えるほどに苦渋に満ちた人生を送ってきた。
大変だったけれど、その甲斐はあったのだと思う。
苦労は報われるとは限らない。
だからむやみに苦労するものではない。
苦労しなくて済むのなら、しないに越したことはない。
人生にはただでさえ、避けられない苦労が沢山あるのだから。
「人は苦しもうとする」とフロイトは言ったらしい。
それはつまり「人は皆神経症だ」ということかもしれない。
それならその神経症を克服するまでだ。
そうすれば、あえて苦しもうとすることなど、なくなるのかもしれない。
自分にも、あえて苦しもうとする節があるから、それは自覚していた。
苦しまなくて済む場面で、あえて苦しむ必要はない。
それは健康な人にとっては当たり前のことなのだと思う。
その当たり前がなかなか分からない。
だから自分は苦しんできたのだと思っている。
当たり前。
これがなかなか受け入れられず、分かりもしない。
それが人間にとっては肝心な問題のひとつなのかもしれない。
