知らないことは知らないことにすら気づけない
私は「ヒッポ・ファミリークラブ」というものに入っています。
これは、「赤ちゃんのように多言語を覚える」というコンセプトで作られたんですが、この集まりをなんと呼べばいいのか私にはいまだによくわかっていません。(注1)
「言語の教室」ではありません。
先生がいて、生徒たちに外国の言葉を教えるという場所ではないのです。
ただ、大人も子供も等しく同じ立場で集まって、たくさんの言語の音源を聴き、口マネをし、歌や踊りやゲームをする間に自然に耳から言葉が入って自分のものになるというコンセプトで運営されています。
ヒッポ・ファミリークラブについてはまた別の機会に書きたいのですが、私はこのコミュニティー(なのかな?)がとても好きなんです。
1番の理由は「カオスが許される場」だからだと思います。(注2)
まあ、それはさておき。
今回、「知らない」ってこういうことなんだな〜と思った経験をしたので記録しておこうと思います。
多言語を耳から聴いて覚えるのに「音源」と呼ばれるものを使います。
昔はカセットテープ、その次にCD、今はSDカードで配布される音源には、ある一つの物語がいろんな言語で収録されています。
最初は英語だけだったそうですが、それに韓国語が加わり、スペイン語が加わり…と少しずつ増えて、今は「基本の7ヶ国語」が初級のセットになっています。(注3)
(それ以後どんどん増えて、現在は23ヶ国語ぐらいなのかな?)
ちょっと著作権に触れるかも知れませんが、これを引用しないと今日の記事にならないので許していただくとして。
音源の中で12歳(14歳やったっけ?)の女の子がホームステイ先初日の感想を夜のベッドで呟くシーンに「花も嵐も踏み越えて」というセリフがあるのです。
ここ、私は初めてこの音源を聴いたときからものすごい違和感があったんですよね。
なぜなら、こんな大昔の歌の歌詞を10代前半の女の子がしみじみ言うとは思えないから。
当然ながら、このシーンを他の言語に訳すときにそのままの言い方にしたらその国の人には通じないですから(私には日本でも通じないと思えるのですが)、なんか違う感じになってるんだと思います。(注4)
ということで前置きが長くなったのですが、今日の本題。
私が驚いたのは、この違和感が他の人たちに全く通じなかったことなんです。
みんな、このフレーズは諺か何かだと思ってたみたいで、私が先日「歌詞の一部だよー」と元ネタをYouTubeから引っ張ってきて初めて「え〜、これやったん!!」と言われました。
そりゃそうだよね、「愛染かつら」なんていう昭和20年代のドラマの主題歌なんだから。
私だって観たことはありません。
子供の頃に母親がよくこのフレーズは呟いてたから知ってるだけですが、それにしてもこの音源が作られた1980年代の小学生が呟くセリフとしては違和感バリバリです。
ということは、若いお母さんたちが知らなくても当たり前なんですよね。
人間、生きてる間に「知れること」なんて、それこそたかが知れてます。
世の中は「知らないこと」ばかりです。
でも、残念ながら「知らないこと」を「知る」のは不可能だということ。
だって、「知らない」んだから、何を知らないのかもわからんもんね〜!(注5)
と、いうことを目の当たりに体験したお話でした!(チャンチャン)
(注1)
ヒッポ・ファミリークラブについては、この本をぜひ読んでほしいです!
私はこの本を読んで感動し、何も考えずにヒッポに入りました。
ことばを歌え!こどもたち―多言語の世界を開く
(注2)
カオス、文字通りの「混沌」です。
他人に対する一定の配慮はもちろん必要ですが、「これをしなければ」という厳密なルールに縛られません。
「こうしなければ」「こうするのが常識」という考え方は、異なる言語や文化の人たちとの先入観のない交流を妨げるからだと思います。
「心を開く」とよく言われますが、ヒッポ・ファミリークラブは何よりもこれを大事にするところなんですよね。
(注3)
音源には日本語もあるので、それと聴き比べると場面やどんなことを話しているのかは類推できますが、細かい単語や文法は「覚える」というより「自然に口をついて出るようになる」のです。
大人にはこれだけでは「言語を習得する」のは難しく感じますが、子供はすごく早いです。
だって赤ちゃんはこうやって言葉を覚えるのだから。
(注4)
英語では「Sunshine」とかなんとか聴こえるので、「照る日も降る日も」みたいな表現になってるのかもしれません。
他の言語はさっぱりわかりませんが。
(注5)
よく、ビジネスセミナーとか自己啓発本なんかで言われる「知の4モード」。
つまり、
・既知 知っていること
・無知 知ってることの中で知らないもの
・未知 知らないことの中で知らないもの
・不知 知らないことすら知らないこと
この「不知」であることは自分では絶対に自覚できないですよね。
知ってる人に教えられて初めて、自分がそれを知らなかったことを知る。
今回の体験がまさにこれでした。
