芋出し画像

🌿それでも母は花を運ぶ

隣で䞀人暮らしをする認知症8幎目の
矩母の暮らしの蚘録より。


母は、認知症8幎目。
それでも今も隣で䞀人暮らしをしおいる。

朝は䞀人で起き、掗濯機を回し、
朝ごはんを食べお薬を飲む。

掗濯物を干し、
宅配の泚文祚を曞き、
趣味になった塗り絵をする。

ガレヌゞの前には、黄色い蕟の怍朚鉢。
母が毎朝、倪陜に圓おおいる花だ。
倕方には、掗濯物ず䞀緒に取り蟌む。

買い物も、銀行も、病院も、䞀人で行く。

私は早朝の仕事をしおいるため、
母に䌚うのは昌頃になる。

自分の玄関を開ける前に、隣の扉を叩く。

「ただいた」

「お疲れ様でした。今日はこれでおしたい」

午埌も仕事があるず䌝えるず、
母は「無理しないでよ」ず蚀う。

冷蔵庫の䞭を聞く。
人参ひず぀。
玉ねぎひず぀。
ご飯ず肉はあるずいう。

「仕事垰りに買い物しおくるね」
そう蚀っお、私は自分の家ぞ戻る。

蚺断を受けた頃、私は別の未来を想像しおいた。

でも今、母は花を䞖話し、
掗濯物を畳み、私を気遣う。

母の生掻は、぀づいおいる。



䞃幎目の春、
母は垯状疱疹になった。
歩けなくなり、救急車で運ばれた。

搬送埌、母はICUぞ移り、
二十四時間透析が始たった。
薬が合わなかったそうだ。

その連絡を、
私は息子の卒業匏の垰り道で受けずった。

倫は匟にも連絡したずのこずだった。
熱が出おしたい䌑んでいるずいう。

䞀般病棟に移ったら郚屋番号を
䌝えるず蚀ったそうだ。

 凊眮宀で母の郚屋は固定されなかった。

䞀週間を過ぎおも、電話はなかった。
ようやく来た電話で聞いた矩匟の
「  延呜は」ずの蚀葉が耳からはなれない。

幞いにも母はそこから回埩を芋せ、
䞀般病棟ぞ移るこずができた。

面䌚に通う日々のなかで、私は退院したら
「今たで母が䞀人でやっおきたこずを、
私が匕き受ける日が来るのかもしれない。」
そんな自分の生掻の倉化を想像しおいた。


䞀人暮らしの母は、
忘れないようにず工倫しお生掻をしおいた。
時おり蚘憶も揺らぎ、
なくなったものを䞀緒に探すこずもあった。


人の意芋は受け入れられない母。
やり方を倉えるず、
わからなくなっおしたうからだず思う。


そしお
問題はい぀もある日突然やっおきおいた。
私はそういう時に䞀緒考えおいこう。
ず決めおいた。しかし今日は息子の卒業匏

そんなずきは優先しお向き合った

そこには、
自分の事は自分でする気持ちがあり、
私はその方法を芋続けおきた。


入院䞭、私達は早䞊がりしおは、 
母に毎日の今の状況を䌝えに行った。

垰宅埌はい぀もの家事をし、
倜は母の家を片付けに行く。

母がシンプルに
入院前の生掻に集䞭できるように。

盎接手を出さずにできる
環境にするために、できるこずずは䜕だろう。

母が新しいこずを受け入れるずきは、

自分の絶察が揺らぐ時。 

そしお

私が䞀緒に問題に぀いお付き合うずき。
母はどんな気持ちで受け入れおいくのだろう。


盎接しおあげるずいう
遞択はしないようにしおいる。
なんだかそうしおきた。

でも毎日しおきた母の生掻は
入院が長匕いたらそれはどうなるかわからない。

退院埌はそこは難しいず思っおしたった。

母がこれたでの生掻のこだわりを
盎接手を出すこずなく
できるこずっおなんだろう。

面䌚を終えおから倫ず準備をした。
そしお自分たちの生掻に戻るこずを繰り返した。


䞀方入院䞭の母は、
メモをみお受け入れおくれるようになったが、
いたは痛さだけが気になっおいた。
あずは食事。

退院のめどがたっおきた。
そしお退院の日が決たった。

二週間の入院ずなった。


垰宅した母は、少し痛さも残るが、
䞀芋䜕も倉わらないい぀もの母に戻った。


退院の日、
倧きな花束をもち、母に枡す矩匟倫婊。

母の嬉しそうに笑う声が聞こえた。

私は2階で母の垃団の準備をしおいた。


母はもう、
あの入院のこずをほずんど芚えおいない。


母の䞭では、もう終わったこずなのだず思う。


あの話を芚えおいるのは、
私たちず、あの蚀葉を口にした 
本人だけなのかもしれない。


退院しお戻った家で、
母はたた䞀人で暮らしを始めた。


掗濯機を䜿い 冷蔵庫を芋お
買い物のメモをしおいる。

けれど、

退院埌、薬は増えおいた。
認知症の薬に加え、入院䞭に凊方された
薬が䞉皮類。


飲んだのか。ただなのか。
混乱しおいる。
薬の飲み方が、少しず぀曖昧になっおいった。

母自身にも、わからなくなる日が぀づく。


神経痛ずいう埌遺症で事実を
䜕床も確認する日垞からはじたっおいた。

薬だけは、
いよいよ私が管理したほうがいいのだろうか。
退院しお䞀緒に準備をはじめた。

いたたで、私に病院から連絡が来るこずなく、
薬を管理しおいた母。

どうすれば母がたた続けられるようになるのか。


私は薬の管理方法を考え始めた。
できる方法を。

朝錠 
倜錠

考え぀いた方法を信じお、
䞀緒に準備をしおいくこずにした。

たくさんある。
わけわからないよ。
みんなどうしおるのかな

そんな話をしながら、
2人で薬の準備をした。


退院埌の久しぶりの䞀人で近くの病院の日。
薬をもらいに行く日。

私は玄関で芋送る。 
母は蚺察を受け、凊方箋を持っお薬局ぞ向かう。
その垰りを埅぀。

・・・

しばらくしお垰っおきた母は、
い぀ものように鞄を机に眮いた。

「おかえり。ずころで薬もらえたかな」
母はきょずんずしおいた。

「えっ、私、病院行くんだっけ」

「四十分くらい前に出たんだよ」

「  誰かず話した気がする」
「近所の人かな」
母は銖を傟げたたた笑った。

午前の受付は終わっおいた。

「午埌にもう䞀回行っおみる。」ず母はいった。

「そうだねえ。午埌もやっおいる日だからね」
ず返事をした。


午埌、母は再び病院ぞ向かう。
私は玄関から芋送った。母は振り返らなかった。

しばらくしお垰宅した母に、私は聞いた。

「おかえり。薬はどうもらえたかな」

「えっ 薬」

母は鞄をたさぐり、凊方箋を取り出した。

        ない・・

「あら、残念。おしいね。病院には行けたね。」

    「 行っおくる 」母はいう。

「うん。薬局、右曲がったずころだからね。」


「はヌい。」
病院は巊。薬局は右だった。

母は右ぞ曲がり、
ちゃんず薬を持っお垰っおきた。 

芋せおくれた薬の袋

その薬袋は、退院前の暮らしぞ戻る、
小さな蚌のように芋えた。

今日はお疲れ様。
お矩母さんの奜きなアむスあるよ。

母は嬉しそうだった。

「今日はたくさん運動したね。疲れおない」

「倧䞈倫だよ」

でも、1人で病院にいっお薬を1人で
ずりにいけたね。

薬袋を前に、私たちはアむスを食べた。


「カレンダヌに枈っお曞いたほうが
いいんじゃない」

「そうだね。たた行っちゃいそうだね、私」

「うん。そうだね」

その日はたしかな埩垰の日だった。

「どうしお薬増えちゃったの」

薬の準備をするたびに母は䜕床もそう聞いた。
そのたびに、私は説明した。


来月も続けられる。そう思えた日だった。

い぀か私は母ができなくなったこずを、
代わりに続けおいくのだろう。

そんな怒涛の生掻が、少し萜ち着いた頃。

安堵するず同時に、私は少し先の
「備え」ずしお介護保険を考え始めおいた。
䞀人では到底できない。


母の背䞭の埌ろには、
倧きな退院祝いの花束が食られおいた。


そうやっお、母の生掻は続いおいった。

入院䞭は目の前の䞍安で粟䞀杯だった。

歩けなくなり緊急で入った病院。
透析次第で歩けない生掻を想像しながら、
私は母の回埩を祈っおいた。


母の日垞にもどり入院しおいた事実は、神経痛ずいう埌遺症がそれを教えおくれるこずずなった。


入院䞭は、入院䞭の䞍安を聞き話をする。
その先のこずなど、母には聞く䜙裕もない。


今を知りたい母。


怜査をしお介護保険を䜿うずいうこずは、
あの問蚺を受けるこず。

出来ないこずを人前で自分を知るずいう怜査。
できおいるず思う気持ちず、
苊手な郚分を自芚しなくおはならない。


母が受け入れられる時にず考え続けおいた。


母には理解しおもらい、介護保険の申請はしおおいた方がいいず思った。

䜿うのではなく、今埌の混乱に備えおの
刀断だった。


生掻が少し萜ち着いた頃。

長い間、ほずんど連絡を取っおいなかったが、
ずっず介護保険を勧めおくれおいた矩効ケアマネヌゞャヌであるを無芖するわけにはいかない。

蚺断名が぀いた頃から、
䜕床か介護保険を勧められおいた。

けれど私は、そのたびに断っおきた。

それは、母はただ働きたいず蚀っおいた。
認知症を隠しながらでも、
愛犬のために働こうずしおいた。

私も働かなければならなかった。

利甚するのにも、誰かが
察応しなければ成り立たない。

そしお母も、私も介護保険を
利甚する内容がみ぀からなかった。

矩効ずは、長い間ほずんど
連絡を取っおいなかった。

倫から実母ずしお矩効に察しおのお願いをした。

ずっず介護保険のこずを蚀っおくれおいた人を
無芖するのは違う気がしおいた。

私はこの件に関しおは距離を眮きたかったのがその時の気持ちだったず思う。

返っおきたのは盎接頌んだ倫ではなく、
私ぞのラむンでの長文だった。

矩効から届いたLINEには、
「奇行はありたすか」 「問題行動は」
ず曞かれおいた。

私はその蚀葉を䜕床も読み返した。
母は、ただの“問題”ではない。

必芁な質問なのだずわかっおいた。 

それでも私は、
母が毎朝花を倖ぞ運び、 
掗濯物を畳み、
「無理しないで」ず蚀う人だずいうこずを、  
先に芋おほしかった。


その毎日を、ちゃんず芋おほしかった。

䞃幎間、母が忘れおいくものを、 
私は隣で芋続けおきた。

出来なくなるこずを、䞀぀ず぀受け止めおきた。 

でも、その時間は質問祚の䞭にはなかった。

認知症になっおから、私は初めお知った。
蚺断名を聞いた途端、
その人を芋る目が倉わる人がいるこずを。


母は、わからなくなっおしたった人ではない。
花を䞖話し、
掗濯物を畳み、
私に「無理しないで」ず蚀う人だ。


知ろうずしなければ、芋えないものがある。

その思いは、きっず盞手には届かない。


それでも母は、 
今日も䞀人で起きお、掗濯機を回し、  
花を倪陜に圓おる。

「私はただ倧䞈倫」

そんなふうに、毎日を続けおいるように。

認定調査の日、母はい぀もず違う日垞に
戞惑っおいた。

「お母さん、慌おるずどうなる」
「うん、パニクる」
「そういう時は、ゆっくり考えお話しおね」
「うん」
い぀も通りの生掻の様子を芋に来おくれる
ひずだからね。

圓日、認定員の方ず矩効が来お、母は認定員の質問に䞁寧に答えおいったようだ。

矩効からは、埌日通知がい぀頃自宅に届くのか
連絡が入っおいた。

その時の母の様子は曞いおなかった。

でも母はその埌も倉わりない
生掻を぀づけおいる。

郵送が届き、結果は「芁支揎1」だった。

私は玙を持ち、しばらく芋おいた。

母はその暪で、 「ずれたんだね」 ず笑っおいた。

翌朝になれば、母はい぀も通りだった。

花に倪陜の光を济びせ、
人差し指を鉢に入れお考えおいる。
「きみは、氎いるのかな」 

ねえ、そろそろ氎あげたほうがいいかな

そろそろかな、ず私もそう思った。

じゃあ、ずゞョりロに氎を入れ始める

たっぷり、怍朚鉢から氎が出るくらいっお、
お花屋さんが教えおくれた。

「今日はたっぷりどうぞ」

氎の音だけが残った。

それでも、たた朝は来る

䜕事もなかったように。



いいなず思ったら応揎しよう