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🌱#29🌱つづく学び日記∥母と時間と、正解のない日々∥白地図に🖋️と色鉛筆を


はじまりがあれば、終わりがくる。

私の人生は、これからどんな景色に
なっていくのだろう。

晩年は好きなことだけをして、自由に生きる。
そんなふうな時間の過ごし方もあるけれど、

一人ではないことで色々な考え方にぶつかり、
なやんだり、人といて心地が良かったり。


食べ物も、合わないものを知ることで、
好きなものがわかるように。

人との出会いも、少しそれに
似ているのかもしれません。


人との出会いは、時に自分自身を教えてくれる。


人生で会えた人もいれば、
会えないまま終わる人。


その中で人と出会い、
影響されたり、考え、悩み、笑い、涙しながら、


取り入れたり、取り入れなかったり。

その繰り返しのなかで、自分が心地よい形を探しているのかもしれない。


見ないふりをしても気になり、
できるのにやらないと、「やればよかった」
と思い、
やってみても、また悩む。


そして相手がいれば、またより悩む。

どこが一番、後悔の少ない気持ちなのか。
そんな場所を探している旅のような感覚がある。


自分にはない考え方の人に出会うと、
「なぜ、そう思うのだろう」
「どうして、そこまで言い切れるのだろう」
と、立ち止まる。


私は、まだ“これが正解”と言い切れるものを 
持っていないのかもしれない。


でも、だから
人と話したり、本を読んだり、映画や 
ドラマを見たり、
「あぁ、私の気持ちは、この言葉だったんだ」
と、見つかることがある。



  認知症になった母(義母)。

当たり前を疑わない人。

当たり前を押しつける人。

当たり前に過ごせる幸せ。

心地よい会話もあれば、

なぜか心に残る会話もある。


老いは、誰にも訪れる。

私は、亡くなった父たち、 
そして一人になった母達、そしてペン🐈‍⬛との
暮らしをみるようになり、
そう思うようになったのだろう。


向き合う距離が違えば、意見も変わるのだろう。
そういう時はなかなか進まない
自分の生活に焦る気持ちもある。

実母の「当たり前の言葉」の端々に、   
苦しくなる日もある。

でも実母の「当たり前」に安心することもある。


仕事をしていても、年々、  
疲れが抜けにくくなってきた。



でもその一方で、
「年を重ねたら、こんな人でありたいなと、
学ばせてもらうこともある。」


だから私は、
自分の時間の使い方を考えるようになっていた。


母たちに使う時間。

夫との時間。

いずれ旅立つ子供達との時間

働く時間。

自分のために使いたい時間。

限りがあるからこそ、

何に時間を使いたいのかを、
以前より考えるようになった。


きっと私は、
こうして日々の出来事や気持ちを、
自分の中に書き込みながら、
学んでいるのだと思う。


だから、「つづく🌱の学び日記」に
したのかもしれない。


今の私は、この名前がとても気に入っている。




🌱この場所には
認知症の母(義母)との暮らし
小さな日常、老猫ぺん🐈‍⬛との時間、
人との間で感じたことなど少しづつ
書き残しています



2026/5/23  
あの日  ひらめいた 「つづく学び日記」の 
意味を言葉にできた日📓
プロフィールとして保存🪴

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