週末の泥遊びで人生が変わると錯覚する田舎かぶれの都会人へ/全国移住体験ツアーと「三十万円就職金」に群がる、地方創生という名のファンタジー
古民家で鍬を一回振っただけで、過酷な過疎地を背負えると思うな。
週末の泥遊びで人生が変わると錯覚する田舎かぶれの都会人へ
全国移住体験ツアーと「三十万円就職金」に群がる、地方創生という名のファンタジー
満員電車の息苦しさに耐えかね、オフィスのパソコン画面を眺めながら「いつかは自然豊かな地方で、自分らしい暮らしを」などと夢想する。週末になれば渋谷のお洒落なイベントスペースへ足を運び、自治体職員が配るパンフレットを眺めては、うっとりとため息をつく。
なんと甘やかで、おめでたい頭の構造だろうか。
カレンダーをめくれば、全国の自治体が手ぐすね引いて「移住体験ツアー」なる甘い罠を仕掛けている。

札幌市は東京・渋谷で「札幌×アウトドア」と銘打った交流イベントを開催。富良野市は「理想の仕事探し」と題して二泊三日のツアーを組み、静岡県藤枝市はバスツアー、長野県飯綱町や山形県白鷹町は「古民家に泊まって農業体験」、神奈川県は西湘足柄で「農ある暮らし」を提案。高知県は四万十など六市町村を巡るツアーを用意し、岡山県玉野市は子育て世帯を囲い込もうと躍起。極めつけは徳島県徳島市。大阪圏の大学を卒業して移住すれば「就職応援金三十万円」を恵んでくれるのだという。
並べられた言葉の耳触りの良さ。綺麗な写真、澄んだ空気、笑顔の農家、採れたて野菜のバーベキュー。
だが、製造業の現場で四十年近く機械の構造と向き合い、泥臭い原価計算と歩留まりの数字に胃を削ってきた私のような人間から見れば、これほど滑稽で、欺瞞に満ちた茶番劇は他にない。
断言しよう。一泊二日や二泊三日の体験ツアーで分かることなど、その町の「化粧をした顔」の、ほんの毛穴一つ分に過ぎない。
古民家に泊まり、秋晴れの畑でちょこんと鍬を振る。地元の人に「筋がいいね」とおだてられ、新米のおにぎりを頬張って「人間らしい暮らしを取り戻した」と悦に入る。
笑わせるな。
それはただの「高尚なおままごと」だ。農業の真の姿は、照りつける猛暑の中での終わりのない草むしりであり、腰を痛めつける収穫作業であり、台風一過で全滅した作物を前に立ち尽くす絶望。古民家の実態は、冬になれば隙間風で室内の水が凍りつき、夏の夜には畳の隙間から百足や蜘蛛が這い出してくる過酷な木造小屋。
そうした生々しい日常を一切見せず、心地よい部分だけを綺麗に切り取ってパッケージにしたツアーを「暮らしの体験」と呼ぶ役人の神経も大概だが、それにホイホイと乗せられて「移住しようかしら」と目を輝かせる都会人の浅薄さには眩暈がする。
機械の選定に例えるなら、空調の効いたショールームで数分間だけスイッチを押し、異音も振動も確認せずに「素晴らしい製造ラインだ」と億単位の契約を結ぶようなもの。そんな無謀な工場長がいたら、即座に解任ものだ。
徳島市の「就職応援金三十万円」という小手先の撒き餌も、痛々しくて見ていられない。若者の貴重な人生とキャリアの選択を、たった三十万円の小遣い銭で買い叩けると考えている行政の金銭感覚。その程度の端金で釣られる人間が、地場産業の担い手として定着し、荒波を乗り越えられると本気で信じているのだろうか。
新ひだか町が募集する「地域おこし協力隊」も同じ穴の狢。甘い言葉で若者を呼び寄せ、低賃金で役所の雑務やPR活動を押し付け、任期が切れれば「あとはご自由に」と荒野に放り出す。地方創生という美名の下で行われているのは、若者の善意と時間をすり潰す合法的な労働搾取に他ならない。
地方で生きるということは、美しい風景を眺めて暮らすことではない。
過疎化で崩れゆく水道管の維持費を誰が払うのか。
減便の一途をたどる路線バスをどう補うのか。
消えゆく産婦人科や小児科を前に、どうやって子供を育てるのか。
冠婚葬祭から神社の草刈り、毎月の寄り合いに至るまで、濃密すぎて息の詰まるような人間関係の掟を、どこまで背負う覚悟があるのか。
そうした「逃げ場のない不条理」と心中する覚悟がない者が、都会の人間関係に疲れたからといって田舎へ逃げ込んでも、待っているのはさらなる孤立と幻滅だけ。
地方を救うのは、週末にやって来て「自然が豊かで癒やされますね」などと無責任に微笑む観光客気分の移住者ではない。その土地の理不尽を受け入れ、泥水を啜り、地域の一員として血と汗を流す覚悟を決めた者だけだ。
もし貴方が、本気で東京を捨てて地方へ行きたいと願うなら、まずはお洒落な体験ツアーの申し込み用紙を破り捨てることだ。
真冬の吹雪の日、あるいは夏の猛烈な湿気の日、観光案内の載っていない鄙びた居酒屋へ一人で暖簾をくぐれ。そこで地元民の交わす愚痴と怒号に耳を澄まし、錆びついたシャッター通りの冷たさを肌で知れ。
その現実を直視した上で、なお「ここで生きていく」と奥歯を噛み締められるなら、その時初めて、貴方は移住のスタートラインに立ったと言える。生ぬるいファンタジーに浸るのは、もう終わりにしろ。
〈了〉
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