”relaxation time”美徳の皮をかぶった発情期――サド侯爵と渡辺淳一に弄ばれた青い脳髄
高尚ぶった背表紙の奥で、俺の粗末な欲望はただただ火を噴いていた。
美徳の皮をかぶった発情期――サド侯爵と渡辺淳一に弄ばれた青い脳髄
古典文学の棚で悶々としていた、あの頃の哀しき猿へ

男が己の性欲を「教養」のオブラートに包もうとするときほど、みっともなくて滑稽な瞬間はない。
今から何十年も前、まだ世間の酸いも甘いも知らず、下半身の血流制御だけで生きていた高校生時分の話だ。私は町の小さな本屋で、澇(ろう)たけた顔をして文庫の棚の前に立っていた。手に取ったのは、マルキド・サドの『ジュスティーヌ、あるいは美徳の不幸』。
背表紙を指でなぞりながら、「ふむ、18世紀フランス異端文学の金字塔か。人間精神の深淵を覗くのも悪くない」などと、頼まれもしないのに眉間に皺を寄せてみせる。レジのオヤジや、近くで少女マンガを立ち読みしている女子高生に対し、「俺はそこらのスケベ野郎とは違う。純粋な文学的探求心でこの哲学書を買うのだ」という無言の結界を張っていたわけだ。
だが、腹の底、いや股間の底はまるで違った。頭の中の飼育小屋では、血気盛んなニホンザルがキーキーと奇声を上げながら鉄格子を激しく揺らしていたのである。
「サドってくらいだから、とんでもねえド変態な描写が満載に違いない」
「頁をめくれば、よがる女の生々しい肌の匂いが立ち込めているに違いない」
期待に胸と股間をパンパンに膨らませ、自室に鍵をかけて貪るように頁をめくった。
結果はどうだったか。――いやはや、効き目が強すぎた。劇薬どころの騒ぎじゃない。青二才の軟弱な妄想など、サド侯爵の無慈悲な拷問器具と理不尽極まりない悪徳の嵐によって、木っ端微塵に吹き飛ばされたのだ。
敬虔で清らかな美徳を守ろうとする哀れなジュスティーヌが、これでもかというほど苛まれ、辱められ、理不尽に踏み躙られていく。エロいとか興奮するとかを通り越して、「おいおい侯爵、いくらなんでもやりすぎだろ」「なんで善人がこんな目に遭わなきゃならんのだ」と、部屋の片隅で膝を抱えて震える羽目になった。あの救いのなさは、発情した猿の頭を冷水でぶっ叩くにはあまりに暴力的で、だが妙に脳髄の奥深くへこびりつく毒を持っていた。
思えば、私の読書歴などそんな不純な動機ばかりで塗り固められている。
渡辺淳一さんの作品に手を伸ばしたときもそうだ。白い巨塔の裏側だの男女の情念だのといった重厚な惹句を隠れ蓑にして、私の眼球が血走って追いかけていたのは、要するに「着物の帯が解ける瞬間」であり、「生々しい汗の描写」であり、「昼下がりの情事の息遣い」だった。不倫だの心中だの、人生の修羅場に身悶えする大人たちの姿を、ただただ卑しい覗き見趣味で消費していたのだから世話はない。

あの頃の自分を振り返ると、情けなさと気恥ずかしさで背中が痒くなる。だが同時に、どこか愛おしくもあるのだ。
人間なんてものは、知性や理屈という上等なスーツを着込んで気取っていても、裏地をめくれば生臭い肉と欲望の塊でしかない。高尚な文学論を語りたがる奴ほど、夜には一番下品な夢を見ているものだ。美徳を掲げて善人面をするジュスティーヌがサドのペンによって徹底的に暴かれたように、私自身の「文学青年気取り」もまた、ただの飢えた獣のポーズに過ぎなかった。
すんません、と今なら素直に頭を下げられる。私は文学を愛していたのではない。文学の顔をしてそこに潜む、人間の剥き出しの業と湿り気と、あの猛烈なエロティシズムにただ狂わされていただけなのだ。
そして厄介なことに、半世紀以上生きて頭に白いものが混じった今でも、その本質はたいして変わっちゃいないのである。
〈了〉
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