#シロクマ文芸部【会いたかった人】掌編小説
https://note.com/komaki_kousuke/n/na079331d8e18
お題:夜店から
夜店から立ち去る髪の長い女。
祭りの人混みに紛れかけたが、咄嗟に僕は彼女を追いかけていた。
なぜなら、僕が中学の頃に突然家を出ていった母親に、あまりにもよく似ていたから。
あれから20年も経つのに、あの日のことは鮮明に覚えている。
期末テストの真っただ中、いつもよりだいぶ早く帰宅した僕を見て、母は明らかに動揺していた。
「あれ、今日からいつも通り部活もあるんじゃなかった?」
「今週いっぱいは部活ないよ」と答える僕を一瞬ちらりと見ただけで、母は慌ただしくバッグに荷物を詰めていた。
「どっか行くの?」
「うん、ちょっとね、友達と旅行」
嘘だ…
誰かとランチに行くこともないような母に、旅行に一緒に行くような親しい友人がいるわけがない。
でも僕は「あ、そうなんだ」と何でもないように呟いた。
そして大きな荷物を持ち、出かけた母が戻ることはなく、あの時の母の年齢と同じになった僕の心からも完全に消えたと思っていた。
それなのに今、僕は必死で、あの面影を追っている。
ふいに彼女は立ち止まって、さっき買ったイチゴのかき氷の1つを連れの男に手渡した。
男の顔がちらりと見えた。
大学生くらいだろうか。
僕は彼らを追い越し、振り返るようにしてさり気なく彼女の顔を確かめた。
思っていたよりずっと若い。20歳くらいか。
やはり母に似ていたが、20年前に消えた母が、この若さであるはずがない。
そのとき、男の言葉に彼女がふっと吹き出した。
両手で口元を隠す、独特な笑い方。
はっとして彼女の手元を見つめると、細い人差し指に少し古風なデザインの琥珀の指輪が光っていた。
確信は持てないが、その指輪には見覚えがある。
そしてその笑い声は僕の記憶の中の母の声、そのものだった。
僕は混乱したまま、その場に立ち尽くしていた。
賑やかで楽しげな祭りの最中、僕だけが取り残された気がした。
20年かけてようやく積み上げてきた僕の日常が彼女の笑い声で砂の城のように崩れていった。
ふと連れの男の顔を思い出す。
あれは…まさか…若き日の父?
追いかける勇気も、立ち去る気力もないまま、僕はただ、自分が何歳の誰なのかさえ分からなくなるような深い空白の中にいた。
もしかすると僕は過去に迷い込んでしまったのだろうか?
