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テレビに出ることが「軽蔑へのカウントダウン」になるとしたら

いつからだろう。「テレビに出るような人」という言葉が、憧れではなく、どこか冷ややかな視線を伴って響くようになったのは。

かつてその画面は、選ばれし才能や情熱が集う眩しい舞台だった。しかし今、そこに映し出されるのは、安全な場所から事もなげに「お気持ち」を語る人々だ。現場の泥もかぶらず、知識も経験もないまま流暢にコメントを重ね、対価を得る。その姿を目にするたび、胸の奥で小さな冷めが走り、敬意は静かに摩滅していく。

悲しいかな、テレビという媒体に選ばれ、その枠組みに収まること自体が、いまや「軽蔑へのカウントダウン」の始まりになっているのではないか。

視聴者はもうバカではない。演出された共感や、リスクを避けた無責任な言葉の裏にある「浅さ」を瞬時に見抜く。「嫌なら見るな」という不遜な態度の果てに起きたのは、怒りの不買運動ではなく、圧倒的な「無関心」だった。批判すらされないまま、静かにリモコンを置く人々。画面の向こうでどれほど声を張り上げようと、熱量を失った言葉は誰の心にも届かず、ただ空虚に響くだけだ。

テレビに出ることがステータスだった時代は終わり、今や「消費され、価値を使い果たされる場所」へと落ちてしまった。

画面を消した部屋の静けさの中で、ふと思う。 私は、誰かに消費される言葉ではなく、どれほど小さくても自分の足で立ち、誠実につむいだ言葉を信じたい。時代に取り残された喧騒からそっと離れ、静かな品性を守り続けること。それこそが、溢れかえる軽薄さに対する、私なりの小さな誇りなのだから。

#エッセイ #メディアのあり方 #時代の変化 #言葉の重み #思考の整理 #静かな暮らし

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