三面記事になった世界で、本当の「美しさ」を探す
ふとテレビを点けると、叫ぶようなテロップと過剰な煽り文句が視界を埋め尽くす。かつて私たちの暮らしの背景に静かに流れていたはずのニュースは、いつの間にか「誰かの嫌な部分」や「下世話な熱狂」を過剰にクローズアップする場所へと姿を変えてしまったようだ。
世界で活躍する大谷翔平選手の快挙すら、リスペクトの眼差しというよりは、メディアの都合のいいシナリオに消費されているように見えてしまう。あるいは、どれほど優れたドラマや作品があっても、過激な演出や都合の良い解釈でねじ曲げられてしまう。歩道で起きる小さなトラブルや些細な対立まで煽り立てる様子は、まるで街の片隅のドロドロとした三面記事を、そのままゴールデンタイムに引き伸ばしたかのようだ。
かつて海外のホテルで見たNHKのニュースには、遠い母国への誇りや静かな安らぎがあった。しかし今や、そうした品格すら薄れ、どこか「日本という国を自ら貶めているのではないか」と眩暈(めまい)を覚えることすらある。なりふり構わず数字を追いかけ、人間の浅はかな感情ばかりを刺激する報道のあり方は、メディア自身の価値を静かに削り取っていることに、彼らは気づいているのだろうか。
私たちは、ただ煽られたいわけでも、誰かを叩いて溜飲を下げたいわけでもない。情報が溢れかえる今だからこそ、メディアには「何を伝えるか」だけでなく「どう寄り添うか」という品性を取り戻してほしいのだ。静かで澄んだ眼差しで世界を見つめ直す——そんな当たり前の日常を、私たちはもう一度手繰り寄せたいと思っている。
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