【諏訪大社下社秋宮】四社巡り④合併断念の謎|上社と下社の誇り
万治の石仏「見落とし」
私たちは春宮から秋宮まで、歩いて向かうことにした。
前回の春宮の記事はこちら
車の出入りも人も時間が経つたびに増えてきたので、天気も良いし、その方が良いと判断した。
だいたい20分くらいで秋宮に着いた。
ところで後から残念な事が判明した。
なんと「万治の石仏」を見落としてしまった。
春宮の近くの砥川の川沿いに、その石仏は鎮座していたのだ。
今思うとこの時は御朱印巡りで次の神社に行く事ばかり考えてた。
石仏だから、神社とは関係ないと思ったのだろうか。
予定を詰め込み早く次のところに行かねばとばかり
なんと残念なことをしてしまったかな。
もし次回参拝できる機会があれば、ぜひ訪れて写真を撮っておきたい。
諏訪大社下社秋宮
令和5年5月上旬

いよいよ最後の秋宮の鳥居を潜った。
写真は撮り漏らしたが、こちらも諏訪大社の社号碑があり東條英機の揮毫である。
親子2代のライバル

春宮の神楽殿と比べて一回り大きい。
春宮は柴宮流の宮大工、秋宮は江戸の立川流の宮大工が天保6年に手掛けたと言われる。
立川流は上社本宮の幣拝殿も造営しているらしい。
柴宮流と立川流。この二つの流派の競演は、実は親の代から続く宿命の対決でもあった。
柴宮流は技術の高さで有名な高遠大工で、立川流は江戸の彫刻師出身の宮大工との事。
父親の代から諏訪に移住していた。

神楽殿造営の50年前の安永9年に春宮の幣拝殿、安永10年に秋宮の幣拝殿を同じ設計図を元に柴宮流と立川流が競う形でそれぞれ造営した。
幣拝殿は春宮と同様秋宮も重要文化財だ。
神楽殿を造営した立川流の2代目は父を超え当代一の名声を手に入れたとの事。
そのため、秋宮は神楽殿も重要文化財だ。
確かに注連縄も大きく圧倒的な存在感を放つ。
重量1トンとのこと。
以前来た事あるのは秋宮だ。
この時はっきりと思い出した。

樹齢600〜700年。
枝が垂れ下がって寝ているように見える事からか、もしくは挿木から根が生えた事から呼ばれるようになったと言われている。
御柱祭の謎
諏訪大社を語る上で欠かせないのが「御柱祭」である。
7年に一度(数え年)、四社それぞれの四隅に立つ巨大な柱を新調するこの神事は、諏訪大社の象徴ともいえる。これまでの各宮で見られた祭祀の特色とは異なり、全社共通で行われる最大級の祭典だ。
この祭りの周期は、鎌倉時代にはすでに確立されていた。寅年と申年に行われるその壮大なスケールは、「山出し」と「里曳き」の二段階で構成される。
• 山出し(4月):山から巨木を切り出し、最大の見せ場である「木落し」を経て町まで運ぶ。
• 里曳き(5月):町中を練り歩き、最後に社殿の四隅に垂直に立てる「建御柱(たておんばしら)」でフィナーレを迎える。
興味深いのは、この「共通の神事」こそが、上社と下社の猛烈なライバル意識がもっとも激しく火花を散らす舞台であるという点だ。
「上か、下か」―― 譲れない氏子のプライド
上社と下社は、それぞれ別の山から御柱(樅の木)を切り出し、独自のスケジュールで祭りを進行する。
• 上社の誇り:八ヶ岳の麓から「メドデコ」と呼ばれるV字の角を立てた巨木を曳き、冷たい宮川を突き進む「川越し」で男たちの結束を見せつける。
• 下社の意地:最大斜度35度という「日本一の急勾配」を誇る木落し坂。一気に突き落とされる巨木に飛び乗る氏子たちの度胸は、観る者を圧倒する。
「自分たちこそが、より勇壮に神へ奉仕している」
この一歩も譲らぬ自負が生み出す二元論的なエネルギーこそが、諏訪大社を千年以上も輝かせ続けている源泉なのだろう。
「諏訪は一つ」になれなかった歴史的理由
この「上社・下社」という目に見えない境界線は、現代の行政にも不思議な影を落としている。
私は当初、これだけかつての諏訪郡一円に諏訪大社の氏子が広まっているなら、一都市に合併しないのか不思議だった。
調べてみたら、「平成の大合併」の際、諏訪地域の6市町村(岡谷市、諏訪市、茅野市、下諏訪町、富士見町、原村)で合併話が持ち上がった事があったらしい。もし実現していれば、人口約19万人の「長野県内第3の都市」が誕生するはずであった。
共通の「御柱信仰」を持ち、かつての高島藩領という絆もある。合併は自然な流れに思えたが、結果は白紙となった。そこには、効率や利便性では切り崩せない「信仰の壁」があったという。
茅野市を中心とする「上社圏」と、下諏訪・岡谷を中心とする「下社圏」。
「どちらの社を地域の中心に据えるのか」。
理屈を超えたアイデンティティの衝突が避けられなかったのではないか。「都市の名前は一つになっても、魂の帰属先は譲れない」――氏子たちのそんな矜持が、現代の地図にも色濃く刻まれているのである。
春宮の静謐な柴宮流、秋宮の華麗な立川流。そしてそれらを支える、今もなお熱い氏子たちの魂。
諏訪湖を囲む四つの社を巡り、ようやくこの地の「深さ」の入り口に立てた気がする。
見落としてしまった万治の石仏は、「また必ず来なさい」という神様からのメッセージかもしれない。
次回の御柱祭、令和10年の喧騒に思いを馳せながら、諏訪の地を後にした。
御朱印

右下の印は「社」「秋宮」となっている。
最終的に四社の御朱印を頂いた。
四社合わせると「椙」「諏」「訪」「社」となっている。
感無量!
基本情報
所在地:長野県諏訪郡下諏訪町5828
授与時間:8時30分~ 17時頃
※最新情報は公式HPをご確認ください
参拝所用時間:40分くらい
Googleマップ
次回予告
最後までお読み頂きありがとうございました。
次に向かうは、信濃国二宮・小野神社と矢彦神社。
偶然にもそこで目にしたのは、諏訪大社の翌年に行われる「御柱祭」の、まさに建御柱の瞬間だった。
諏訪とはまた違う、静かな、しかし圧倒的な熱狂。
そこで私が見たものとは。
お楽しみに。
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