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終戦の日に「戦争と平和」〜憲法9条に反対していた日本共産党と、失われた自衛の覚悟〜

8月15日の終戦の日が近づくと、毎年「戦争と平和」についての議論が多く取り上げられます。私もこの機会に、歴史的事実を踏まえて一つの問題提起をしてみたいと思います。

日本共産党は「9条」に反対していた
戦後、新憲法は平和主義を大きな理念に掲げました。現在、日本共産党は「護憲」を大看板にしていますが、実は憲法制定時、天皇条項と9条に明確に反対し、政党としては唯一、現憲法の制定に反対していました。これは揺るぎない歴史的事実です。


1946年8月24日の衆議院本会議で、反対討論に立った野坂参三氏は次のように述べています。
「現在の日本にとってこれ(草案第9条)は一個の空文にすぎない。(中略)我が国の自衛権を放棄して民族の独立を危うくする危険がある。それゆえに我が党は民族独立のためこの憲法に反対しなければならない」

また、同年6月28日の衆院本会議における野坂氏と吉田茂首相の質疑応答も非常に興味深いものです。

  • 野坂参三氏の主張: 戦争には「不正な侵略戦争」と、侵略された国が自国を守る「正しい自衛戦争」がある。憲法草案の「戦争一般の放棄」は不適切であり、「侵略戦争の放棄」とすべき。

  • 吉田茂首相の答弁: 近年の戦争の多くは国家防衛権の名において行われた。正当防衛権(自衛権)を認めることが戦争を誘発するため、これを認めることは有害無益である。

  • 野坂参三氏の主張は、侵略された国が自国を守る権利を直視した、誠にまともな正論だと私は思います。


パリ不戦条約の教訓と「自衛」の罠
吉田茂首相が当初「自衛権すら否定」した背景には、1928年のパリ不戦条約(ケロッグ=ブリアン条約)の影響があると言われています(のちに吉田首相は答弁を訂正しています)。

第一次世界大戦で一般市民に多数の犠牲者が出た反省から、「戦争を放棄しなければならない」という機運が高まり、これがパリ不戦条約へと繋がりました。しかし議論の過程で、「侵略戦争は違法だが、自衛戦争なら良いのではないか」という方向へ議論が向かいます。

ここで波紋を呼んだのが、当時の最大覇権国家であったイギリスの主張でした。 イギリスは「自国の植民地が攻められた際にそれを守る戦争は、侵略なのか自衛なのか。もしそれが侵略戦争と見なされるのであれば調印しない」と強く主張しました。大国イギリスの不参加は条約の成立を危うくするため、最終的に大きな妥協が図られました。それが以下の2点です。

  • 自衛権の定義を明記しない

  • 戦争が「侵略」か「自衛」かの判定は、当事国自身が判断する

この結果もたらされたのは、「戦争の自衛化」でした。これ以降、世界のどの国も自らの戦争を「侵略」とは呼ばなくなり、すべてが「我が国を守るための自衛戦争だ」と主張して戦争を行うようになってしまったのです。実質的な抑止力を失ったこの条約は、当時から「事実上の空文」と批判されました。

自分の国は自分で守る覚悟を
平和とは、戦争と戦争との間の期間を指す言葉です。現在の日本の憲法議論を見ていると、この大前提の認識が欠けているように感じてなりません。たまたま戦後80年あまり、奇跡的に平和が続いているからといって、未来永劫争いが起こらないと錯覚していては国は守れません。


翻って現在の国際情勢を見れば、中国の軍拡は我が国にとって見過ごすことのできない現実的な脅威です。ロシアは北方領土を土足で占領して、今だに、返還しない。プーチンも荒くれ者です。北朝鮮は、200人あまりの日本人を拐っていく独裁国家で何をやらかすかわからない異端者です。

日本の周りには、常識では通用しない、話し合いでは、通用しない者ばかりです。

近年、いわゆる「平和ボケ」と言われてきた日本国民にも、こうした厳しい現実が確実に伝わる環境になってきました。 特に若年層を中心に、憲法改正への理解はかなり進んでいると感じます。「いつまでも誰かが守ってくれるわけではない」「もう遠くない時期に、自分たちが決断を下さなければならない」という事実に気づき始めている国民は、確実に増えているのではないでしょうか。


いつ何時、危機が発生したとしても「自分の国は自分で守る」という覚悟を決めておかなければならない。これは今の日本人すべてに言えることです。 そして何より、国会議員はこの現実を真剣に考えなければなりません。野党を含むリベラル護憲派、さらには自民党内や保守派の中にいる「似非保守」とも呼べる護憲派に対し、私は政治家としての役割を強く問い質したい気持ちがあります。

毎年8月を迎えるたび、「日本の国会議員はいつになったら本気で憲法改正を実現する気があるのか」と強い疑問と不満を抱きます。 日本国憲法制定当時の共産党の正論と、今の保守勢力がスクラムを組めば、「自分の国は自分で守る」という子供にもわかりやすい常識的な憲法ができるはずです。

そういう意味で、憲法改正の実現を本気で考えて行動した故・安倍晋三元総理の功績は非常に大きいと思います。 高市早苗氏にも、ぜひその継承者であってほしいと願っています。しかし現状、憲法改正に本気で取り組む政治家はまだまだ少ないのが実態です。私たちの国をどう守るのか、今こそ現実的な議論が求められています。

先般のつくば市議会での様子もnoteに綴りましたが、過激なイデオロギー対立の構図は、リアルに国を守るための議論を蔑ろにし、建設的な話し合いを阻害します。リベラルも保守も、イデオロギーの対立軸に囚われるのではなく、国を前進させるための現実的で発展的な議論をするべきです。

私自身も、その役割を担う地方議員の一人として、これからも責任を果たしていきたいと強く感じています。

文責 五頭やすまさ

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