怪物は、あなたと同じ言葉で話す。
現代のホラーは、お化けや怪物を映し出しがちだ。
でも、本当に怖いのは、
同じ言葉を話し、
同じ形をした【人間】ではないだろうか。
少しだけ、私のエスコートで、
1995年のあの猟奇的な映画の世界に潜ってみてほしい。
あなたの役回りは、刑事だ。
長年の勤務で街の闇に疲れ果て、
あと1週間で退職する知性派か。
それとも、自分の正義感だけを武器に地方から転属してきた、
血気盛んな若手か。
どちらでもいい。
あなたはいま、どしゃ降りの雨の中、
ある凄惨な事件現場の前に立っている。
ザーザーと、頭の上で鳴り止まない雨の音。
アスファルトを叩きつける。
都会の排気ガスを巻き込んで、ずっしりと重い。
湿った靴底が、コンクリートの床を進む。
グチャ、グチャ、と、
自分の足音だけがやけに大きく響く。
湿った靴底が、重い。
ドアの前に立つ。
まだ開けていないのに隙間から、
それは漏れ出ていた。
カビの混じった、
生温かい空気。
鉄錆とわずかな、
有機物の甘い腐敗臭。
ドアを開ける前、
あなたの指先はきっと微かに震えているはずだ。
なぜなら、これから目にするのは単なる殺人ではなく、
人間の狂気が生み出した【作品】だから。
さあ、鍵を開けよう。
Day1
第一の罪
部屋に入る。
匂いが先に来る。
誰もすぐには近づかない。
テーブルの上には、
虫が蠢き、食べ残しではない何かが積み重なっている。
無数のスパゲッティソース缶。
部屋は静かだった。
静かすぎるほどに。
テーブルには、男がうつ伏せになっている。
山盛りのパスタの皿に男の顔は沈み、
もう料理には見えなかった。
やけに大きな背中。
足元に目をやる。
手足を鉄条網で縛られている。
動けなかったのか。
汚物は垂れ流したまま。
後頭部には何かを押し付けられていたのか、
丸い痕が残っていた。
その痕とテーブルの上に残された無数の皿の数だけが、
この部屋で起きた時間の長さを物語っていた。
誰も口を開かなかった。
一人が小さく息を吐く。
それだけで十分だった。
その部屋には、一枚の紙が残されていた。
「地獄より光に至る道は長く険しい」
そして、人の脂で書かれた、
ただ一言。

GLUTTONY(暴食)
最初の部屋に残ったパスタの匂いが、まだ鼻の奥に張り付いている。
だが、街に降り続く雨は立ち止まる時間さえ与えなかった。
翌日、もう一つのさらに冷たい部屋の前に立っていた。
Day 2
第ニの罪
ドアを開ける。
床に広がる、黒く濁った赤。
それは絨毯の模様ではなく、男の命が流れ出た跡だった。
部屋の主は、街でも名高い高級弁護士。
富と権力を貪り尽くした男が、
いまはただの物言わぬ肉塊として転がっている。
デスクの上には、一片の肉。
男が自らの手で切り落とさせられた、
彼自身の肉体の一部。
秤の皿は、
その重みで傾いたまま静止している。
床に落ちたナイフ。
「命を差し出すか、それとも……」
犯人が突きつけた選択の残酷さに、
部屋の空気が凍りつく。
絨毯に、血で書き殴られた文字。
GREED(強欲)

止まらない。
犯人の歩みは、
警察の捜査をあざ笑うかのように加速していく。
次に選ばれたのは、
あらゆる責任から逃げ続け、
他者を貪ってきた男。
だが、その部屋の前に立ったとき、
まだ知らなかった。
犯人がこの場所で、
どれほど恐ろしい【時間】を費やしてきたのかを。
Day 3
第三の罪
鍵を開ける。
その瞬間、
全員が同時に服の袖で鼻を覆った。
生きている人間が発するはずのない、
有機物の崩壊する匂い。
薄暗い寝室。
ベッドの上の影は、
あまりにも細く平らだった。
近づく。
それは、死体ではなかった。
皮膚はベッドのシーツと同化し、
骨の形が浮き出ている。
男の腕には、
何十本もの点滴の跡。
生かすためだけに、
ただ肉体を腐らせるためだけに、
1年間繋がれ続けた管。
不意に、影が突然震えた。
「あ!……」
誰かが短く叫び、
後ずさる。
死んでいなかった。
犯人は、この男を丸1年、
この暗闇で飼い殺しにしていたのだ。
枕元に置かれた、
大量の記録写真。
はじまりは一年前の今日の日付け。
1日ずつ、男が人間でなくなっていく過程を収めた、
几帳面な狂気の記録。
壁の裏に、
剥ぎ取られた壁紙の跡。
SLOTH(怠惰)

1年間の暗闇から、
逃げるように外へ出た。
だが、次に用意されていたのは、
優しさなど微塵もない、
別の夜の顔だった。
四つ目の地獄。
そこは、欲望が渦巻く歓楽街の片隅。
部屋の奥から聞こえるのは、
一人の男の、獣のようなすすり泣き。
Day 4
第四の罪
男は縛られ床に座り込み、
震えながら叫んでいた。
「これを脱がしてくれ!脱がしてくれ!」
その下半身は、見たこともない形状の、
鋭利な刃物がついた特殊な器具で拘束されている。
ベッドの上を見上げる。
シーツは完全に真紅に染まり、
かつて美しかったはずの輪郭は失われていた。
「俺は、口に拳銃を突っ込まれて!……あいつに脅されて!……
無理やり!……」
男の言葉は、
意味をなさなかった。
犯人は、この男に「その器具」を装着させ、
被害者の女性を襲わせた。
自らの快楽のために他者を貪った者に、
その快楽の道具そのもので命を奪わせるという、
最悪の儀式。
欲望の終着駅。
開け放たれたドアの裏に、
ただ。

LUST(肉欲)
獣の叫びが響く、あの不潔な夜から引き剥がされるようにして、次の現場へと向かった。
そこは、今までのどの部屋とも違っていた。
悪臭も、泥にまみれた生活感も、そこにはない。
あまりにも洗練された、白い部屋。
Day 5
第五の罪
すべてが美しく配置された空間の真ん中で、
彼女はベッドに横たわっていた。
シーツに広がる、
鮮烈な赤。
片方の手には、
睡眠薬の空のボトル。
もう片方の手には受話器。
警察を呼ぶこともできたはずのその手は、
冷たく固まっている。
そこには、容赦なく切り裂かれた、
かつての美貌の残骸。
美しさを武器に、
他人を見下してきたモデル。
犯人は彼女の鼻を削ぎ、顔を切り刻み、
その後、丁寧に包帯で巻いて選択を迫った。
「醜い顔のまま助けを呼んで生きるか、それとも、美しく死ぬか」
彼女は、静かにボトルを選んだ。
プライドという名の、
逃れられない呪いによって。
枕元の壁に、
口紅で書かれた文字。
PRIDE(高慢)

五つの部屋に、突発的な暴力はなかった。
1年間ベッドに縛り付け、毎日様子を見にくる。
冷徹で、気が遠くなるほどマメな「計画性」。
この地獄を完成させるために、犯人が費やした静かで異常な時間。
あなたの思考をじわじわと強張らせる。
Day6
突然犯人が目の前に姿を現した。
自ら両手を挙げ警察署の床に、
指先から血を滴らせながら。
みずから出頭してきたのだ。
この計画の主導者の名は偽名だ。
指紋を削り取っている。
素性も過去も持たない。
ただの悪意の輪郭のような男。
彼は、自らを快楽殺人鬼だとは思っていない。
むしろ、現代社会の道徳的な退廃に、
本気で絶望し、傷ついている。
「ストリートを歩けば、日常的に罪が転がっている。
俺は彼らの罪を、彼ら自身の肉体を使って【説教】しただけだ。」
狂気とは、混沌ではない。
彼の中では、
完璧に筋の通った別の知性だ。
本当の恐怖は、
彼が話の通じない怪物だからではない。
あまりにも静かに、理路整然と、
私たちと同じ言葉で地獄の正当性を語ってくるからだ。
彼の瞳には、何もない。
怒りも、悲しみも、罪悪感も。
あるのはただ、確信だけだ。
そして私たちもまた、
日常の中で小さな【罪】を見て見ぬふりをして生きている。
彼の説教の対象者なのだから。
怪物は、あなたと同じ言葉で話す。

白い部屋に残された、口紅の文字。
それを見届けたとき、
街を覆っていたあの重苦しいどしゃ降りの雨が、
嘘のように止んだ。
「後、2人隠している、あなた方だけ現場に案内する」
そして連れて行かれるのは、
遮るもののない、ただ広い荒野。

Day7
最後の罪
パトカーのボンネット。
手錠をかけられた犯人は、
奇妙な笑みを浮かべて、
若き刑事をじっと見つめていた。
「お前が羨ましかった」
男の低い声が、乾いた風に溶ける。
そこに、遠くから走ってくる一台の配達トラック。
届けられたのは、一つの【箱】。
中身を確認したベテラン刑事は
顔を青ざめさせ、絶望の表情で叫びながら走ってくる。
「見るな!箱を見るな!銃を捨てろ!奴の思い通りにするな!」
混乱する若き刑事に犯人はただ、
静かに、愛おしむような声で語りかける。
「彼女の美しい日常が、お前との幸せが、どうしても羨ましかった。だから、もらいに行ったんだ。……お前の妻のところへ」
世界が静止する。
突き刺さる日差しの中で、
若き刑事の指先が強張るのが分かる。
「彼女は懇願したよ。
お前の子供を宿しているから、命だけは助けてくれと」
妊娠していた。
刑事自身すら、
まだ知らされていなかった最愛の妻の秘密。
それを、目の前の怪物が、
まるで昨日の天気の記憶を話すように、
淡々と口にしている。
「だから、お土産(コレクション)にした……」

「さあ、俺を撃て。それで、お前の【憤怒】が完成する」
犯人は、自分の命さえも、
この芸術を完結させるためのパーツとして差し出した。
ベテラン刑事が、
「撃つな!こいつはお前に撃たせたいんだ!」と叫ぶ。
しかし、その声はもう届かない。
犯人を殺せば、
犯人の勝ちになる。
殺さなければ、
妻を殺された怒りの行き場がない。
逃げ場のない、
完璧な悪意のチェックメイト。
若き刑事の瞳が、
激しく揺れる。
「ああ……神よ!」
悲しみか、憎悪か、
自分でもわからない。
それでも、指は止まらなかった。
パン!
一発の銃声が、
静寂を切り裂いた。
崩れ落ちる男。
だが、犯人の顔には、
満足げな笑みが浮かんでいた。
犯人は死んだ。
しかし、勝ったのは誰か。
荒野に響くのは、
引き金を何発も引き続けた男の終わりなき慟哭だけだった。
すべての罪は、完璧に、美しく、回収された。
ENVY(嫉妬)
WRATH(憤怒)
お化けや怪物は、
私たちの日常の外側にいる。
だから、映画館を出れば。
あるいは画面を閉じれば。
私たちは安全な世界に戻ってこられる。
だけど、
この犯人のような人間の狂気は、
そうはいかない。
彼は、明日の満員電車で、
あなたの隣に座っているかもしれない。
あなたの街のすぐ隣の薄暗い部屋で、
息を潜めながら淡々と、
1年がかりの計画を練っているかもしれない。
人間が一番怖い。
何度も、あの部屋の前に立っている。
怖いからではない。
立つたびに、
自分の中の「これくらいは見て見ぬふりをしてもいい」
という小さな【罪】に、気づかされるからだ。
あなたのすぐ後ろのドアからも、
今、あのカビと鉄錆の匂いがしてはいないだろうか。
