【小説】『おかんという生き物』第1話 あの坂だけが知っている
第1話 あの坂だけが知っている
おかんという生き物は、人ではないかもしれない。人の顔した違う別の種族。
矛盾、理不尽、屁理屈などの全てを引き受けた種族。その慣れの果てがおかんという生き物だ。
私の記憶に残るおかんの記録。
幼いときのおかんは豪快そのものだった。
何もかも恐れず、全力疾走、全力投球だった。
訳あって、愛媛の片田舎で暮らした時期があった。そのときのいくつかの記憶はなぜか鮮明に覚えている。
暑い夏の日だった。
蝉がミンミン鳴いていた。
家のそばに小さい森があって、そこが私の遊び場だった。
おかんがまだお母さんだった時代。
わたしは自転車の後ろ子供用の椅子に乗せられて、あっちこっちへ行った。
家の前に坂があった。家に帰る時は坂道を上る。家から出ていくときは、坂を下る。
パワフルな母は私を乗せてどこにでも行った。
——あるときの記憶。
私が後ろの荷台でサンダルで乗っていたときだったと思う。自転車のスポークに冷んやり冷たい感触が楽しかったときがあった。母は立ちこぎで自転車をこぎ、
自転車が右へ左へと振られた瞬間——
私の親指がスポークに入ってしまった。
親指が飛んだかと思うくらいの痛さだったが、その後の記憶がない。母も転倒して気を失ったらしい。
気づいたら、病院の冷たい診察する台の上だった。その映像だけ鮮明に覚えている。
「あんた、何で足あんなとこに入れたんよ。お母さんもえらい怪我したわー」
と、私はことの重大さがわからず、泣いてしまった記憶がある。
後日、そのときたまたま居合わせて救急車を呼んでくれた近所のおばちゃんが、
「みっちゃん、大変やったねー。一回転しよったよー」と、事件の全貌が明らかになった。
この坂にはいろいろ思い出があった。
帰りに必ず上らなければならない最後の坂。
夕焼けが一番似合う坂だ。
初めて自転車の補助輪なしで乗れたのも、この坂だった。誰も見ていない、夕暮れどきの坂で初めて一人で乗れた……。
坂だけが知ってる2人だけの秘密の思い出。
