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【小説】『月の図書館と、忘れたい記憶の重さ』#2

​第1話 後編:記憶の書『深夜定食と資格の嘘』

​ 司書に差し出された本は、手に取るとひんやりとした。表紙の枯れた花には、微かな雨の匂いがする。

​ 私はカウンターで椅子に座り、恐る恐るその本を開いた。

 活字は、まるで水面に浮かぶ光のように揺らめいていたが、読み進めるうちに、それは映像のように鮮明に脳内に流れ込んできた。

​(ここから、借りた「記憶の物語」が始まる)

​ 夜中の二時。油と煙草の匂いが染み付いた定食屋のカウンターに、一人の若い男が立っている。彼は、古びた専門書をテーブルに開き、時折眠気を堪えるように頬を叩いていた。

​ 男の名はタロウ。周囲の客や店のマスターは、タロウが司法試験を目指している熱心な学生だと知っている。彼はいつも「休憩がてらバイトに来ている」と言っていた。

​ タロウが持つ記憶の核は、**「今日、司法試験の合格通知が届いた」**という、友人や妹に向けた明るい嘘だった。

​ しかし、私が今読んでいるこの本に詰まっているのは、その嘘そのものではない。タロウが最も預けたかった、**嘘の裏にある「本当の記憶」**だった。

​ それは、真夜中の店の片隅で、タロウが店のマスターに電話で頼み込んでいる光景だ。

​「……すみません、あと一週間、シフトを増やせませんか。妹の大学の学費が、どうしても少し足りなくて……。試験勉強は、その、深夜にやりますから」

​ タロウの妹は、難病で母親を亡くした後、奨学金とバイトを掛け持ちして懸命に大学に通っていた。タロウは本当は、試験の勉強どころではない。毎日疲れ切って座り込む妹のために、妹には内緒で自分の学費と偽り、妹の生活費を稼ぎ続けているのだ。

​ 彼が毎晩持ち歩く専門書は、本当は店のマスターに「資格の勉強をしているからバイトは少ししかできない」と信じさせるための、道具でしかなかった。

​ 私がその本を読んでいると、定食屋の油の匂いが鼻につき、深夜の疲労感が、まるで私自身の体のように重くのしかかってきた。そして、妹を思って必死に頭を下げるタロウの、静かで強い決意が、胸を締め付ける。

​ タロウの嘘は、自分自身を欺くためのものではなかった。妹の誇りを守るための、温かい嘘だった。

​(記憶の物語 終)

読後の感覚と次のステップ

​読み終えた私は、思わず深く息を吐いた。

​「ロスト・プロモーション」の記憶は完全に抜けている。しかし、代わりにタロウの疲労と、家族への愛情という、**他人の「心の重さ」**が、私の中に残った。私の体は無重力で軽いのに、心だけは、今、温かい疲労感に満たされている。

​「……司書さん」

「いかがでしたか?」

​ 司書は微笑んだ。

​「その記憶は、明日、あなたが世界をもう少し優しく見つめられるようになるための、代償です」

​ 私はタロウが妹のために犠牲にした夢の重さを噛み締めながら、自分が預けた「失敗の重さ」を、もう思い出せなくなっていた。

​(第1話 完)

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