【小説】『月の図書館と、忘れたい記憶の重さ』#3
第2話:SNSと「重すぎる笑顔」
その夜、図書館の扉を開けて入ってきたのは、ハルカという名の若い女性だった。
華奢な体に高級ブランドの服。彼女のInstagramのフォロワー数は五万を超え、週末のたびに「充実したライフスタイル」を発信している、この街のインフルエンサーだ。
しかし、彼女の顔はひどくやつれていた。目はクマができていて、笑顔を作る筋肉が完全に固まっているかのようだ。
「いらっしゃいませ。今夜は、何を預けに来られましたか?」
司書は分厚い帳簿を開いたまま、静かに問う。
「……今日、私がアップした、あの写真……」
ハルカは震える声で言った。
それは、夜景の見えるテラス席で、シャンパングラスを片手に微笑む、完璧な写真だった。コメント欄には「素敵」「憧れる」といった称賛の言葉が溢れている。
「あの写真が、私にとって、もう重すぎて耐えられないんです」
ハルカは涙をこらえながら続けた。
彼女が預けたいのは、あの写真の裏にある**「本当の記憶」**だ。
本当は、その日、予定していた友人がドタキャンし、彼女は一人でそのテラス席に座っていた。店のスタッフに頼み込んで撮ってもらった一枚の写真のために、彼女は一時間、孤独と戦っていた。そして、帰宅後、虚しさに耐えかねて声を殺して泣いた。
「あの夜景を見た時の、『私は一人ぼっちだ』と悟った記憶を、全部預けてしまいたいの」
司書はペンを置き、ハルカの額に指先を触れた。
「記憶の重さ、**『特級:孤独なステージ』**として承りました」
記憶が抜けた瞬間、ハルカは初めて、誰にも見られていない場所で、心から安堵の息を吐いた。孤独や虚栄心から完全に解放され、彼女はどこか頼りなく、しかし清々しい表情になった。
彼女が司書から手渡された本は、**『錆びたオルゴール』**というタイトルだった。
(ここから、借りた「記憶の物語」が始まる)
本を開くと、古い木造アパートの一室の光景が広がる。記憶の主人公は、小さな女の子、サクラ。彼女の唯一の宝物は、亡くなった父がくれた、鍵が錆びたオルゴールだった。
サクラの母親は体が弱く、いつもお金に困っていた。ある日、サクラが新しい学校の制服を楽しみにしていると、母は「オルゴールを磨きに出す」と言って、それを持ち出した。
しかし、タンスの奥に隠されたレシートを見つけて、サクラは真実を知った。オルゴールは、制服代のために質屋に売られていたのだ。
サクラは泣いた。でも、泣きながら、すぐに顔を拭った。
その夜、新しい制服に袖を通したサクラは、母親に向かって「お母さん、オルゴール、ピカピカになってよかったね!」と、満面の笑みを見せた。
母親は、そんな娘を抱きしめて、ただ泣いていた。
ハルカが読む「記憶の核」は、その時の**サクラの「知っているのに知らないふりをした優しさ」**の重さだった。オルゴールがなくても、母親の笑顔を守る方が大切だと悟った、その瞬間だ。
(第2話 完)
