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「老け込まない好奇心」を仏教の視点で深掘りしてみる

池上彰さんの本「池上彰の未来予測 After2040」という本を読んでいて、こういう表現がありました。

新しいものが出てきたときに、「面白そうだな」「ちょっと試しにやってみようかな」と思う好奇心は、やはり必要です。 好奇心を持って新しいことに挑戦しないと、老け込んでしまうし、老け込むと好奇心が失われる、という悪循環にも陥ります。

「池上彰の未来予測 After2040」より引用

確かに、新しいことに興味を持ってどんどん動いているような人はいつも若々しいですよね。

ところでこの「好奇心」仏教ではどう考えられているんだろう?と思い、Geminiに聞いてみました。

私自身がまだまだ仏教経典とかはほとんど読めていないもので、Geminiの回答を元に、用語をインターネットで調べて、こんな感じかな?と思ったものをお伝えします。

仏教では、好奇心は戒めるべき好奇心と、推奨される好奇心に分かれます。

戒めるべき好奇心は「散乱」と「渇愛」です。

「散乱」とは、集中力が無い状態で、心が定まらない煩悩。
次から次へと対象への意識が移り、落ち着きが無く平静な状態ではない状態から、思慮の浅い言動をする煩悩のことを言います。

Gemini曰く、「スマホを次々にスクロールしてしまうようなもの」らしいです。
例えばそれで目についた記事や動画にどんどん誹謗中傷したりしてしまうのも当てはまりそうです。

「渇愛」とは、決して満たされることのない強い欲望のことです。
個人的には好奇心はそこまで行っているイメージは無いのですが、行き過ぎて「もっと知りたい!」「もっともっと知りたい!」という気持ちが強まりすぎても良くないのかもしれません。

推奨されるべき好奇心は、「択法覚支(ちゃくほうかくし)」です。
「七覚支(しちかくし)」と呼ばれる修行方法の1つで、法の中から正しい教えを選び取ることです。
Geminiは、これを、何が正しくて何が間違っているのか、自分の心の本質は何なのかを「観察し、見極めようとする知的な探究心」と解釈し、推奨されるべき好奇心として教えてくれました。

これらのGeminiの回答を見て、それでも今回の池上彰さんの本の文脈での「好奇心」はまた少し違ったニュアンスが含まれていそうだな、と思いました。

現代のように技術やサービスが目まぐるしく変化していくなかで、新しいものに好奇心を持っておかないと、「時代遅れ」と呼ばれたり、そう呼ばれるだけならまだしも、例えばサービスであれば、古いサービスが突然終了して放り出されたような感覚になってしまうこともあるかもしれません。

その視点を含めてGeminiに聞き直すと、「諸行無常」の観点から判断できる、と返ってきました。

「諸行無常」とはこの世の全ては絶えず変化し、同じ状態にとどまることが無い、という考え方です。

新しいサービスが出来たので自分もそれに適応しようとするのは、諸行無常の姿なのです。
こう捉えると、古いままでいることは、「執着している」とみなされます。

ただし、注意するべきなのはその好奇心の動機で、「時代遅れになりたくない」「置いていかれたくない」という不安ベースだと、新しいことをいくら学んでも「まだ足りないかもしれない」という渇愛につながりかねないのです。

執着を手放し、無常に適応するために行動やツールはアップデートし続けつつも、ただ新しい情報を闇雲に収集するのではなく、一歩引いて、「これは何を便利にするものなのか?」本質を見極めようとする心が大事なのです。


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