見出し画像

エッセイ「備長炭の焼き鳥」

 昭和の食卓というと、いつも手作り料理が並んでいたように思われがちだけどね、実はそうでもなかった。夕方になると近所の商店街からあれこれと買ってきてね、出来合いの惣菜が主役になる日だって珍しくはなかったんだ。魚屋が揚げるサクサクのフライや練り物、肉屋のホクホクしたコロッケとかね、それに、ちょうちんのついたレバーの甘露煮、どれも食卓を賑やかにしてくれたけれどね、その中でも私が一番好きだったのは、やはり焼き鳥だったんだよ。

​ 当時は一本が五十円から七十円ほどで買えたから、母はいつも二十本ばかりまとめて買ってきて、大きなお皿にドサッと並べてくれた。今みたいに白肉と呼ばれるホルモンなんて普通には流通していなくて、お店に並ぶのは赤肉ばかり。種類だって、もも、ねぎま、皮、レバーくらいしかなかったと思う。だけど、商店街のガス焼き台で焼かれたそれは、決して表面が程よくしまっているわけじゃないし、肉だって小ぶりだったけどね、子供の私にとってはハンバーグにだって引けを取らないくらいのご馳走だったんだよ。

​ 大人になってから、本物の焼き鳥と呼ばれるものに出会って、私の世界はぐっと広がった。ガスの炎には水蒸気が含まれているから、どうしてもお肉の表面がわずかにしっとりしてしまうんです。だけど、備長炭で焼いたものはそれとは全然違うわけ。炭火の強い熱に晒しながら、職人さんが串の位置をせわしなく変えて焼き上げる難しさがあるからね。そこには、ただ火を通すだけではない技術があるんです。

​ そうやって備長炭で丁寧に焼かれたもも肉を、竹串を刺したままガブリと食べる瞬間の美味しさは格別ですよ。香ばしい香りと一緒に、肉の旨味が口いっぱいに広がる。焼き鳥屋のそれは串うちも計算されていて、ひと口目は肉が少し大きいし、塩のふり方も少しばかり多い。最初で肉を食べてるなぁと思わせるんだ。焼かれて表面が弾力を増した肉に歯を入れるとじゅわっと脂が流れてきてね、塩で食べるもんだから、肉の素性の良さが分かるわけ。炭の香りが少し馴染んだ肉は噛めば噛むほど幸せになれる。

    それにレバーなんてね、表面には絶妙に火が通っているのに、中心は驚くほどなめらかな舌触りを残している。パサパサしたレバーは焼きムラのないように火を通しすぎるんだよ。だからね、炭火で焼き方を調整した食感の違いに最初は本当に感動したもんですよ。

​ 最近の串焼き屋に行くとね、ハラミやシロといった豚や牛の内臓系まで色々と並んでいる店も多いわけ。でも、シロのような部位はボイルをはじめとする下処理がものすごく難しくて、本当に美味しいと思える店は数えるほどしかない。あれこれと目移りするようなメニューがあるのも楽しいけれど、私はやっぱり、昔ながらのシンプルな焼き鳥がいいなと思ってしまうんだ。

​ 焼き鳥の世界も、最近はすっかり洗練されちゃって、コースで楽しむような高級な串料理の店も増えてしまった。けれど、私はどこか昔ながらの飲み屋で出されるような、小さくて、少しだけ硬い焼き鳥の方が愛おしく感じてしまうんだ。焼き鳥っていうのは、あんまりこじゃれちゃいけないね。気取らない姿でそこにいてくれるからこそ、ホッとできるんです。

​ それは、人間も一緒ですよ。やたらめったら自分の力や知識をひけらかさないで、本当の実力は胸の奥にそっと隠しておく。そういう余白のある姿こそが、深みのある、味のある大人というものなんだよ。


いいなと思ったら応援しよう!

山下静希 自分の記事の価値を知りたいと思っています。 いただいたチップで一杯の美味しいコーヒーを飲ませていただきますので、応援よろしくお願いします。